余話:マリエラ 2
マリエラは誰とも結婚しないまま年齢を重ねることになった。
「お前はいつになれば嫁いでくれるんだ、マリエラ」
疲れたように言う父に申し訳ないという思いが無いわけではない。しかし、マリエラにも譲れないものがあった。
「私はエリオット様以外に嫁ぐ気はありません。どうしてもとおっしゃるなら、高い身分のアストラン貴族になら嫁しても構いませんと申し上げているはずですわ」
「何度も言っているだろう。お前は別の分家へ嫁に行ってもらいたい」
元々エリオットの父クロードは、現公爵であるラディエイルと対立していた。
どちらにつくべきかをはかるため、分家たちは固唾をのんでふたりの様子を見守っていたのだが、エリオットとマリエラの婚約に伴い、クラレス家はクロード側につくと表明したも同然となった。
ところが直後クロードが急死したことにより、クラレス家は窮地に陥ってしまったのだ。
王家側に伝手を多く持ち、交渉役として重要なクラレス家とはいえ、公爵ラディエイルに睨まれている現状、当主ヴァーレマンの立場はかなり危うい。
なんとか状況を好転させるべく、ヴァーレマンは子どもの中で唯一の娘であるマリエラをどこかの分家に嫁がせようと画策しているようだったが、マリエラ自身が乗り気でない上、公爵から睨まれたくない分家からの返事は芳しくない。
必死で交渉を続けるヴァーレマンをあざ笑うかのように、残念ながら公爵領内でのクラレス家の立場は揺らいだままだった。
マリエラもまた、誰とも結婚することなく23歳になった。
縁談の話をされることもめっきり減ったある日、珍しくヴァーレマンに呼び出されたマリエラは思わぬ言葉を聞かされる。
「マリエラ。エリオット様を探すため、王都へ行ってもらいたい」
呼び出した父の笑みは何かを企んでいるようだったし、何年ぶりかで呼ぶエリオットの名に敬称を付けているのも不思議だ。しかもなぜ探しに行く先が王都なのか。不審な点はいくつも脳裏をよぎる。しかしそれらはすべて些細なことだ。
エリオットを探す。それは、エリオットに会えるということではないのか。
息をのむマリエラに、ヴァーレマンは笑顔のまま続けた。
「公爵閣下からご下命をいただいたのだ。役目を放棄してアストランのどこかにおられるエリオット様を捜索せよ、と」
「役目?」
そこでマリエラは初めてエリオットが、『木を枯らせた当主になる』という役目を負っていると知った。
それが北の地域でどのような意味を持つのか、もちろんマリエラには分かっている。顔から血の気が引いた娘を安心させるように、ヴァーレマンは手を広げた。
「安心するといい。木はまだ20年もつそうだ」
「20年……」
「お優しく聡いエリオット様は、公爵の位に就かれた後はきっと善政をしかれる。20年もあれば間違いなく、皆エリオット様を慕うだろう。そうなれば民は決して非道な真似を行わず、木が無くなった後も粛々と現状を受け入れるに違いない。そう思わないか、マリエラ」
きっとその通りだと思ったのでマリエラは父の言うことにうなずいた。マリエラが会ったのは6歳のエリオットだったが、その当時すでに彼は優しく賢かった。
「私は神殿にも伝手がある。エリオット様らしき人物も見つけてあるのだよ。あとはお迎えに上がるだけだ。行ってくれるね、マリエラ」
一も二もなくマリエラはうなずいた。そんな娘を満足そうに見遣って父は言う。
「今までお前の意見を聞かずにいて悪かった。私はもう邪魔をしない。――行ってエリオット様の気持ちをつかんで来ると良い」
* * *
初めて訪れた王宮の舞踏会はそれは華やかだった。
「初めまして、クラレス家のお嬢様。私はモーリス・アレンと申します」
案内役として現れたのは、黒に近いほど濃い紺色の衣装を身にまとった恰幅の良い男だった。大神官という職についているのだと説明されたが、神殿のことをほとんど知らないマリエラにとってはどうでも良い。
マリエラの白いドレスを見て一瞬戸惑った表情を浮かべたものの、大神官はすぐに歯の浮くような言葉でマリエラを褒めそやす。
その言葉をうんざりしながら聞いていた時、近くで小さなどよめきが起きた。
「ああ、あれがお話ししました、ローゼ・ファラーです」
嫌そうな声と共にアレン大神官が指し示した方へと視線を移したマリエラは、思わず瞳を見開く。
大広間に入ってきたのは、マリエラよりも年下の娘だった。
今回の主役だからだろう、娘は美しく飾り立てられている。
銀の刺繍をこれでもかと施された白の衣装は会場の光を受けて煌めき、まるで光をまとっているかのようだ。
頭にはいくつもの豪華な飾りをつけられ、印象的な赤い髪はゆったりとマントの上に流している。その姿は確かにとても華やかだ。
しかし彼女の立ち居振る舞いに洗練された様子は感じない。むしろどこかあか抜けない雰囲気がある。
おまけに深窓の令嬢のように白いわけでもない肌は、聞いていた通りただの村娘であることを思い出させた。優雅さという点では、間違いなくこの場にいるどの娘よりも下だ。
