15.庭園 2
「びっくりした。いつからいたの?」
ローゼが聞いても、アーヴィンはチェスターの後ろ姿を不愉快そうに見たままだ。
「あの男は女性を連れていたね。もしかしてローゼは遊ばれているんじゃないのか? ……ああ、それとも、複数の妻を持つつもりなのか……貴族だから」
後半は独り言のようだった。
チェスターが王女と共に大広間へ入るのを見たアーヴィンはため息をつき、やっとローゼへ視線を向ける。
「ローゼの気持ち次第だから、私がとやかく言うことではないけどね。でもできれば、相手の男性は――」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てて言葉を遮り、ローゼは立ち上がる。
「結婚式を挙げるのはあの2人。あたしは単なる招待客よ」
それを聞いてアーヴィンは、なんだ、と言って安堵の表情を浮かべる。逆に彼の近くへ寄ったローゼは顔をしかめた。
「やだ。変なこと言うと思ったら、お酒飲んでるじゃない」
長椅子にあった聖剣を端に置いて空けた場所を示すと、アーヴィンは大人しく座ったので、ローゼもその横に腰かけた。同時に訝しく思う。
グラス村の神官が酒に弱いのは、村人なら周知の事実だ。
祭りや祝いごとなどでは乾杯の時に口をつけるだけ、しかしその一口で酔ってしまう。それが分かっているから本人も一口以上は飲まないし、村人たちも無理に勧めたりはしない。
それなのに今の彼からは、はっきりと酒の匂いがしている。こんなことは初めてだった。
「……何かあった?」
不安になったローゼが尋ねると、アーヴィンは少し微笑む。
「いいや。私だってたまには飲んでみようと思う時くらいあるんだ――」
アーヴィンが続けて何か言おうとしたとき、彼の褐色の髪がさらりと前へ落ちる。
自分の髪が視界に入った途端、彼は口を閉じ、忌々しそうにそちらを見た。そんな様子も表情も今までに見たことがなかったので、ローゼは思わず顔を覗き込む。
「……やっぱり変よ。どうかしたの?」
ローゼの顔を目にしたアーヴィンは少し表情を和らげ、なんでもない、と言いながら首を振る。しかしその動きに合わせて胸まである髪がさらさらと前に落ちかかり、彼の顔は再度険しくなる。それを見たローゼは、仕度をしてくれた神官に心の中で謝りながら、自分の髪に結んであったリボンをほどいて手に取った。
神殿関係者は髪を伸ばす決まりになっているので、もちろん神官や神殿騎士たちもみんな髪は長い。邪魔になるときは紐などで結んでいる姿を見かけることもあるが、正式な場では流すことになっている。
例外は今回のローゼのように、式の主役となって飾りたてる時くらいだ。実際、今日の儀式やお披露目会でも、他の人たちは誰も髪に手を加えていない。
しかし、今のアーヴィンは妙に髪を気にしている。それならこっそり結んでしまっても良いのではないかとローゼは思ったのだ。
手にしたリボンは少し幅が広いので、アーヴィンが結ぶには可愛いすぎる気がした。折って幅を細くしたものを手渡そうとしたところで、ふと思いなおす。
「……ねえ、髪に触ってもいい?」
尋ねるとアーヴィンは驚いたように目を見開いたが、すぐにうなずく。それを見てローゼは立ち上がり、髪が落ちてこないよう慎重にきっちりと結んだ。念のために引っ張って確認もしてから長椅子へ戻ると、彼の表情は落ち着いている。
それを見てローゼはほっとした。
「アーヴィンの髪って初めて触ったけど、見た目通りさらさらね。やっぱりあたしの髪と交換したいわ」
