余話:夜の花畑 2 【挿絵あり】
エリオットの開けた扉をするりと抜けて、ローゼが道へ出る。
「誰かに見つかったら面倒だもの、こっそり行くわ」
宴の参加を断る形になったエリオットにとって、彼女がそう言ってくれるのは助かった。しかし歩き出そうとした途端、ローゼにマントを引っ張られる。
「ちょっと。駄目よ。アーヴィンはあたしの後に着いてきて」
「……林への道は私も知っているよ」
「やーね。こっそり行くって言ったでしょ?」
振り返ったローゼはつんと顎をあげて指を振り、諭すように言う。
「村のことはあたしの方が詳しいの。アーヴィンはおとなしく着いて来てちょうだい」
年下の少女に先導されるのは落ち着かないが、村へ来て半年程度のエリオットがローゼより道を知らないのは事実だ。仕方なく後ろから着いて行くことにしたのだが、結果としてはローゼの意見が正しかった。
大半の村人は広場の宴に参加しているはずだが、誰ひとりとして道を通らないというわけではない。ローゼもそれを分かっているのだろう、時々立ち止まって考えては、エリオットの知らない細い道や、遠回りとも思える道を行く。勝手にどこかの庭へ入ったときはさすがに面食らったが、ともあれ誰にも見つかることなく林へ到着できた。
ただ、その分だけ時間もかかっているため日は完全に落ちている。林へ入る前にローゼはカチリと小さな音をさせて明かりをつけ、エリオットの足元を照らしてくれた。
暗い林の中を小さな明かりだけで歩くのは思った以上に困難だった。木の根や石に足を取られないよう注意しながら下だけを向いて歩いていると、やがて前方が明るくなる。同時に甘い香りが漂ってきた。
だんだんと濃くなる香りは花のもののようだ。確かこの先には開けた空間があるが、そこは一面の草があるばかりで花が咲いていた記憶などない。
どういうことだろう、と思いながら木々の間を抜けきって顔を上げ、エリオットは息をのんだ。
記憶の中にある草の緑は姿を消し、白い花が今を盛りとばかりに咲き乱れている。冴え冴えとした夜の光を弾く花は銀色に輝き、まるで鏡面か、あるいは――精霊たちの群れのようだ。
あまりに幻想的な光景を目にして、エリオットはまるで夢の中にいるかのような心地になる。
「すごいでしょう?」
はっとして横へ顔を向けると、嬉しそうなローゼがエリオットを見上げていた。
「……あ、ああ。すごいね」
「これね、秋の夜のほんの何日かだけ咲く花なの。あたし、アーヴィンに絶対見せてあげようって思ってて――ほら、来て! 中へ入るともっとすごいんだから!」
エリオットの足元を照らしながらローゼが花畑に入る。彼女に続き、エリオットも花の中へ足を踏み入れた。
ローゼの言った通り、中は外側で見るよりも素晴らしかった。
花の咲く空間は広くはないのだが、林に囲まれた空間が一面花ばかりとなっているおかげで、思ったよりも「花の中にいる」という感覚が強い。何より花の芳香に取り巻かれるおかげで、まるで全身を花で包まれているかのような気分になる。
(ああ……)
大きく息を吐いて天を仰ぎ、エリオットは目を閉じた。
花の香りと、木々のざわめき。
そして、南寄りの王都にいるときには感じられなかったもの――濃い秋の気配は、遠く離れた北の地を思い出させる。
エリオットにとって故郷とは決して慕わしいものではない。
思い出すのは押さえつけられる閉塞感と、周囲から向けられる冷ややかな視線。
しかしその中にあって、精霊の存在だけは例外だった。
彼らがいてくれたおかげで、エリオットはどれほど慰められたか分からない。
この場所には、北の地と同じ息吹があった。
もちろんエリオットが顔をそむけたくなる方ものではなく、精霊たちの息遣いが感じられそうな、遠いあの地の懐かしさだけを持ってきたような、そんな空気だ。
