3.時を経ても 【挿絵あり】
できるだけ早くふたりを一緒に居させてやりたいとレオンは思ったし、どうやら周囲もそう思ってくれたようだ。
「アーヴィン様によろしく、って言うイレーネに追い出されちゃった」
と、早々に神殿へ来たローゼは、
「セルザム神官とビセド神官が『後は任せて欲しい』と言ってくださってね」
と、予定時間よりかなり早く神殿を退出したアーヴィンと共に、神殿の敷地内にある離れの一部屋で話をしていた。
普段着姿のローゼはアーヴィンの手で髪を下ろしてもらい、旅の最中にはしなかったあどけない表情も見せている。
同様に、神官服を脱いでシャツとズボンだけになったアーヴィンも、ゆったりとして気の置けない様子だ。
どこへ行くにもずっと、それこそアストラン大神殿の中ですら影のように付き従っていたメラニーですら「ご用の際にはお呼びください」と言って、神殿内の客室に下がっている。レオンたち精霊を除けば人間は誰もいない空間で、並んで長椅子に座るふたりの周りには優しく穏やかな空気が流れていた。
「――それでね、山の精霊は指輪に嵌まってた石を術士たちから取り上げたみたい。人の世にある石はもうこれだけだ、って言われたの。ね、レオン」
【ん? ……ああ、そうだな。戻ってきたローゼを最初に見た術士どもの顔もすごかったが、石を見た時の反応もすごかったもんなあ】
少々意地の悪い気分になったレオンが言うと、当時を思い出したらしいローゼもニヤリと笑った。
「そうなのよ。術士から見たらあたしって『山の精霊から石を直々に、しかも特別な加工までして贈られた人物』でしょ? あたしの機嫌を損ねたら山の精霊が何かするんじゃないか、って終始びくびくしてたよね」
【ローゼがいない間の術士たちは、民や神殿からずいぶん責められてたらしいし、やつらの態度も分からんでもないが】
「まあねえ。……そのせいでどっちかっていうと、術士たちよりも神殿側の方が厄介だったよねえ……」
「厄介だった?」
ため息まじりに呟いたローゼの言葉をアーヴィンが聞き返す。
「あ、うん。でも、大したことないの。それにほら、結果としてはアストランのためにもなったから、ね」
慌てて誤魔化すローゼに視線を送られて、小さく笑ったレオンは話に乗る。
【確かに、大神殿長も満足してたみたいだったな】
ローゼをフィデルへ送るよう提案したのはアレン大神官だが、提案を承認したのはデュラン大神殿長だ。
おそらく彼は、ローゼには魔物討伐の役目を負わせるより、人と会わせたり見聞を広めたりといった方向の経験を積ませるべきだと考えたのだろう。
結果的にその判断は正しかった。
山に宿る偉大な存在と友誼を結んだローゼに対し、カーリナは全面的な協力を申し出た。カーリナの協力を得たということは術士全体がローゼに協力すると決めたも同然であり、おかげでローゼはフィデル国内でかなり自由な行動ができるようになった。
これはレオンとローゼの目論見通りでもあった。
「でしたらしばらく、フィデルの国内を巡らせてください」
そう言ったローゼに対してカーリナは意図を尋ねたが、ローゼは「見分を広めたいから」としか答えなかった。
怪訝な様子も見せたカーリナだったが、背後にいる存在を恐れて強く出ることができなかったようだ。最後には彼女がうなずいたので、ローゼは大手を振ってフィデル国内を見て回れることになった。
フィデル国内を巡りながら、ローゼは精霊の浄化も始めた。おかげで精霊たちはローゼに対してずいぶんと好意的になり、術士の間でもローゼの評判は上々のものとなった。術士からしてみれば精霊というのは自分たちの権威の元なのだから、精霊の存在を守るローゼの評判が良くなるのは当然かもしれない。
これで、術士側に関しての問題はほぼ無くなった。
