4.希う未来 【挿絵あり】
ローゼは本を読むのが好きだった。
書いてあったのは、たくさんの人々のことや、村にない建物のこと。土地によって違う気候や、見たこともない大きな山や川、広い湖など。
本のページをめくる手を止めては想像し、「実際に見てみたいなあ」とため息を吐いたものだ。
さらにローゼは、精霊と呼ばれるものの存在も知った。
昔は各地にいたものの、今はもういないのだと本には書いてあった。
(でもどこかに、生き残りがいたりしないのかな)
あるいは伝承くらいなら残っているかもしれない。
多くの人に会い、土地ごとの建物を見ながら、気候の違いを感じ、雄大な景色を楽しみ、そして精霊の物語を探す。
(絶対楽しいに決まってる!)
思いを誰かと共有したくて、家族や友人にこの夢を話してみたこともある。しかし、ほんのさわりを話したところで誰もが一笑に付し、真面目には聞いてくれる人はいなかった。
笑われて揶揄されるばかりなら、話をする必要などない。
ローゼは次第に自分の夢を口にすることがなくなっていった。
それでもローゼは村の中で変わり者だと噂されていた。
一度ついた「本を読んでは妙なことを考える娘」という印象は、なかなか消えることがなかった。
だからローゼは、以前のアーヴィンの気持ちが何となく分かる。
グラス村の北の森には精霊がいる。
それを彼は自分の胸の内にだけおさめ、誰にも話すことがなかった。そもそも彼の口からは、精霊に関するどんな話もローゼは一度も聞いたことがなかった。
彼が精霊の話をしなかったのはもちろん、出身地の影響もあるだろう。
古の大精霊や精霊が守っていたアストラン北方地域は魔物が極端に出にくい。北方が排他的な土地となっていたのは、神殿がその秘密をずっと知りたがっていたことも理由のひとつとなっている。だから北方の人々は精霊の存在をひた隠した。
しかしアーヴィンが、一般的に知られる精霊のことですら語ることがなかったのは、きっとそれだけではない。
ローゼは知っている。ほとんどの人は精霊を「おとぎ話」だと思っている。
アーヴィンにとって精霊は友人だ。そんな大事な相手のことを「おとぎ話」だと笑われてしまうのなら、言いたくなくなるのは当然だと思う。ローゼが自分の夢を、誰にも話す気がなくなったのと同じように。
(本当は、精霊だってちゃんといるのにね)
精霊は存在する。
主にアストラン王国のシャルトス領に。そして、フィデル王国の全土に。
神殿を排除するシャルトス領はともかく、フィデルには神殿と精霊が共に在る。それを知った時、ローゼは夢のようだと思った。
人間と神殿と精霊が手を取り合って暮らせる、素晴らしい国がここにあったのだと。
――実際には、それぞれが反目し合う国だった。
現実を知ってローゼは落胆し、失望した。
(なんで仲良くできないんだろう。だって地上に現れた魔物は、人間も精霊も関係なく襲うのに)
人間は魔物の干渉を受けて黒く染まる。
精霊も魔物の干渉を受けて黒く染まる。
人間は黒く染まっても元に戻ることができる。神の力を使うことができるためだ。
一方で、完全な地のものである精霊は、天のものである神の力を使えない。黒く染まったら魔物になるのを待つばかりだ。
フィデルで初めて迎えた冬のあいだ、ローゼは山の精霊と話をした。
ローゼやレオンの側からもたくさんの話を聞かせたが、山の精霊もたくさん話を聞かせてくれた。彼の話は自然に関わるものが主だったが、ほかにも彼の下から他の場所へ行った精霊たちのことや、人間との関わりについても聞かせてくれた。それらを聞きながらローゼは思った。
(あたしの他にも、精霊を浄化できる人がいたらいいのに)
ローゼは聖剣を使って精霊を浄化することができるが、精霊たちの浄化ばかりをするわけにはいかない。アストラン王国に所属する聖剣の主である以上は、アストラン大神殿からの指示に従って動く必要だってあるのだ。
他の聖剣が瘴穴を浄化できるのは、南方でマティアスが赤い花畑を消したことで実証できている。
ならばきっと他の聖剣も精霊を浄化できるはずだが、残念ながら精霊を浄化するためには聖剣の主が精霊を認識する必要がある。つまり聖剣の主が精霊に関する力を備えていなくてはならないのだ。
神々によって選ばれる聖剣の主が精霊の力も備えているなどずいぶんと低い確率で、とても現実的ではない。そもそもフィデルの聖剣の主は精霊のために動くことなどないだろう。
何か方法はないだろうかと考えていたある日、ローゼはふと気が付いた。
(……もしかして、神官の浄化は精霊にも効果があるんじゃないのかな)
黒く染まった人がいた時、神官は聖句を唱えて浄化する。
もしも同じことができるのならば、ローゼが聖剣を使わずとも、精霊は神官によって浄化できるかもしれない。
ただし、神官が浄化するときは相手に触れる必要がある。
精霊を浄化するときも触れる必要はあるだろうが、フィデルならば精霊の力を持つ神官だっているかもしれない。それは精霊の力を備えた聖剣の主を探すよりもずっと容易いことのように思われた。
山の精霊の下から人の世へと戻ってカーリナと会ったローゼはさっそく「精霊の力を持つ神官はいないのか」と尋ねてみた。彼女からの答えは簡潔だった。
「いないと思います」
