18.報せ
ローゼは銀狼に言われて、毛を一房切り取った。
『聖剣につけておけ。もし儂を呼ぶことがあれば、標となる』
礼を言った後、ふと思いついたことがあった。
銀狼の許可を得て、毛を編み込んだものをふたつ作る。ひとつは物入れの中へしまい、もうひとつを聖剣の柄頭へ結びつけた。銀色の毛は柄頭の透明な宝石とよく合い、ともに光に輝いてため息が出るほど美しかった。
「すごく綺麗。それになんか可愛いくなったよ、レオン」
そう言ってローゼが微笑むが、レオンは不満だったらしい。
【なんでこんなものを俺がつけなくちゃいけないんだ……】
『おお。先ほどまでより、ずいぶんと見栄えが良くなったではないか』
【うるさいぞ、狼】
憮然としたレオンをものともせず、銀狼は最後まで楽しげだった。
朝を迎えてローゼはセラータに乗り、精霊たちに見送られながら銀の森を後にする。
道はところどころ草に覆われているので、ただの野原との見分けがつきにくい。来た時同様になんとか判別しながら、ローゼはセラータを進ませていた。
もしかすると今まで銀の森へ行く人は多くなかったのかもしれない。
しかしそんな閑散とした銀の森も、あと少しの話だ。
ローゼがフロランに銀狼の話をすれば、公爵家から通達を受けた術士たちがきっと銀の森へ押し寄せるだろう。
それが噂になれば精霊が見えない人たちも足を向けるに違いない。
静かだった森に急に人が多くなって、銀狼や精霊たちはどんな風に思うのだろうか。
レオンによれば、精霊は好奇心が旺盛でお喋りらしい。もしかすると、今日はこんな人がいた、こんな人を見た、などと盛り上がったりするのかもしれない。
そして賑やかな精霊たちの様子を、銀狼は悠然と眺めるのだろう。
そんな楽しげな光景を思い浮かべて、ローゼは微笑む。
一方、人間たちはどのような反応をするだろうか。
普通の人は精霊が見えなくても、噂に聞く銀狼と同じ空間にいられることを喜ぶに違いない。
中にはローゼと同じく、小さい精霊は見えなくても銀狼なら見える人だっているはずだ。
そして古の大精霊が子ども向けの本になったように、いつか銀狼のことも本になる日がくるのだろうか。
「ねえ、レオン」
【なんだ?】
「銀狼ってさ、この後も瘴気に染まることがあるかな」
【どうだろうな。あのくらい強くなってしまえば、よほどのことがない限り染まったりしないだろうよ】
「そっか」
しばらく道を進むと、森と森に挟まれるようにして、小さな草原があった。一度休憩しようとセラータを止め、ローゼは草むらの中へぼんやりと座って空を見上げる。
白い雲が多いとはいえ、今日の空は青い。
足を投げ出して座ったローゼは、膝の上に置いた聖剣に向かって、先ほどと同じように話しかけた。
「ねえ、レオン」
【なんだ?】
「……あたしが聖剣を振るえなくなったらさ、次に主を選ぶときは神々の言うことを聞いて、他の国の人も選択肢にいれるのよ? 性癖でまたエルゼの子孫とか……こだわっちゃ駄目だからね?」
レオンが何かを言う前にローゼは続ける。
「でもさ。何代かに一度は、神々の選定を無視してでも、アストランの主を選んでね。そして時々は銀の森へ行って、運悪く銀狼が瘴気に染まってたら浄化してあげて」
ふふふ、とローゼは小さく笑う。
「その時は銀狼と一緒に、あたしのことを話してくれると嬉しいな。……何百年たっても、あたしのことは覚えててね」
(この後あたしがどうなるかは分からないけど、銀狼が残ったのは本当に良かったな)
おそらくレオンは長い年月、聖剣として在ることになるだろう。
しかし人でしかない主が彼と共に過ごすことができるのは短い間だ。そんな中、長く時を生きる銀狼という友がいることは、きっとレオンの心の支えになってくれるに違いない。
ふわりと気持ちの良い風が吹き抜ける。
人がいないのだから被り物は取っても構わないように思えたが、それでも何があるか分からないので、やはり取る気にはなれない。
(いつか、レオンが誰かとここへ来るときには、濃い色の髪でも被り物が必要なくなってればいいなぁ……)
【……馬鹿かお前は】
聖剣から小さな声が聞こえる。
【お前が聖剣の主になって、まだ数か月しか経ってないんだぞ。今から何を言ってるんだ】
「んー。なんかあたしが聖剣の主だって言われてからさ、怒涛の日々だったなぁって思って。この数か月は今まで生きてきた17年以上に色々あった気がするから、もう70歳くらいになった気がしてさ、ついね」
【まったく、何を言ってるんだ。いいか? そういうことはな――】
感傷的になったローゼの声を遮るようにして、レオンが言う。
【せめて小鬼ごときに苦戦しなくなってから言え】
「そうしたら今度は、食人鬼ごときに苦戦しなくなってから、って言うつもりでしょ」
【当り前だ】
レオンの返事に笑うと、ローゼは立ち上がる。服についた草をはたき、セラータの首を撫でて出発を告げると、再び道へ出た。