それなのに彼女からは力強い輝きを感じる。まったく好意を持たないマリエラですら思わず目を奪われてしまうほどに。
「どうなさいましたかな」
傍らのアレン大神官に話しかけられ、はっとしたマリエラはそっぽを向いた。
「別に。田舎臭い小娘だと思っただけです」
「おお。全くその通り。さすが、慧眼をお持ちでいらっしゃる」
大仰な素振りで同調した大神官は、続いてひとりの男性を指し示した。
「そして……えー、あれが、エリオット様でないかと思われる……その……、方、ですが、いかがですかな」
なぜか歯切れが悪くなった声を聞きながら、マリエラは大神官の言う方向を見た。
(褐色の髪……は、エリオット様と同じ色ね……)
残念ながら3回しか会ったことがないため、記憶の中にいるエリオットの姿は曖昧だ。しかも会ってから18年経っている。遠目に見る青年と顔立ちが同じかどうかは良く分からなかった。
正直にそう告げると、アレン大神官はうなずく。
「では、おふたりでお話できる機会を作りましょう。少しお待ちください」
言って去るアレン大神官に人払いの作業を任せ、少しの間単独で行動することになったマリエラは赤い髪の娘を見に行ってみた。
会ってみると、気の強そうな娘からはこれといった特長が見つけられない。
先ほど目を引いたのはきっと何かの錯覚に違いない、と自分に言い聞かせ、次にマリエラは離れた場所からエリオットらしき青年を目で追いかけることにした。
端麗な顔だちの彼は、さすがに女性からの人気が高いようでよく囲まれている。
ときおり知り合いらしい男性からも声をかけられているが、彼は男女分け隔てなく、誰に対しても同じような穏やかな笑みと物腰で対応しているようだった。
しかしそんな中でも、彼が違う表情を見せるときがあるとマリエラは気づく。その表情はほんの一瞬でしかなく、回数も多くはない。しかし確実に、他の人物には見せていないもの。
――主役の娘に対してのみ、見せているもの。
そのことに気付いたマリエラが胸の中にもやもやするものを抱えた時、アレン大神官が目配せをする様子が見えた。
確かに今、彼の周囲には誰もいない。
早くなる鼓動を押さえながら、マリエラは目的の人物に近寄る。
正面から声をかける勇気はなかったので、背後からそっと名を呼んだ。
「……エリオット様」
瞬間、青年は身を震わせて動きを止める。
先ほどまで会場には陽気な曲が流れていた気がするが、マリエラは今、鼓動の音しか聞こえない。うるさいほどの鼓動を聞きながら待つが、彼はそのまま動く様子がなかった。
もしかすると聞こえなかったのかと思い、マリエラがもう一度声をかけようとしたとき、彼はようやく振り返る。
その顔を見た途端、マリエラは正面から声をかけなくて良かったと心の底から思った。
青年の顔は倒れていないのが不思議だと感じるほど色が無く、灰青の瞳には濃い絶望の影が見えている。時間をおいてこの状態なのだから、声をかけた直後の彼の表情など、想像すらしたくなかった。
しばらくの間白い顔でマリエラを見つめていた青年は、やがて囁くように尋ねる。
「……あなたは?」
覚えられてすらいなかったのか思うと、とても寂しい。
悄然としたマリエラが口を開こうとしたとき、彼は「ああ」と呟いた。
「もしかして、マリエラですか」
その途端、視界がにじむ。
「覚えていてくださったのですか、エリオット様」
歓迎されていないのは一目で分かった。それでも、忘れられていなかったのはとても嬉しい。
マリエラはあふれる涙を指でぬぐった。
* * *
近いうちに必ずイリオスへ戻る、だからこの場は見逃してほしい、というエリオットに対してマリエラは首を横に振る。公爵からは見つけ次第、どんな手を使ってでも連れ戻すよう命令が下っている。見逃すわけにはいかないのだ。
ならばせめてこの会が終わるまでは、と頑強に言い切るエリオットに根負けして、マリエラは仕方なく承諾の返事をした。
傍についていようとしたのだが、それはやめてくれと厳しい顔で言われ、マリエラは思わずたじろぐ。
「終われば必ず一緒に行きます。どうかそれまでは、エリオット・シャルトスではなく……」
最後の方は小さくて何を言ったのかは聞き取れなかったが、表情を緩めたエリオットが初めて微笑んでくれたので、了承の意を込めてマリエラはそっと後退る。
――たとえそれが、明るい笑みでなくても。
エリオットは頭を下げ、飲食できるものが置いてある控室の方へと立ち去った。
その様子を見ながらマリエラはうなだれる。
エリオットが自分に向ける表情と、先ほどまで赤い髪の娘に向けていた特別な表情と、まったくなんという違いだろう。
ずっと想っていたのに、ずっと待っていたのに、とマリエラは悲しみに押しつぶされそうな気持ちになる。
(なぜ? あんな田舎の娘の方が、私よりも良いとおっしゃるの?)