気分を変えるために明るく言って笑うと、つられたようにアーヴィンも笑う。
「雨の日にはよくそんなことを言ってたね」
「うん。だって髪が全然言うこと聞いてくれないし……」
そう言って雨の日の苦労を思い出し、ローゼは思わず顔をしかめた。
くせ毛のローゼは湿気の多い日が嫌いだった。髪が思い通りにならないからだ。
そんな中、鬱々としながら神殿に行けば、湿気など気にも留めない様子で髪を流してるアーヴィンがいる。それを見るたびローゼは「あたしの髪と交換してよ」と八つ当たりをしたものだった。
「色だけなら気に入ってるのよ。この色でアーヴィンみたいにさらさらだったら最高なのにっていつも思うわ」
言いながらため息をつく。
赤い髪はアストラン国の西方で見られるのだが、ローゼほど鮮やかな色はあまり多くない。大神殿でも賛美をもらうことが多く、ローゼにとって髪の色は密かな自慢でもあった。
「あ、でもね。アーヴィンの髪の色もいいと思うの。日に透けた時なんて、すごく素敵なんだから。自分じゃ分からないでしょ?」
ローゼが笑顔で言うと、アーヴィンはとても意外そうな面持ちをする。そして目を伏せると小さな声で言った。
「……そんな風に言われたのは初めてだ」
「ふーん? じゃあアーヴィンも、今から自信をもつといいわ」
「それは難しいな。私は自分の髪が嫌いなんだよ」
「嫌いだったの? 全然気が付かなかった」
「そうだね……しばらくはその必要がなかったんだよ。でも、嫌いだということを思い出したからね……」
(……どういうこと?)
何か言った方が良いのかと思うが、どう声をかけて良いのか分からない。結局、目の前の花々を見つつ黙っていた。
しばらくすると、アーヴィンが小さく、ごめん、と呟く。
良く分からないなりにローゼが、ううん、と答えると、彼は少しだけ微笑んで問いかけてきた。
「……そういえばどうしてこんなところに? 大広間ではローゼを探している男性が多かったよ」
「ああ……」
それを聞いてローゼは少し遠い目をする。
「その男性陣から逃げてきたのよ。探してるってことは、まだ賭けは続いてるのね」
「賭け?」
「あたしと最初にダンスする人は誰かって話になってるみたい」
ローゼは足元に視線を落とした。
「大勢の人に誘われたけど、誰とも踊るつもりないのよね。ローブは重いし、邪魔だし、それに踊り方も知らないし。だから『踊らない』に賭けたジェラルドさんは儲かると思うわ……っ、何!?」
強引に体が引っ張られる。見ると、立ち上がったアーヴィンがローゼの左腕を掴んでいた。
「では、私と踊ってもらえるかな?」
口調は軽かったが、懇願するような響きがあった。少し迷うが、ローゼは首を横に振る。
「……言ったでしょ。あたし、踊り方を知らないの」
「そんなもの、好きにすればいいんだよ。ローゼだって村祭りでは踊ってるじゃないか……そうだ、あそこで踊ろうか。村の広場みたいで、大広間よりも気楽だろう?」
アーヴィンは奥にある開けた場所を指し、半ば強引に移動しようとする。ローゼは慌てて聖剣を手に取った。
「ねえ、やっぱり酔ってるの?」
「そういうことにしておこうか」
不安げに尋ねるローゼに、ふわりとした笑みを浮かべてアーヴィンが答える。そのままローゼの手を取り、歩きだした。
【おい、こいつどうしたんだ?】
右手にある聖剣から、困惑したようなレオンの声が聞こえる。
(どうしたって言われても、あたしの方が知りたいわよ!)