一方、対立する神殿側がどのような態度に出るだろうかとレオンは懸念していたのだが、どうやら神殿側もローゼに擦り寄る方向で動くと決めたらしい。精霊の恩恵には神殿側も与っている。完全に排除するのは得策ではないと思ったのだろう。
妨害がないのは助かったが、代わりにローゼは各貴族の屋敷や、聖剣の主でもある国王・ヴァルグの宮殿へ何度も呼ばれ、幾人もの若く見目好い男性と会うことになった。
おそらくヴァルグは、誰かに惹かれてローゼがフィデルに留まってくれたら儲けものだとでも考えていたのだろう。
「また誘いかあ。やだなあ。今回は何人の男が待ってるんだろ」
【そういう妙な発言はどうかと思うぞ】
招待されるたびにローゼはうんざりしていたようだが、下手に断ると術士側に肩入れしていると判断されかねない。
神殿側から睨まれないようにするためにも仕方なく出席しては愚痴をこぼし、そのたびにレオンが慰める羽目になっていた。
実を言えばローゼがすぐにアストランへ帰らなかったのは、術士のためでも、神殿のためでもなく、はっきり言ってしまえばフィデルのためですらもない。
彼女は彼女なりに考えていることがあったためなのだが、いずれにせよ取った行動が国のためになったこともあり、フィデルは全力でローゼを支援することにしたようだ。
フィデルがアストランに便宜を図ると約束したのは、そんな裏があったことにもよるものだった。
便宜を図ると言っても、正式な協議がなされていない今はどんな話に転ぶか分からない。ただしどうであっても、フィデル側がアストラン側に対して有利な条件を提示するはずだ。
それは術士側と、神殿側――というより、神殿側の裏にいる国王派との間で行われている勢力争いが影響しているのだが、いずれにせよこの事態の中心にローゼがいることは間違いなく、アストランからすれば、ローゼが他国において重要人物になったとしか見えないのもまた事実だ。
(……ってのに、ローゼはどうにも事態を深く考えてないというか……間が抜けてるというか……)
ここまで来てもローゼは、自分が特に何かをしたとは考えていない。今回も「山の精霊が態度を変えてくれたおかげでフィデルも変わった」とだけしか思っていないのだ。確かに間違いではないのだが、そこへ至るまでの過程に自分が関わったことがすっぽりと抜け落ちている。
おかげでアストランの王都に戻った時、せっかくデュラン大神殿長から内々に「ファラー殿に特別な報奨を与えようとの計画がある」と聞かされたというのに、ローゼは「でしたら、長い休みがもらえるよう取り計らっていただけますか」と返した。
「3か所で結婚式を挙げる約束をしたんです。故郷の村と、王都と、北方のシャルトス領と。だから今、一番うれしいのは休みをいただけることなんです」
そんなことで良いのか、と笑った大神殿長からは翌日「長期に渡って遠方での任務に就いてもらったため、しばらく大神殿の任務からは外す」旨の連絡が届いた。
もっと良いものをもらっても良かったのにとレオンは思うが、当のローゼは「見てよレオン! やったわ!」とはしゃいでいたので、これはこれで構わないのだろう。
おかげでローゼはまず、グラス村で結婚式を挙げる。
明日からのローゼは、ようやく結婚式に向けて動くことができるのだ。
「長く帰ってこられなくてごめんね。アーヴィンはあたしがいない間、不安じゃなかった?」
「ローゼが生きている限り不安はないよ。でなければ『ローゼのことは任せろ』と言ったレオンにも失礼だろう?」
【……そりゃ嫌味か】
「まさか。レオンに対して嫌味など申しません」
レオンが「嘘つけ」と返しても、アーヴィンの澄ました顔は揺らがない。
そこへローゼが、アーヴィンの袖を小さく引いた。
「あたしが生きてる限りってどういうこと? もしかしてアーヴィンは、あたしが遠くにいても生きてるかどうかが分かるの?」
