17.彼の話
翌朝ローゼが会いに行くと、幸いにもフェリシアは王宮から戻って来ていた。
ローゼの様子を見て何かあったと察したらしい彼女は理由を尋ねてくる。簡単に話をすると、フェリシアはうなずいてローゼの手を取った。
「わかりましたわ。すぐにお兄様のお部屋へ参りましょう」
「ううん。フェリシアはこの後は訓練があるでしょ? 教えてもらえればあたしだけで行くから――」
「大変ですわ! わたくし、今日は頭痛と腹痛と腰痛で動けませんの。ということで訓練は無理ですわね。さ、お兄様のところへ参りますわよ」
こうしてローゼは、頭痛と腹痛と腰痛で動けないはずのフェリシアに連れられてジェラルドの部屋へ向かった。
神殿騎士見習いの寮は神殿騎士区域の最南にあり、神殿騎士達が住む建物はここからだと北東の側にある。いくつかの道を抜け、建物を通り過ぎ、目的の建物の中に入ると、フェリシアはひとつの扉の前で立ち止まった。
「お兄様、フェリシアです。入りますわよ」
言うや否や、返事も待たずに勢いよく扉を開けると、中から下着姿のジェラルドが服を着ながら顔を出した。
「フェリシアちゃん、だからいつも言ってるだろ、返事くらい待ってくれって!」
ローゼは慌てて目をそらしたのだが、フェリシアはその光景に慣れているらしい。腰に手を当てて呆れたように言う。
「来客があることが分かっていますのに、どうしてきちんとしていませんの?」
「普通のお客は返事を待つから、服を着る暇くらいあるんだよ!」
そういうものだろうかとローゼは思うのだが、本人が言っているのだからそうなのだろう。服を着たジェラルドに呼ばれて中へ入ると、彼は片手を上げた。
「よう、ローゼちゃん。昨日は結局あんなことになって悪かったな」
「いいえ。あそこまで連れて行ってくださってありがとうございました」
中に入ったローゼが違和感を覚えて振り返ると、フェリシアは扉の辺りに立ったままだった。
そのまま手を振って立ち去ろうとするので、慌てて引き留める。この場にいなくても、ローゼはきっと後でフェリシアの部屋を訪ねて話をするだろうし、窺い見ればジェラルドにも特に異存はなさそうだった。
「まあ、話すって言ったけどさ。俺もあんまり詳しいことは知らねえんだ。分かる範囲だけでしか答えられねえけど、許してな」
椅子に座るとジェラルドはそう切り出す。しかし何ひとつ分からない今、どんな内容でもローゼにはありがたかった。
「……昨日の屋敷って、誰のものなんですか?」
周囲から浮くほど大きかった屋敷を思い出しつつ尋ねてみると、ジェラルドは腕を組んだ。
「あそこはシャルトス公爵家のもんだ」
それを聞いたフェリシアが小さく声を上げた。ジェラルドは続ける。
「アーヴィン・レスターってのは、あいつの本名じゃない。経緯は知らないが、その名前は神官見習いになったときから使い始めたらしいぜ」
「じゃあ、本名は?」
「エリオットだ。エリオット・シャルトス」
その名前を聞いた瞬間、ローゼの脳裏に女性の声が聞こえた気がした。
『エリオット様』
「それだ……」
ローゼは低く呟く。
ジェラルドに問うように見られ、ローゼは答えた。
「昨日の夜、女の人がアーヴィンを何か別の名前で呼んでたなって……その時は聞き取れなかったんですが、今思うとエリオット様、って呼んでました」
ジェラルドはうなずき、フェリシアからは
「よりによって……」
とため息交じりの声がした。
公爵と言うからには、多分とても偉いのだろうし、フェリシアの態度を見ると、訳ありの家のような気もする。
ローゼはなんだか不安になってきた。
「……つまり、本当の名前を知ってるってことは、その人が公爵家の関係者だったんですよね。もしかして……リュシーっていう人ですか?」
以前ジェラルドが言っていた名前を出してみると
「リュシーちゃん?」
意外な名前を聞いたといった具合にジェラルドが首をかしげる。
どうやらグラス村で自分がその名を言ったことは忘れてるらしい。
「リュシーちゃんはあいつの姉ちゃんだから、敬称をつけて呼んでたなら違うな。その関係者らしい女の人ってのはどんな子だった?」
「白いドレスで……」
ローゼが言いかけると、ジェラルドもフェリシアも「ああ」という顔をした。やはり目立っていたのだろう。
「白いドレスなんて、とても礼儀のなってない方だと思いましたけど……そういうことですのね」
「どういうこと?」
「……シャルトス公爵家やそれに連なるお家の方、シャルトス領の民も、ウォルス教のことを嫌っていますから」
「そんな場所があるんだ」
ローゼは正直に言えばとても驚いた。
ウォルス教はこの大陸にある5つの国全てで信仰されている。聖剣のような神の奇跡がある以上、それは自然な流れだった。
