23.選んだ答え
ローゼは魂を体へ戻してから山の精霊と話すつもりでいたが、その考えにはレオンが強固に反対した。
【山のお方からはまだ安全を約束してもらってないんだ。もしも何かされたらどうする? 俺はきっと、お前を守れないぞ】
彼の表情は厳しい。
【お前が空から落とされたあのとき、どうやって助けたのか俺は覚えてない。ただひとつ、とにかく必死だったってことだけだ。そんな状態で助かったんだから、あれは奇跡としか言いようのない出来事で――そして奇跡とは、滅多に起きるものじゃないからそう呼ばれる】
不安と懸念が大いに滲む声でそう言われてしまうと、ローゼも「外へ出たい」と強く主張することなどできない。
結局、レオンと共に聖剣の中にいたのだが、これは大いに正しかったのだとローゼはすぐ思い知ることになった。
* * *
――あれから、数か月。
ローゼは小さなため息を吐き、星が瞬く紺碧の空を見上げる。
「今日も綺麗だね」
【まったくだな】
横に座るレオンが、自嘲を含んだ調子で呟く。
【冬の星というのは、秋と違う趣があるもんだ】
「やーね、レオンったら。いつまで冬のつもりでいるの? もうじき春でしょ?」
【ああ、言われてみればそうだった……】
小さくなったレオンの語尾は、先ほどローゼが吐いたものと同様のため息に変わっていった。
山の精霊に「友達になろう」と持ち掛けたのは秋の終わりごろ。
そこからローゼとレオンは、山の精霊と交流を深めるために雑談を始めた。
ローゼとしては数日程度で山の精霊の気持ちを確認できるものだと思っていた。
可であればもちろん良い。もしも不可であったとしても、山の精霊に一時的な安全さえ約束してもらえれば、レオンに魂を体へ戻してもらえる。人の世へ戻ることができる。
ランドビックへ引き上げた後は状況次第でカーリナと会う必要が生じるかもしれないが、彼女がこちらをどう扱うか分からない。できればセラータやメラニーの居場所だけを探り当てて、早々にフィデルから離れたいと思っていた。
北の国は冬が始まるのが早く、本格的に雪が降り始めると旅が難しくなるせいだ。
せめて馬で移動できるうちになんとかシャルトス領へたどり着き、フロランにジェーバー家のことを伝えて睨みをきかせてもらいたかった。
その足で王都へ戻って大神殿へ報告をし、できるだけ急げば、年が改まる頃にはグラス村でアーヴィンに会える。
――だろう、と考えていたのだが。
『星か』
この冬によく聞いた声が辺りを震わせる。
『こうして天を仰いでいると、季節をひと巡りする間に消える星があり、新たな星が誕生していることに気付く。神に近い場所であのように美しく輝くというのに、星々というのは永遠ではないのだ。……ところで、余所の地でも星の見え方は同じであろうか』
「えーと……ちょっと違うかなあ。ね、レオン?」
【確かに。少し違います】
『ふむ。場所によって見える星が変わるというのは興味深い。そもそも私が考えるに、星というのは――』
始まった、とローゼは密かに苦笑した。
ローゼたちが話を始めたばかりの頃、山の精霊はほぼ黙ったままだった。
もしや彼は話をする気がないのだろうか、あるいは人間の絡む話に興味がないのだろうか、と不安に思いつつも話を続けること5日。
『なるほど』
ある話が終わった時、山の精霊は言った。
『同じ大地に生きているというのに私が知らないものはとても多い。確かに、見ているだけでは分からないことばかりだ』
彼はどうやら、ローゼたちが話すことを夢中になって聞いていただけのようだ。
そしてこの時から彼は、好奇心の旺盛さに加えて、お喋りという特性も発揮するようになった。
精霊というのは、好奇心旺盛で、情が深く、そしてお喋り。
この特徴を忘れていたわけではない。
ただまさか、山の精霊も同じだとは思いもしなかった。
彼は一度興が乗るとなかなか話を止めず、状況次第では数日を通して話し続けることもある。
今は魂だけとなっているのでローゼもいつまででも付き合えるが、もしも肉体にいたのなら早々に潰れてしまったことだろう。
(レオンが体に戻るなって言ったのは、正しかったよねぇ)
もちろんレオンはそんなつもりで言ったわけではないはずだが、結果的にローゼが助かっているのは事実だった。
(おかげでこの冬の間は、魂と肉体が別れ別れになったままだったけどさ……)
そんな風に聖剣の中で魂が過ごす一方、ローゼの肉体はというと、相変わらず黄金の光に包まれて地の神殿に横たわっている。