「分かるよ」
ローゼが目を見張る。輝くその瞳を見れば、彼女の考えは良く分かった。可愛らしい夢をそのままにしたい気もするが、レオンは笑って訂正をする。
【残念だが、愛の力とかそういう話じゃないぞ】
小さく呻いたローゼは口を尖らせ、じろりと聖剣を睨みつけてきた。
「……なんでレオンが答えるのよ」
【それは俺も、アーヴィンが生きてるかどうかが分かるからだな】
途端にローゼが妙な顔をして、聖剣とアーヴィンとの間で視線を往復させる。どうやらレオンにとってあまり愉快でないことを考えているようだ。アーヴィンもレオンと同じ感想を抱いたのだろう、彼女が何かを言う前にとばかりに、さっさと自身の左腕を差し出した。
「これがあるからね」
アーヴィンが見せたのは銀狼の毛だ。
3年前、銀狼からもらった1房の毛はローゼの手によってふたつに分けられ、ひとつは聖剣に、もうひとつはアーヴィンの左手首に結ばれている。
「これは銀狼の力の一部だ。この力をたどれば、ほかの力が地にあるかどうかが分かる」
「あ……ああ……そういうこと。確かに聖剣は、あたしが生きてる限り地上にあるもんね。……そっか、すごいな、こういうこともできるんだ。精霊の力には、人に知られてないものがまだまだありそうね」
「……精霊だけではないよ。神の力もだ」
言って彼は表情を引き締める。
「おいで、ローゼ。見てほしいものがある」
アーヴィンに続き、首を傾げたローゼが立つさまを、レオンは長椅子の前にある机の上から見ていた。
部屋の端へ移動したふたりはレオンに背中を向けているため、何をしているのかは分からない。ただ、アーヴィンは書台の引き出しのひとつから箱に入った何かを取り出したようだ。
彼が箱を開いたのか、ごく小さな音がして、ローゼが叫び声をあげた。
「アーヴィン! これ……!」
同時に、ふたりの居る辺りが光で溢れた。
少なくともレオンにはそう感じられた。
その光はなぜか、胸をえぐられるほどに辛く悲しい。長い長い間ひとりでいた孤独感と喪失感を思い出して、レオンの心は冷えていく。
だというのに、光はあたたかく、幸福でもあった。暗く冷えた心が端から溶けて行き、そしてまた端から切なさで心は凍えていく。
ぐちゃぐちゃにかき乱される感情に思考が追いつかず、一体何が起きたのか理解できない。
ひとつ分かっているのは、レオンは今、その光の元にどうしても触れたいということだけだった。
心が焦がれて仕方がないその光があるのは、人ならたった数歩で移動ができる距離。
しかし動けないレオンにとっては、どうすることもできない距離だ。
悔しくてもどかしくて、せめてとばかりに手を伸ばす。
届かない指先に、すべすべとした感触が伝わってくる。
ここが聖剣の中の果て。レオンの世界のすべて。
この先へ行くことはできないのだとレオンは知っている。
聖剣の中で目覚めてから力任せに道を作ろうと、あるいは現実との綻びがないものかと隅から隅まで丹念に探そうとし、やがて完全に諦めるまで何百、何千と同じことを繰り返したのだから。
それでも咄嗟に手を伸ばすようなこともあった。もちろん普段ならすぐ我に返り、手を下ろして自嘲のため息のひとつも吐くだけで終わる。
しかし今回ばかりは自身の気持ちを抑えきれなかった。先へ行きたくて聖剣の果てを必死に叩き、蹴りつける。肉体の無いこの世界では、どれほど無茶をしても痛みは感じない。胸の奥はこんなにも痛いというのに。
(何をやっているんだ、俺は)
ひたすらにもがく姿は傍から見るとずいぶんと滑稽だろう。自分でも何故ここまであの光を求めるのか分からない。それでもレオンは、どうしてもあの光が欲しかった。あれは絶対に自分が手にしなければならないものだと思った。
(誰か――そうだ、ローゼ!)