そこまで考え、まさか、と首を横に振ったところで、正面に人の立つ気配がした。
「失礼します。もしかして、マリエラ様でいらっしゃいますか?」
考えに沈んでいたマリエラは、声をかけられてはっと顔を上げる。
声をかけてきたのは、剣を佩いて貴族風の衣装を着た青年だ。短い褐色の髪に水色の瞳をしている。エリオットよりも少し上背はあるが、声がやや高い。
マリエラは眉を寄せた。アストランの王宮に知り合いなどいない。名を呼ばれる道理などないのだ。
しかし前に立つ青年は、嬉しそうに顔をほころばせた。
「やはりマリエラ様ですね!」
彼の声に「マリエラさま」という舌足らずな高い声がかぶって聞こえた気がした。
「……ベルネス……?」
「はい、従弟のベルネス・マーレイです! 覚えていてくださって光栄です!」
きっちりとした所作で礼を取るベルネスは、顔に満面の笑みを浮かべたまま、会えて幸せだという気持ちを隠そうともしない。
彼の様子を見て、思わずマリエラは顔をそらす。
正面から不安げなベルネスの声がした。
「何かお気に障るようなことをいたしましたか?」
「お前の取った態度が不快です」
力なく「申し訳ありません」と言う声を聞きながら、マリエラは目をつぶる。
(不快だわ。なぜベルネスなの? 私は、エリオット様からこのような笑顔を向けていただきたかったのに……)
エリオットは姿を消したと聞いていたのだから、マリエラの存在は歓迎されないだろうと覚悟はしていた。それでも心の奥底では「探しに来てくれてありがとう」と言って笑顔を見せてくれることを期待していたのだ。
ため息をつき、しばらくの後にそっと瞳を開けると、目の前にはまだベルネスが立っている。既にいなくなったかと思ったので、マリエラは意外に思って尋ねた。
「何をしているの」
「あ、いえ、マリエラ様がご気分でも悪いのかと思いまして、その……」
まごまごとしながら言うさまは、小さな従弟のままのようだ。
思わず微笑んだマリエラは、彼と共にいた頃の自分を思い出す。同時に、当時から抱えていたさまざまな気持ちが押し寄せた。
従弟が消えた時、エリオットとの婚約解消が決定した時、何度も分家へ嫁ぐよう言われた時、そして、エリオットを探しに行くよう父に言われた時の気持ちを。
扇を握り締めたマリエラは傲然と顔を上げる。
視線を移し、人だかりの中心にいる赤い髪の娘を見た。
(エリオット様があんな田舎者に心を寄せるなど、あるはずがない)
考えてみれば、自身が暗い気持ちを抱える必要などまったくないように思えた。
(きっと今は混乱されていらっしゃるだけ。イリオスへお戻りになれば、ご自身を取り戻されるわ。だってあの方は、公爵家のエリオット様なのだもの)
その昔、城で見たエリオットの姿を思い出す。立派な青年となった彼もまた、北の城に良く合うことだろう。
(私はマリエラ・クラレス。伯爵家の娘。北方で我が家の上に立つのは、かの公爵家のみ)
そして北方の領主となるシャルトス家当主エリオットの横に立つのに、自分以外ふさわしい人物がいるはずがないのだ。
決意を新たにしたところで、小さな声がする。
「……マリエラ様は」
視線を移すと、ベルネスは眩しいものを見るかのような瞳をマリエラに向けていた。
「変わっておられないのですね」
「当たり前でしょう?」
マリエラが笑みを浮かべると、顔を輝かせるベルネスは恭しく頭を下げた。
「今日この時マリエラ様にお会いできたことを、心から嬉しく思っております。――おかげで私も、ようやく道を見つけられました」
「そう? 良かったわね。私も久しぶりにお前に会えて嬉しかったわ、ベルネス」
マリエラが答えると、ベルネスは顔を上げる。
彼の瞳には深い決意が宿っていたのだが、この時のマリエラにはまだその意味が分かっていなかった。