冬の寒風にさらされて凍えてしまうのではないかと危惧したが、レオン曰く神の力が守っているので大丈夫だということらしい。
【……多分な】
やや不安そうに付け加えられてローゼは眉をひそめたが、ここまではレオンの言う通り大丈夫のようだ。日々見ているために変化は分かりづらいだけかもしれないが、ローゼとしては変わった様子はないと思っている。
他の懸念は体の中に残っている大精霊だが、これに関しては大丈夫だと信じるしかない。
(それに……)
森はすっかり雪に覆われている。屋根がないこの"地の神殿"も本来なら雪に埋もれそうなものだが、どういうわけかここでは雪の欠片すら見ていない。一体、どんな不思議によるものだろう。
もしかして山の精霊の心遣いなのか、と思った時だった。
『さて、今度は少し違う話をしよう』
星の話に一区切りついたらしい山の精霊がそう言いだした。
『私は普段、自ら話をするよりも聞いていることの方が多い。精霊の話や動物たちの声、森のざわめき、風や水の音などをな。この場所で静かに自然の営みを感じる日々は悪くないが、こうして語りあうのもまた悪くはないものだ』
彼の声に抑揚がないのは相変わらずだが、話を聞き続けていたおかげでローゼは感情がなんとなく分かるようになっている。今の物言いからは事態を楽しんでいる様子が感じられた。だとすればまたしばらくは語り続けるのかもしれない。
ローゼは「果たして今度の話が終わるには何日くらいかかるだろうか」と考えた。そのせいで、次の言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。
『この冬、我々は様々な話をしたな。だが、まだこの話はしていなかった。――そなたらが精霊を浄化していた理由は何だ?』
「……え?」
持ち出された話題は今回の核心に近い内容だった。ローゼは息をのむ。隣のレオンも小さな声を上げたので、おそらく彼にとっても意表を突かれた形となったのだろう。
いつまでも聖剣の中にはいられないことは、ローゼとレオンにも分かっていた。
そもそも一冬の間ここに居たことだって長すぎたのだ。
空から落ちるローゼの姿はカーリナたちも見たはずだ。きっと、ローゼは死んだものと思われている。
フィデル側も自国へ呼んだ手前、こんなに早くアストラン大神殿には知らせを届けていないだろうが、今頃は「いつ死亡の報告をするべきか」の協議がなされているかもしれない。話の対処をするためには、ローゼがランドビックへ戻る必要がある。
そのためにもいつかは山の精霊に答えをもらう必要はあるが、それは彼の態度を慎重に計った上、人間側から言い出すことのように思っていた。まさか彼の側から問われるなど思っていなかったのだ。
ローゼは慎重に言葉を選ぶ。ここで間違えてしまうと山の精霊の機嫌を損ねるかもしれない。
「うーん……あえて言うなら、あたしたちは浄化ができるから。かな?」
『精霊を浄化することで、そなたらには何か利益があるのか?』
「どうかな。そんなこと考えたことがないから、分からないわ」
『なるほど』
何とかうまく切り抜けられただろうか、とローゼはほっとしたのだが、残念ながら山の精霊は更に畳みかけてきた。
『では、これはどうだ。――そなたは、私がそなたの友となれば精霊たちに良いことがあると言ったな。ならば我々が友とならなかった場合、精霊たちには悪いことが起きるのか?』
途端にローゼは、氷張る湖へ落とされたような気分になった。岩を見つめたまま何も言えなくなったのは、急な寒さで心が凍え、固まってしまったためかもしれないと。
そんなローゼに代わるようにして横のレオンが半ば立ち上がり、「それは」と発した。
【やはり、あなたは、人間のことが……】
しかしその声も、先を恐れるかのように途中でかき消えた。
レオンの危惧していることは良く分かった。考えてみれば当然のことだ。ローゼにとって一冬は長い時間だが、悠久の時を生きる山の精霊にとってはほんの刹那の時でしかない。たったそれだけの時間で、数百、いや、もしかすると千の年の単位で人との付き合いを拒絶してきた山の精霊の考えを覆せるはずなどなかった。
――だが。
ローゼは拳を握った。
逆転の機会はある。
それこそが今だ。
山の精霊に対して返す言葉を選べばいい。
たった一言告げるだけで、すべてはローゼの思い通りになる。