光だけしか目に入っていなかったレオンだったが、いつものようにローゼに頼むことをようやく思い出した。途中からは外の声を拾うことすらできなかったのだが、ローゼはずっとアーヴィンと話をしていたようだ。
レオンが声を掛けようとしたその時、うなずいたアーヴィンが光をローゼに渡す。
胸に光を抱いたローゼが聖剣を振り返った。
満面の笑みの中、口が「レオン」と動く。
ローゼはレオンの方へ駆け寄り、光を差し出して、そして――。
『レオン』
辺りに黄金の光が満ちる。
『レオン』
光はやがて娘の姿を取った。緑の服を着た赤い髪の娘。彼女が名を呼ぶ。レオンのすぐ近くで。
『レオン』
彼女の肩口で、性格を映したような素直な髪がさらさらと揺れる。
レオンには何が起きたのか分からなかった。
なぜ、彼女がここにいるのか分からなかった。
『レオン。きっと戻ってくるって信じていたわ。ずっと、ずっと、待っていたの』
だが、彼女はここにいる。
震える唇を動かし、レオンは彼女の名を呼んだ。
【……エルゼ】
胸の前で手を組んだ娘は感極まった様子で赤い瞳を細めた。泣くのかと思ったが、彼女は泣かなかった。ぐっと堪えて、レオンを見つめた。
レオンもまた、黙って彼女を見つめた。
彼女はごく近くにいる。触れることができる距離に。
だが、本当に彼女へ触れることができるのだろうか。
迷って、レオンは彼女の腰にこわごわ腕を伸ばす。
これも幻なのではないか。また、すべすべとした手触りなのではないか。
そう思いながらも、優しく、そっと触れる。彼女の細い体を壊してしまわないように。
途端に、手には確かな感覚が伝わってきた。
滑らかではない。あたたかく、柔らかい感触。
――レオンの口から、ああ、とため息が漏れた。
『レオン』
彼女がレオンの頬に触れる。――その手もあたたかく、柔らかい。
【エルゼ】
この気持ちをどう表現して良いのか、レオンは言葉を見つけることができない。
ただ、これほどまでに嬉しく、幸せなことが今までにあっただろうか。そうとだけ思う。
【エルゼ】
そして、もしも。
もしも次に彼女と会えたのなら、レオンは絶対に言おうと考えていたことがあった。
今ここで見上げてくる瞳も、きっとそれを望んでいるはずだ。
【エルゼ。……ただいま】
人だった頃に言えなかった言葉。
400年も前に言うべきだった言葉を、ようやく口にする。
エルゼの瞳にあらわれた光が、紅色の頬を伝った。
『おかえりなさい……おかえりなさい、レオン。おかえりなさい!』
しっかり見ていたいというのに彼女の姿が歪む。目に映すことができなくなった代わりにレオンは、確かなぬくもりを腕の中へ閉じ込めた。
* * *
聖剣の中が見えないローゼには、何があったのかは分からない。
【エルゼ。……ただいま】
ただ、か細く泣きそうな声を聞いて、ローゼはアーヴィンの考えが当たっていたのだと理解した。
邪魔をしないよう、音を立てないよう。そっと身を起こしたローゼは、改めて机の上を見る。
黒い鞘に包まれた聖剣と共に置かれているのは、1枚の葉。
手のひらほどの大きさをした葉は、金の色味を帯びている。
アーヴィンに渡されたこれは、神木の葉だ。ローゼは大神殿でこの葉を見た。――そして、大神殿以外でも。
あれは夢の中でのこと。たった1度だけ帰郷したレオンは、エルゼに会って禁忌の枝を渡そうとする。エルゼは拒否し、激昂したレオンは村を後にした。そのまま北へ向かったレオンは、枝を銀狼に渡して世を去る。
今までは枝ばかりを気にしていたため忘れていたのだが、枝には元々1枚の葉がついていた。レオンとエルゼがやり取りをした際にこの葉が枝から落ちたことはローゼも知っている。
枝には人にも知られた効果がある。
地に根付いて新たな木となるし、加工して身分証とすれば神の世との仲立ちをして神聖術を使わせてくれる。
一方で、葉については何も知られていなかった。ローゼが大神殿の書庫で借りた本にも「葉には特別な効果がないようだ」と記載されていた。
エルゼが枝だけを気にして、葉のことについては言及しなかったのもそのせいだろう。
(……だけど何かしらの効果はあったんだわ。人間には分からないから、効果なしって思われてただけで)
エルゼの魂はもう、天へ上った。彼女がレオンに別れを告げた姿もローゼは見ている。
それでもここにはエルゼがいるようだ。それはきっと、生前のエルゼが葉に残した強い想いのおかげだろうとローゼは思った。
聖剣も、神木の葉も、神に属するものだ。
だからきっと、このふたつの間には何かしらの力が働いて、レオンとエルゼを会わせてくれた。
(そうだと、いいな)
肩にそっと手が置かれる。横を見るとアーヴィンが目配せをしていた。うなずいたローゼは足音を立てないようにして歩き、アーヴィンが静かに開けた扉から廊下へ出て、もう一度室内を振り返る。
机の上で寄り添っているかのような、聖剣と葉。
それらを通してローゼは、幸せそうに笑うレオンとエルゼを見たような気がした。




