24.仄か
ここ2日ほどは雨の音がしていたが、今日は天気が良くなりそうだ。
解放感に満ちた気分になったローゼは思い切り伸びをする。
しかし手に持った聖剣からはあきれたような声が聞こえてきた。
【で? お前はなんで外に出てるんだ?】
「リュシー様に言われた通り、扉は開けてないわ。開けたのは窓よ」
【そういうのは屁理屈というんじゃないのか。大人しくしてる約束はどうした】
「ちゃんと大人しかったでしょ。日が昇ったら戻るから、少しくらい許してよ」
実際ローゼはリュシーに言われた通り、部屋に閉じこもっていた。
食事の時はリュシーが侍女と共に来て声をかけてくれる。ほんの少しだけ話をしてくれる時ばかりは気もまぎれたが、その他はすることがない。
リュシーは食事のほかに本も持って来てくれたのだが、怪しまれないようにするためには夜に明かりをともすわけにはいかなかった。そのため読める時間は日中くらいだったが、人通りを警戒してカーテンは閉めたきりなので、薄暗い室内で読むしかない。
翌日も同じように過ごし、さらにその翌日、そしてその翌日も部屋の中にいたのだが、さすがに飽きた。狭く暗い部屋の中でじっとしているばかりなのもつらい。
そんな折、レオンが面白いものがあると言って窓を開けさせる。「少しくらいなら顔を出してもいいか。お前も『見て』みろ」と言われて外を見たローゼは、ためらうことなく小さな窓に無理やり体を通して表に出た。
外は夜明け前の清々しい空気に満ちていた。しばらく室内のこもった空気ばかり吸っていたローゼは深く呼吸して笑顔になる。
少し歩いて移動すれば、そこは窓から見えた小ぢんまりとした庭だ。
野の草も生えた庭に見栄えがする大輪の花は少ない。
その代わり、可愛らしい小さな花が咲き乱れていた。
そして、花の上には光の玉が乗っている。精霊たちだ。
精霊に重さはないのだろう。小さな花々は落ちることも、茎が折れることもなく、ただ風にだけゆらめいていた。
「この精霊たちは花の上で眠ってるの?」
ローゼがそっと囁くと、聖剣からも小さな声が戻ってきた。
【そうらしいな】
思わず笑みがこぼれる。
「精霊たちも眠るんだ」
【そりゃ眠るだろう】
「レオンも時々眠ってるもんね」
【あれは意識を内側に籠らせてるだけだ、小さい連中と一緒にするな】
「はいはい」
わずかに機嫌を損ねたようなレオンに向けて適当な返事をし、ローゼはあたりを見回す。
花には触れないよう動いていたつもりだし、レオンとの会話も小声のつもりだったが、それでも近くにいた何体かの精霊は、ローゼと聖剣に気が付いたようだ。
花の上で身を震わせ、ふんわり飛び上がる。ローゼの側へ来たものは銀の腕飾りを引っ張って遊んだり、聖剣の周りでくるくると踊るかのような動きを見せた。
その様子をうっとりと眺めていたローゼだが、日はだいぶ昇ってきており、部屋から出て来た時よりも随分と周囲は明るくなってきている。
「綺麗だからもっと見ていたいけど、そろそろ部屋へ戻ろうか」
【それがいいかもな】
精霊たちを名残惜しく眺めながら、ローゼは小さな窓へ体を押し込み、暗い部屋の中へと戻る。
明るい外で澄んだ空気を吸った後では、狭い部屋の中はいかにも陰鬱で、空気が悪く思えた。
「それにしても、暇すぎるのが良くないのよね」
暗い部屋に戻ったローゼはぼやく。
出かけている公爵が戻ってくるまではローゼもすることがない。彼が帰るまでにはまだ数日かかるらしいとリュシーに聞いた。
「ねえ、レオン。精霊たちって城内にもいるの?」
【さてな。俺だってお前と一緒で出歩いてないんだから知るもんか】
「言われてみればそうか」
精霊たちが城内に居る姿はあまり想像できない。