(……こうしていると、精霊たちの声が聞こえてきそうだ……)
今にも精霊たちが「今日も来てくれたんだ」「一緒に遊ぼう」「聞いて聞いて、話を聞いて」と話しかけてくるように思える。
好奇心旺盛で、お喋りな、エリオットの友。
――友、という言葉がよぎると同時に、精霊のものではない、溌剌とした声が耳の奥で響いた。
「友達になってあげる。よろしくね、アーヴィン」
村祭りの日、初対面の時から半年ぶりに顔を見せた少女はそう言ってくれた。
――その彼女は今、ここへ一緒に来ている。
エリオットは慌てて目を開けた。
周囲を見回すと、ローゼはエリオットの右隣で花を見ていた。
「ローゼ、ごめん!」
「んー? なにが?」
さぞや怒っているだろうと思ったのだが、のんびりとした返事には腹を立てた気配がない。それでもエリオットは言い訳がましく返す。
「せっかくここへ連れて来てくれたローゼをおざなりにしてしまった」
「なんだ、そんなこと?」
くす、と笑ってローゼは続ける。
「あのね。あたしはこの花畑をアーヴィンに見せてあげたかったの。いつ咲くかなって思いながら毎日確認してたのよ。だから、喜んでもらえてすごく嬉しいわ」
ローゼは細めた目で、エリオットの顔を覗き込んでくる。
「つまり――ええと、お疲れ様、アーヴィン」
その瞳を見てエリオットは理解した。
ローゼがわざわざ今日この場へ連れて来たのは、初めて結婚式を執り行った友人に対する、彼女なりの労いだったのだ。
皆の居る広場に連れ出すわけでもなく、多くの人と来るわけでもなく。
わざわざこの静かな場所へ案内してくれた彼女の気遣いに、心が少しあたたまった。
「ありがとう。とても良いものを見せてもらったよ」
エリオットが礼を言うと、ローゼはにっこりとする。
つられてエリオットが笑顔になると、彼女は大輪の花と見紛うばかりの鮮やかさで笑い、朗らかな声で問いかけてきた。
「ねえ。結婚式って、神官様が行うんでしょ?」
結婚の話題になって、エリオットの気分は少し下がる。
「……まあ、そうだね」
「だったら神官様が結婚するときってどうするの?」
「他の神官が祭司をすることになるな」
「そっかぁ……じゃあ、うちの村みたいにひとりしか神官様がいない時って困っちゃうね。アーヴィンが結婚する時はどうするの?」
エリオットの心が急速に冷えた。
「――私は、誰とも結婚しない」
余裕のないままに発した声は低く、相手を突き放すかのように固かった。
横でローゼがひゅっと息を吸う。
小気味よい調子で戻ってきた言葉が途切れて、途端にエリオットは後悔した。
ローゼの質問はあくまで無邪気なものであり、決して悪意があったわけではない。そもそもエリオットの事情など彼女には何の関係もないのだ。
何か言おうと考えたとき、先にローゼが口を開いた。
「ええと……うん、分かるわ」
腕組みをした彼女は、視線を下に向ける。
「結婚はひとりじゃできないものね。まずはいい相手がいないと。あたしもね、誰と結婚するんだろうって考えたことはあるんだけど、村にいる連中はなんか違うなーっていう感じで……あ、この話は皆には内緒……と思ったけど、やっぱりフォルカーにだけは言ってもいいわ。あいつとの結婚だけは死んでもないし、そもそもあいつが気を悪くしたってあたしは全然心が痛まないし!」
ローゼの口調は早く、どことなく芝居がかっていて、体にも力が入っていた。
どうやらエリオットの態度が彼女を緊張させてしまったようだ。
申し訳なく思いながら、エリオットはポンと1回、ローゼの背を叩く。
見上げる彼女の口元は緩く上がっているが、瞳は不安そうに揺らめいていた。
なんとか安心させようと、エリオットはできるだけいつものように微笑う。
「ローゼだって、今すぐに相手を選ぶ必要はないのだろう?」
「……え?」
「例えば、まだ会っていない人物と結ばれる可能性だってあるはずだよ」