この大陸に他に宗教はない。と、ローゼは思っていたのだが。
(ん? そういえばレオンの記憶の中に、確かそんな話が……)
「……もしかしてシャルトス家の領地って、アストランの北方にある?」
ローゼが尋ねると、フェリシアはうなずいた。
「あの辺りは昔、小さな国だったそうです。シャルトス公爵家は、その国王だった家ですの」
ローゼの目を見つめながらフェリシアは続ける。
「小国時代から独自の宗教観をお持ちだったと聞きます。ですから神殿に憚って色を避ける、ということをしなかったのだと思いますわ」
それを聞いてジェラルドも言う。
「だろうな。そもそもあの家の関係者が、昨日みたいな神殿主催の行事に来るってこと自体が驚きだ」
「……そっか。……じゃあ昨日の人は、誰なのかな」
うーん、とジェラルドはうなった。
「もしかすると、マリエラちゃんかもな。クラレス伯爵のところの」
「クラレス伯爵……シャルトス公爵家の分家ですわね」
「おうよ。エリオットにはマリエラちゃんっていう婚約者がいたらしいから、その子じゃねえかな。あいつを迎えに来たんだろうよ。……そっか、子どもの頃の婚約を信じて、まだ独り身のままだったんだなあ」
そこまで言ってジェラルドは膝を叩く。
「……ああ、わざわざ白を着たのは、婚礼衣装のつもりかもしれねえよな。くう、泣けるじゃねえか」
聞いたフェリシアがジェラルドを咎めるように睨み、次いでローゼへと何か言いたげな視線を向けてくる。
それに気づきながらもそしらぬ顔でローゼは言った。
「だとすれば、神官のアーヴィンを探すために、神殿主催の行事だと分かった上で来たってことでしょうか……」
そこまで言ってローゼは自分の言葉に引っかかりを覚える。
神官を探すために神殿の行事へ来るのは間違ってはいない。しかし、昨日のような行事に参加する神殿関係者は、大神殿にいる神官たちが中心だ。各神殿の神官たちは基本的に参加しないので、神官を探すという点だけを考えるなら向いていない。いや、万一の可能性に賭けて参加したのかもしれないが……。
自分の考えに沈みそうになったローゼだが、ジェラルドの言葉に引き戻される。
「そうだな。神殿関係を嫌ってるはずなのにわざわざ探しに来たわけだ。これはよっぽどの事情があるんだろうなあ、うんうん。てことは、あいつがこっちに戻ってくるってことはなさそうだ」
「お兄様?」
フェリシアが怪訝そうな表情をジェラルドに向ける。
「先ほどからなんですの?」
「いや、別に。何も変なことは言ってないだろ?」
そう言ってジェラルドは頭の後ろで手を組む。
「とにかくシャルトス家には神殿の威光なんてもんは通じねえ。王家だってあの家には手出し不可だ。そうだろ、フェリシアちゃん」
話を向けられてフェリシアはうつむく。
「手出し不可?」
ローゼが問うと、うつむいたままフェリシアは答えた。
「シャルトス家は、とても難しいんですの。王家より古い家柄でもありますし、昔は国主だったということもあって、今でもあまりその……王家に従順ではありませんわ」
ですから、とフェリシアは続けた。
「王家では、敵対する態度を取らない限りシャルトス家のことは黙認する、ということにしていますの。別に非道なことをしているわけではありませんし……」
「そんなことでいいの? それじゃまるで、別の国みたいじゃない」
思わずローゼが問うと、フェリシアはため息をついた。
「仕方ありませんの。北方の方々は未だにシャルトス家に忠誠を誓っていますから、あの家でないと北方はまとめられませんもの。……王家としては、臣下としての形もとっていただいてますから、それで良しとしているのですわ」
「……今は同じ国なのに、変なの」
だったら独立したままでいれば良かったのにと思うが、その辺りはローゼに分からない思惑などがあるのだろう。
「ま、そういうことだ、ローゼちゃん」
フェリシアが大体説明し終わったとみて、ジェラルドが話に入る。
「あいつのことは諦めろ。死んだとでも思って忘れるんだな」
「お兄様!」
音を立てて机に手をつき、フェリシアが立ち上がる。
「いくらなんでも、そのようなおっしゃいよう――」
「じゃあフェリシアちゃんは、どうにかできるのか?」
「……それは……」
珍しく真剣な眼差しを向けてくるジェラルドに問われ、フェリシアは口ごもる。
頭の後ろに組んでいた腕を下ろすと、低い声でジェラルドは言った。
「無理なもんは無理だ。変に期待を持たせるな」
フェリシアがうなだれる。それを見て、ジェラルドはローゼに向き直った。
「ローゼちゃんも分かっただろ? とにかく、あいつを追おうなんて考えるんじゃないぞ」
これ以上は協力するつもりがない、とジェラルドの表情は語っている。
「……はい」
それを見てローゼは首を縦に振るよりほかなかった。