しかし精霊は好奇心旺盛だというくらいだから、時々は城内に入ってきてあちこち覗いたりしているのだろうか。
でもやはり、精霊は自然の中にいる方が美しい気がするな、といったことを考えていると、外から足音とともにかすかな声が聞こえる。
どうやら先ほどまでいた庭のあたりに、誰かが来たようだ。しかもひとりではなく、複数らしい。
肩をすくめたローゼはレオンに囁く。
「危なかったね。戻るのがもう少し遅かったら出会っちゃってた」
【まったくだ。今回は運がよかっただけなんだから、もう出歩くなよ。とりあえずいなくなるまでは黙っておけ】
うなずいたローゼは小さく息を吐き、寝台の上に座って、壁にもたれかかる。
ぼんやりしながら聞くともなしに外の音へ耳を傾けていたが、聞こえてくる中には会いたい人物の声があるような気がして、思わず苦笑した。
――そんなはずはない。
リュシーも言っていたではないか。
彼は部屋から出られないのだと。
会いたい気持ちがある上に、近くに来たという思いがあるから、そんな気がしてしまうに違いない。
それでもローゼは目を閉じ、立ち去る音がするまでは彼のことを想いながら、そのまま声を聞いていた。
結局この日もリュシーが侍女とともに食事を持って来てくれただけ、他に誰か訪れることもない。
そもそもローゼのいる部屋自体が建物の隅にある上、近くには特に意味を持つ部屋があるわけでもないらしい。
目的をもってこの部屋に来る人以外、誰の足音もしなかった。
この日の夜は、リュシーがこっそりと湯を使わせてくれる。
顔の傷は多少しみるが、それ以上に良い気分になったローゼは、彼女と別れた後はすぐに寝台へ入った。
毎日特にすることもないので、暗くなって本が読めなくなり、レオンとの話題も切れてしまえばローゼは寝ることにしている。
そんな中でも今日は湯を使って体も温まっているし、朝のうちは、彼の声を聞いた気もした。
変化のない日が続く中で少し幸せな気分で眠りについた深夜、扉が静かに揺らされている音でローゼは目が覚めた。
初めは夢うつつに音を聞いていた。しかし、ごとごと、という音が続いて目が覚め、音の源が扉であることに気付いたローゼは一気に覚醒する。
――誰かが扉を開けようとしている。
「……レオン」
緊張した声で囁くように呼びかけるが、レオンからの返事はない。
「レオン?」
再度呼びかけるが、やはりレオンからは何の答えも戻らなかった。
どういうことだ、と思うが、とにかく扉が開く前に何とか逃げる算段を整える方が先だと考え、ローゼは靴を履き、聖剣を握りしめる。
着ているものは寝間着だが、この際仕方がないだろう。
朝の要領で逃げられるに違いない、と窓へ近寄ったときに、扉の鍵がカチリと鳴った。
ローゼは息をのむ。もう時間がない。
暗い室内を見渡し、迷って剣帯を手にする。
本当は聖剣が使えれば良いのだが、聖剣は絶対に人を傷つけることができない。
鞘なら使えるが、白い方を使うのはもっての外だし、黒い方は殴りつければ壊れてしまいそうな気がした。
聖剣を抱え、そっと扉の脇に控える。汗ばむ手で剣帯を振り上げた。
――入ってきたら、この剣帯で殴る。相手がひるんだ隙に扉から逃げればいい。
鼓動がうるさいほど音を立てる中、ゆっくりと扉が開く。
ほんの小さな輝石の明かりを持っているのだろう。ぼんやりとした明かりが室内を照らし、誰かが中へと入ってきた。
今だ、と剣帯を振り下ろそうとした瞬間、ローゼは信じられないものを目にして固まる。
「……嘘でしょ」
茫然としながら呟くローゼを見た人物は、振り上げたままの剣帯を見て苦笑した。
「当たってたら痛かっただろうね」
褐色の髪をした青年は扉を閉め、ローゼの手からそっと剣帯を取った。