シャルトス公爵領は本当に森が多い。
川にかかる小さな橋を越え、開けた野を少し通ったかと思うと、また違う森の横に出る。そのまま道を進むと午後には森の向こうに町の城壁が見えて来たので、今日はここで泊まろうとローゼは決めた。
【まだ日は高いぞ。次の町まで行けるんじゃないか?】
「うーん。でも昨日は野宿だったでしょ? セラータを休ませてやりたいじゃない」
【なるほど。そういうことなら仕方ないな】
「でしょ。さて、どの宿がいいと思う?」
レオンと小声で相談しつつ、セラータを牽いて宿を探していると、近くからこそこそと話す声が聞こえてきた。
「ほら、やっぱりそうだ! 夕焼け色のたてがみをした馬だよ!」
「う、うん。でも……あんまり跡をつけてたら、怪しまれると思うの」
「だってさあ」
話し声は2人、少年と少女だ。ローゼにもしっかり聞こえているのだが、本人たちは小さな声で話しているつもりらしい。
「馬牧場には行けなかったし、町中ではあの馬全然見ないしさ。この機会を逃したら、一生近くでは見られない気がするんだよ!」
「で、でも、こんなに近くじゃ、気付かれちゃう。ねぇ、もう少し、離れた場所から……」
しかもなんだか聞き覚えがある。
ローゼは声のする方へ顔を向けた。
まさか聞こえているとは思っていなかったのだろう。話していたふたりは、ぎくりと身を固くする。その表情がおかしくてローゼはつい笑った。
「ラザレス、コーデリアも。何してるの?」
「ローゼ!?」
見知った顔だと分かったふたりがばたばたと近寄ってくる。コーデリアはローゼと会えたことを嬉しそうにしてくれるので、なんだか胸があたたかくなる。
もちろん彼女は帽子を被っていない。しかし北方に限って言うならば、亜麻色の髪をしたラザレスはともかく、鳶色の髪をしたコーデリアは帽子はかぶっていた方が良い気はした。だが、その辺りは彼女なりのこだわりがあるのだろう。
一方でラザレスはローゼに会ったことというより、『夕焼け色のたてがみをした馬』を連れている人物がローゼだったことに喜びを感じているようだった。
「ねえ! なんでローゼがこの馬を持ってるの? どっかで買ったの?」
「この馬は……」
少しだけ言い淀む。
「……くれた人がいるの」
「もしかして、イリオスにいるっていう人?」
「……まあね」
ラザレスはセラータから目を離さずに言う。
「うわあぁ……こんな馬をくれるってことは、やっぱりローゼが会う人は公爵家の人なんだよね?」
ラザレスの言葉にローゼは慌てて周囲を見回す。幸いにも誰かに聞かれた様子はなかった。
「ねえ、馬に触ってもいい?」
「いいわよ」
ローゼの返事に歓声を上げ、ラザレスはセラータを撫でながらあちこち眺める。ラザレスらしい、と思いながらその様子を見ていると、コーデリアがローゼの手を引いて、少し離れた場所を示す。どうやらラザレスには聞かれたくない話があるらしい。
珍しいこともあるな、と思いながらローゼは馬を眺める少年に手綱を渡し、コーデリアと一緒に移動した。
「あのね、ローゼは、イリオスへ行くんでしょう?」
「そのつもりよ」
ローゼの答えを聞いたコーデリアは不安そうに草色の瞳をゆらめかせる。
「あのね、私たち、ここから、イリオスの方向にあるっていう、馬牧場へ行こうとしてたの」
「うん?」
「……そしたら……森の中に魔物がいたの」
【なに】
魔物という言葉にはレオンが先に反応する。もちろんコーデリアには聞こえないのだが。
「戦ったの?」
ローゼが尋ねると、コーデリアはこくんとうなずいた。
「幽鬼がね、いたの。ふたりだったから不安だったけど、他の地域の幽鬼よりも、どうしてか分からないけど、動きが遅くって……なんとか倒せたの」
「そっか。幽鬼をふたりでなんて、すごいじゃない」
以前、アレン大神官に呼び出された王都近くの町で、フェリシア、ジェラルドのふたりと一緒に魔物と戦ったことを思い出す。
あの時いたのは食人鬼と、瘴穴から出かかっていた幽鬼だった。
結果的に姿を現していなかった幽鬼は瘴穴と一緒に消滅したのだが、もしも戦うことになったらきっと面倒だったに違いない。
コーデリアはうつむく。
「でもね、ラザレスがケガをしたの。もう、薬で治ったけど。……ここから南へ向かうと、神殿のある町に行けるでしょう? 一度戻って、念のため、神官様に見てもらおうと思って」
「そっか」
セラータに気を取られているラザレスは、ローゼたちが何を話しているのかは気が付いていないようだ。しかし言われてみれば、彼は顔色が良くない気がした。
「もしかしたら、まだ瘴穴があるかもしれない……ローゼはイリオスへ行くんでしょう? 気を付けてね」
小さな声で言うコーデリアはローゼのことを心配してくれているようだ。
「うん、ありがとう。コーデリアたちも気を付けてね」
ローゼが言うと、顔を上げたコーデリアは不安そうな表情のままうなずいた。