しばらくぱちぱちと瞬かせていたローゼは、安堵した様子で「そうよね!」と叫んだ。
「未来がどうなるかなんて、まだ分からないものね!」
赤い瞳には神殿を出る前に見た勁い輝きが浮かんでいる。その光の眩しさに目を眇めながらエリオットはうなずいた。
きっと彼女は心に秘めた望みがある。
これほどの輝きを見せる望みだ。確かに、ローゼの未来がどうなるのかはまだ分からない。
エリオットに未来はない。だが、ローゼの行く先には光が溢れていて欲しいと思う。
そう思って、気が付いた。
――結婚式の時も、同じようにすれば良い。
自分がどうであるかなど関係がない。葛藤などおいておき、ただ目の前にいる相手の未来が明るいことを願い、祈る。ただ、それだけで。
(……ああ……私は、なんとも未熟だ)
次があるかどうかは分からないが、もし次に式を執り行う時はもう少しうまくできそうだ、と思えた。わずかではあるものの、心は軽くなった。
傍らへ顔を向け、エリオットはもう一度礼を述べる。
「ローゼ。連れて来てくれてありがとう」
「気に入ってくれた?」
「もちろん」
「良かった! じゃあ、勝手に神殿へ入ったことは許してくれるよね?」
問われてエリオットは、返事がまだだったことを思い出した。
「そうだな――それとこれとは話が別だな」
「え」
目をぱちくりとさせるローゼに向かい、眉間に力を入れてみせる。
「明日また神殿に来なさい。今度はきちんと、表から」
「……あ、あの……どういうこと……?」
「ローゼが来るまでに、罰を考えておく」
「ええええ!」
周りの木々が少女の悲鳴を反響させた。
「なにそれ! ひどい! アーヴィンの意地悪!」
「意地悪で結構」
顔だけは渋面のままだが、心はもう、穏やかに凪いでいる。
少女との他愛もないやり取りは、エリオットにとって思いのほか楽しかった。
この花畑へ来たのは、暗い部屋の中でぼんやりするよりもずっと良かった。
自分の気持ちを確認して、エリオットは表情を緩める。
「さて、行こうか」
「……どこへ?」
「村の広場へ」
表には出さないようにしていたが、エリオットが暗い気分で結婚式を執り行っていたことは事実だ。
少しは明るい気分になった今、改めて今日の主役たちに寿ぎを送りたい。
「せっかくの祝い事だからね、村に居るものはできるだけ顔を見せるべきではないかな」
ローゼはエリオットの言葉を聞いて意外そうな面持ちを見せた後、大きくうなずく。
「そうね! あたし、広場への近道も知ってるの! 案内してあげる!」
弾んだ足取りで歩き始める彼女の後ろに着くと、小さな呟きが聞こえる。
「……まあ、罰を受ける価値はあったってことかな」
「なにが?」
「んんーん、なんでもなーい。――あっ!」
「ほら、気を付けないと転ぶよ」
倒れそうになった体を腕をつかんで支えると、ローゼは大仰な笑みを見せる。
「しっかり見ててくれてありがとう! さすがアーヴィンね、頼りになるわ!」
「世辞を言っても明日の罰は無くならないよ」
ローゼは小さく「うう」と呻いて口を引き結んだ。どうやら図星をさされたらしい。改めて前を向く彼女の足取りが力無くもしっかりしているのを確認して、エリオットはもう一度振り返って花畑を見る。
いつも必ず心のどこかで燻っている「北へ帰らなくてはいけない」という気持ちは、今はどこを探しても見当たらない。
あるのはただ「できたら毎年、ここで花を見られたらいい」との思いだけだ。
もちろん叶わぬことだ。エリオットはいつか北へ戻る。だが分かっているからこそ、この香りのような甘い幻想に少しのあいだ心をゆだね、空想の姿を描いてみた。
小さな明かりが照らす花畑に立つ、何年か後の、自分とローゼ。
――もしも空想が現実になったその時は、彼女と精霊の話をしてみるのも、楽しいかもしれない。