「友達にならなければ、精霊にとって悪いことが起きる。なぜなら自分たちは今後、精霊の浄化をやめるからだ」
そう答えさえすれば、仲間に対しての情が篤い山の精霊はローゼと誼を結んでくれるのだ。
彼に友となってもえらないのなら、交流を深めようと話をしてきた時間がすべて無駄になる。魂が体に戻ることは難しくなるし、もちろん、大精霊のことだって同様だ。
――言うしかない。
見守るレオンの視線を痛いほどに感じる。彼も分かっているのだ。山の精霊に友情を結ぼうと誘ったのは人間であるローゼなのだから、問いに答えるのもローゼでなくてはならないのだと。
意を決してローゼは口を開いた。
「あたしたちが友達にならなかったら、ね。精霊にとって悪いこと――」
一度区切って覚悟を確認し、言葉を続ける。
「――悪いこと。なんて、起きないわ」
この答えはきっと間違いだ。
心のどこかでもうひとりの自分が「正直に言うなんて、馬鹿だな」と嘲る。
それでもローゼは嘘を言うことができなかった。その選択を選びたくなかった。真実を曲げてまで山の精霊を人間のために働かせたいとは思わなかった。
「あたしたちは、例えあなたと友達になれなくても、今までと同じように精霊を浄化するつもりだし……そうね、あなたがあたしと友達になったとき、良いことが起きるのなんて本当は人間だけなのかもしれない。精霊にとってはきっと、何の変わりもないんだろうと思うわ」
言い切って大きく息を吐くと、肩に入っていた力が抜けた。そのままがっくりと首を垂らす。
(あーあ……やっちゃったなあ……レオン、怒ってるかなあ……)
後悔の気持ちと共に幻の石の床を見ていると、不意に力強い手で頭をわしわしと撫でられた。緩慢な動きで顔を上げたローゼの目に映ったのは、目元を和ませたレオンの姿だ。
【よく言ったな】
優しい声で言って、彼はもう一度頭を撫でてくれた。
レオンだってこれまでの時をローゼと共に過ごした。山の精霊に頼みを聞いてもらうためにどうすればいいのかをずっと考えてきたのだ。なのに今、彼はローゼの気持ちを肯定してくれている。
それを理解した途端に後悔が消えた。代わって安堵が湧いてくる。心のままに微笑みながらローゼはようやく「正直に言って良かった」と思った。もしも嘘を吐いてしまったら今ごろは罪悪感に苛まれ、笑うことなどできなかっただろう。
それに、とローゼは考えた。
ずっと冷たい態度だったレオンは元に戻った。フィデルにいる間の彼を思えば、山の精霊の下へ来たこと自体は無駄ではなかったのだ。
だがせめて、この森から出してもらいたい気持ちはある。そのくらいは許してもらえないかと山の精霊に交渉を持ちかけようとした時、辺りに声が響いた。
『なるほど、分かった』
声からは初めて抑揚を感じた。なんとも晴れやかな調子だと、ローゼは思った。
『ときに、花が開きそうだ』
「……花?」
『花だ。冬の終わりを告げる花』
急に何を言い出したのだろう、と沈んだ心で考えながらも、ローゼは彼の話に付き合うことにした。冬の終わりの花と言えば、ランドビックでカーリナから聞いたものがある。
「……もしかして、赤い色をした花かな。芳暁花、っていうんだっけ」
『人間たちはそのような名で呼んでいたか。そなたの知る花ではないのか?』
「あたしたちの国にはない花だから……」
『ならば丁度良い。そなたらの居る場の傍に、今日の朝日を受けて咲きそうな株がある。――花を見たいか?』
山の精霊の意図が分からずにローゼは首を傾げる。それでも問われたのなら本心を言って良いのだろう、と思い、答えた。
「……見たいな」
『では、朝になったら案内してやろう』
その前に、と彼は続ける。
『魂は体に戻ってはどうだ。そのままでは花の近くまで行くことが出来ぬであろう』
「そ、そうだけど……でも……」
【駄目だ】
思いもよらぬことを言われて狼狽えるローゼと入れ替わるように、レオンが固く、きっぱりとした声を出す。
【娘の魂は体へ戻さない。俺は娘を危険に晒したりなんかしない。絶対だ】
話の内容もさることながら、レオンは山の精霊への敬語を止めていた。それはレオンが山の精霊への敬意を無くしたことを意味する。
『危険?』
だというのに山の精霊は気を悪くした様子がなかった。
『危険などあろうはずがない。私の力が及ぶ範囲で、我が友に危害を加える者などおらぬ』
それどころか、逆に面白そうな調子で話す声を聞いて、ローゼもレオンも、言葉を失った。