そう思うが、アーヴィンがいる以上口には出せない。
アーヴィンとの付き合いが長い分、レオンよりローゼの方が戸惑っている。少し前、聖剣の二家から連れ出してもらった時はいつも通りだったはずだが、本当にどうしたのだろうか。
目的の場所に到着すると、アーヴィンはローゼの手を離して恭しく一礼する。その後改めてローゼの手を取り、大広間から聞こえる曲に合わせて動き出した。
庭園で踊り始めるローゼたちに、周囲の人たちが何事かと注目し始める。
どうやらアーヴィンはダンスの基礎を知っているようだ。適当に動いているように見えて動きに無駄がない。一方のローゼは完全に素人なので、彼に振り回されるばかりになっている。
やっぱり止めると言おうとしたのだが、嬉しそうなアーヴィンの様子を見て何も言えなくなる。
先ほどまではずいぶん様子がおかしかった。良い気分になっているのなら、そのままでいてもらおう。そう決めると、ローゼは裾を踏まないように必死でさばいて踊り続けた。右手に持ったままの聖剣は何度も飛ばされそうになり、そのたびにレオンの悲鳴が聞こえる。
(あたしは頑張る! だからレオンも頑張れ! とにかく踏ん張るのよ!)
そのまましばらく踊り続けていたが、どのくらい経った頃だろうか。ふいに二方向から声をかけられた。ローゼの背後からは男性が、アーヴィンの背後からは女性が。
「お探ししました、ファラー様!」
「――――様」
それを聞いたアーヴィンは体をこわばらせて動きを止める。ため息をつくと、ローゼの手を離した。
ローゼの背後から聞こえたのは、世話係をしてくれていた神官の声だ。
そしてもう片方の声は、アーヴィンに呼びかけたらしい女性の声だった。何と呼んだのかローゼには聞き取れなかったが、いつの間にか彼の背後に白いドレスの女性が立っていたので、彼女が呼んだのだろう。
ローゼは振り返り、そろそろお戻りください、と言う神官に向かってうなずく。神官が立ち去るのを見てからアーヴィンの方へと視線を戻すと、彼の背後に女性が寄り添い、勝ち誇った視線をローゼへ投げかけていた。
その態度にむっとしたローゼが口を開くより先に、アーヴィンが微笑む。それは胸が苦しくなるような微笑みだったので、ローゼは言いかけた言葉が出なくなった。
「もう時間だね。行った方が良い」
「……アーヴィンは?」
ローゼは思わず左手で彼の手を取る。なぜだか離してはいけない気がした。
それを見たアーヴィンは目を閉じる。少しばかり葛藤しているようだった。
しかし、小さく息を吐いて目を開くと、結局はやんわり手を離す。ローゼの銀の鎖が、しゃら、と音をたてた。
「そうだね、私も……。つきあってくれてありがとう、ローゼ。楽しかったよ」
アーヴィンはそう言うと、ローゼの肩を回して背中を押す。
少し先で振り返った神官の、ファラー様、という焦った声に促されて、ローゼは大広間へ向かった。
途中で一度振り向くと、白いドレスの女性がアーヴィンに何か言っているようだったが、うつむいている彼の表情は窺えなかった。
【……変だったな、あいつ】
右手で持ったままの聖剣から戸惑ったようなレオンの声が聞こえた。
「うん。なんか嫌な感じがする」
【そういえばさっき、俺をあいつに預けただろ? あのとき、神殿騎士と一緒に妙な会話をしてたんだよな】
「妙な会話って?」
【あー、なんだ……王都を避けてるとか、会うとか、どうせ来ないとか、なんかそんな感じの……】
「なんでそれを今言うのよ!」
思わず大声になってしまい、世話係の神官がぎょっと振り向く。
「すみません、なんでもないです。……とりあえずその話が関係してるのかな。ええと神殿騎士って言うと、ジェラルドさんよね。どこにいるんだろう」
世話係の神官を抜いて大広間に入ったローゼは、中にほとんど人がいないことに気が付く。
残念ながらジェラルドの姿も、フェリシアの姿もなかった。
来た道を大股に歩きながら、馬車が見える辺りでようやく隊列の後ろのほうにジェラルドの姿を発見した。
通りすがりに名前を呼ばわると、周囲の人物もローゼを見るが、ジェラルドもこちらを見る。
ローゼの表情に何かを感じたらしい彼は、目を合わせると小さくうなずいた。