ローゼの聖剣に輝く赤い花へちらちらと視線を向けながら、フィデル王国の筆頭術士は続けた。
「精霊の力を持った人間というのは『特別な力を授かった特別な存在』です。術士というのはそんな限られた一握りの者だけがなれる栄誉ある職ですから、誰にでもなれる神官をわざわざ選んだりはしないはずです」
結局はフィデルにおける神殿と術士の反目が浮き彫りになっただけだった。「なんてくだらない」と心の中で叫び、「分かりました」とローゼは答えた。
「本当にいないのかどうか、私がフィデルを巡って確認してきます」
本当はローゼだってすぐにでもアストランに、グラス村に、アーヴィンの元に帰りたい。
しかしこんな中途半端なままでは、帰ったところで後悔をしそうだった。
「せっかく山の精霊が友達になってくれたんだもの。あたしにできることがあるなら力になりたい」
【それはいいが、どのくらいの期間フィデルにいるつもりなんだ?】
「うーん……できればフィデルの神殿全部をを巡ってみたいけど……」
【全部だと?】
ローゼをフィデルへ向かわせたのはアストラン大神殿だ。
大神殿の役目という名目でフィデルを巡れば良いのだから、長期の滞在は問題がない。だが。
【それはどのくらい時間がかかるんだ?】
「……どのくらいの時間がかかるんだろうね」
【……なんと言うか……お前も損な性分だな】
苦笑しながらも、レオンはローゼに付き合ってくれた。
セラータはもちろんのこと、メラニーも一緒に来てくれた。
さらに、行く先々ではなぜかダリュースの姿も見かけた。
彼はある日ローゼの前にふらりと現れて、フィデル内の情報――特に神官の情報が多かった――を聞かせては去って行く。
少々悔しいが、彼のおかげでフィデルの国内を巡るのがかなり楽になったのは事実だった。
何となく彼は、誰かの命を受けてローゼの所在をさぐり、そのついでに手持ちの情報を与えてくれているような気がした。いろいろと背後事情は気になったが、ローゼは最低限の注意だけ払い、あまり深くは考えないようにした。
フィデル内を巡り始めて困ったのは、立ち寄った神殿に、貴族の屋敷や王宮からの招待状が届くようになったことだ。
内容は主に、晩餐会や舞踏会への誘いだった。どうやら神殿側――ひいては国王である聖剣の主ヴァルグも、ローゼの行動については考えることがあったのだろう。
断るのは簡単だが、そうなると神殿側の人々に「あの娘は術士側にだけ肩入れをしている」と取られかねない。
どちらとの関係も維持する必要があるローゼは、渋々ながら出席の返事をするしかなかった。
出向いてみると華やかな場には貴族の青年が何人もいて、ローゼの周りを取り巻き、口々に褒めそやす。
「なんとお美しい方だ」
「見事な色の髪と瞳ですね」
「あなたのように素敵な方がこの世におられるなんて!」
「どうか私と踊っていただけませんか」
「よろしければこの後、庭園の散策をご一緒に」
笑顔で応対し、失礼にならない程度に付き合って、最後には全員にきっぱりと断りを告げる。あちこちに気を使う必要があり、ローゼは毎回ぐったりと疲れるのだった。
「あの人たちも国王から命令されてるんだし、必死になるのは分かるけどさぁ……今回も大変だったわ……」
【そう言ってやるな。中には本気でお前に惚れてそうな奴もいたぞ】
「レオンったら単純ね、あんな見え見えの演技に騙されてどうするのよ」
レオンの含み笑いを聞きながら左手首にある銀の腕飾りを握り、ローゼはいつもグラス村に思いを馳せた。
こうして時は過ぎ行き、ローゼは最初にカーリナが言った通り、精霊の力を持つ神官はいないということが分かった。
「山の精霊の祝福を得た娘が精霊たちを浄化し、フィデルに幸いをもたらしている」
そんな噂があちらこちらで聞こえるようになった頃、ローゼはようやく、フィデルを発とうと決意した。
* * *
「フィデルを回ってる時にも、山の精霊とは何回か会ってるんだけどね。最後に会いに行った時は、長々と引き止められちゃって……」
そこまで話したところで、ローゼは噛み殺せなかった欠伸を漏らす。
村の皆が結婚の前祝いとして贈ってくれたという寝台は広く快適で、何よりアーヴィンの腕の中は温かくて心地良い。帰ってきたばかりの疲れた体は徐々に眠りへと誘われ、重くなってきた瞼は開くことができなくなってきていた。
うとうとするローゼの耳元でアーヴィンが囁く。
「そろそろ眠ろうか、ローゼ」
「ええー……だってまだまだ、話したいことが……ふぁ……」
言いながらもまた欠伸が出た。
小さな笑い声の後にアーヴィンの手がローゼから離れる。彼が身じろぎをすると室内が暗くなった。きっと近くの明かりに覆いをかぶせたのだ。
戻ってきた大きな手が、ローゼの髪をゆっくりと梳る。
「また明日。話を聞かせてくれるね?」
「また、明日? 話、聞いてくれる?」
「もちろん。たくさん聞かせて欲しい」
アーヴィンの答えを耳にして、ローゼは彼の胸に顔を埋める。
(また、明日)
明日もアーヴィンがいる。アーヴィンに会える。
(嬉しいな)
明日になったらローゼは、彼に今の話の続きをするつもりだ。
(あのね。あたし、アーヴィンにお願いがあるの。今度どこかで黒く染まった精霊に会ったら、浄化の聖句を使ってみてくれる?)
フィデルに精霊の力を持つ神官はいなかったが、アストランにはいる。
今ここに。ローゼの隣に。
(もしもアーヴィンが精霊を浄化できたら、あたしはいつかシャルトス領とフィデルで、精霊の力を持つ人たちにお願いするわ。術士じゃなくて神官になる道も考えてください、黒く染まった精霊たちを浄化してあげてください、って)
神官が精霊を浄化できるようになれば、たくさんの精霊が救われる。
(今のアストランには精霊がほとんどいないでしょ。シャルトス領と、グラス村くらいよね。でも、神官が浄化できるようになれば、精霊たちは黒く染まっても消えなくて済むわ)
そうすれば精霊の数は増え、やがては他の場所でも見られるようになるかもしれない。
地に精霊の力が満ちれば、精霊の力を持つ人も増える。精霊が見えていることをひた隠す人はいなくなる。
たくさんの人が「精霊はいる」と考えるようになってくれたのなら、精霊の話をしても「おとぎ話」と言われなくなる日が必ず来る。
(聖剣の主になったおかげで、本を見てただけの頃の夢はたくさん叶ったわ。だからね、次は……)
シャルトス領やフィデルを見て思った夢が、いつの日か現実になってほしい。
人間と精霊が当たり前のように隣にいて、神殿側と術士たちが手を取り合う国。
(……アストランが、そうなったらいいなあって思うの。いつになってもいいから。……あたしが居なくなって、うんと経ってからでもいいから……ね……)
思いながら、ローゼは眠りに落ちてゆく。
――明日。話を聞いたアーヴィンはなんと言ってくれるだろうか。
* * *
小さな寝息を聞きながら、ローゼの奥底で彼女は微笑む。
(ずっと昔に女王が作ってくれた国みたいね。私もまた、そんな国を見たいわ)
最初はローゼに負担を掛けないよう眠り続けていた彼女だったが、山の精霊に話しかけた時の要領を少しずつ思い出し、最近はどこまでならローゼの体に負担を掛けず目覚めていられるのかを把握できるようになっていた。
もちろん、聖剣に宿る存在がそうしているように、例え目覚めている時間でもいろいろと配慮をするつもりだ。自分は気にならなくとも、人間は気にするものだと彼女は知っている。
何しろ彼女は、長い時間を人と共に過ごしてきたのだから。
今後も、できればに人間と共に人の世で過ごしていきたい。
彼女が黒く染まることを懸念する”偉大な山の存在”は反対するだろうが、彼女にはとっておきの考えがあった。
(聖剣があるわ)
レオンは言っていた。
【この聖剣は歪んでいる。地のものを取り込まなくては存在ができなくなっているんだ】
ローゼが持つ聖剣には地のもの、つまり精霊の存在が不可欠だ。しかし、宿る精霊がレオンでなくてはならない、というわけではないはずだった。
(――きっと、私でもいいはずよ)
ずっと木に宿っていた記憶を持つ彼女は、聖剣に宿ることが苦にならない。むしろ動くことができるようになった分、木に宿るよりも楽しいだろうとさえ思っていた。
レオンには人の気配もあるのだと偉大な山の存在は言っていた。ならば聖剣から解放されたのなら、彼は天へ戻ることができるかもしれない。どうなるのかは実際に離れてみないと分からないが、彼女にはレオンが天へ行けるだろうという確信めいた思いがあった。
もちろんレオンは提案に難色を示し、「ローゼがこの地に居る限り聖剣の中にいる」と言うだろう。しかしローゼが世を去るときという条件ならば、きっとレオンはうなずいてくれる。
例え彼が了承したとしても、どうやって彼女が聖剣に宿るのか、どうやってレオンを聖剣から出すのか。問題はいくつかある。その辺りも含めてローゼやレオン、山の存在とも相談をしなくてはならない。
(でも、きっとうまくいくわ)
そして首尾よく聖剣に宿る存在となれたなら、彼女には考えていることがあった。
(私は、名を名乗りたい)
古の大精霊、といった呼び名ではなく、きちんと個を現わす名前。
――そのときに呼ばれたい名前はもう、心の中にある。
許可を求めたならば、本人は照れて嫌がるだろう。
だが、傍にいるふたりの男性が「良い名を選んだ」と後押ししてくれる。最終的には本人も折れてくれるはずだ。
(だからどうか、あなたの名前を使わせてね)
居なくなった後でも、皆の記憶にその名を留めておけるように。




