13.存在
聖剣の主と会うことはダリュースたちに秘密だったので、ローゼは「しばらくひとりにして欲しいから」と言い訳をして神殿の中に入っていた。
話が終わって外へ出ると彼らは前庭で待っていたので、もしかすると地の神殿でのことを気にしていたのかもしれない。
貴人ふたりと話してローゼはくたくただった。辺境伯の屋敷へ向かいたい旨を伝えると、ダリュースは快く承知してくれる。彼の配下の神官オッドは明らかに落胆していたので、ローゼの様子は妙だった可能性もあるのだが、ダリュースの態度はいつも通りで、何かを追及してくることはなかった。
改めて向かったジェーバー辺境伯の屋敷では、辺境伯本人に加えて地の神殿から退出したカーリナ、シグリの兄や弟が迎えてくれた。
辺境伯はカーリナから事前に話を聞いていたのだろう。「かの山へ行かれるまで、どうかここを我が家と思ってお寛ぎください」と言い、整った顔に満面の笑みを浮かべたのだった。
「我が家……我が家ねえ」
案内されたのは、ローゼの家がいくつ入るか分からないほど広大な屋敷の、ローゼの部屋がいくつも入りそうな広い客間だった。
「こんなすごい所を、我が家だなんて思えるわけないじゃない」
設えてある寝台は3人ほど寝られそうな広いものだ。ローゼはそこに勢いをつけて飛び込む。よく考えると、1日着っぱなしの旅装で豪華な部屋の高級な寝台に転がるなど、昔の自分だったら畏れ多くてできなかったはずだ。
「……あらら、慣れって怖いなー。あたし、我が家みたいに寛いでるわ」
ふかふかとした感触に包まれるうち、体は徐々に重くなってくる。ランドビックに到着したのは今日だというのに、いろいろなことがありすぎて何日も経ったような気分だった。
深くため息を吐いて、ローゼは顔を埋める。
「あー……でも、やっぱり失敗だったなあ……」
頭をよぎるのは今日会った人との話、特にヴァルグとの件だ。
どうやら神殿側はいつも、精霊側に詳細を伝えられないまま協力だけをさせられてることが多いらしい。それが神殿側にとっては不愉快なのだろう。
更にヴァルグは、精霊側の頂点に立っているのが姉のカーリナであることも気に入らないようだった。姉弟には余人に窺い知れない確執でもあるのかもしれない。
それらを上手く利用し、立ち回れば、一度は悪くなった精霊側に対しての状況も巻き返すことができたような気もする。
「分かってたけどさ……無理だったんだもん……」
顔を動かすと、寝台横の台にある白い鞘の聖剣が見える。
もしも彼が冷静に判断し、要所要所で別の意見を述べてくれれば、展開は違った方向へ進んだ可能性がある。
「ちょっとくらい、手助けしてくれても良かったんじゃない?」
――ローゼの言葉はひたすら独り言だ。
メラニーは続きにある小さな部屋を与えられ、今は共にいない。もしいたとしても彼女はローゼが呼びかけない限りは返事をすることがない。
そして、以前とは違い、とりとめのない話に応えてくれるレオンもいない。
聖剣から視線を外したローゼは再び寝台に顔を埋める。辺境伯家の侍女が着替えの手伝いをしに来るまでひとり、泣きそうな気持ちを抱えたまま静かな部屋の中で唇を結んでいた。
* * *
山へ行くまでの約10日、大半の時間をローゼはあてがわれた部屋の中で本を読みつつ静かに過ごした。
静かなのは行動だけでなく環境もだった。メラニーが寡黙なのはいつものことだが、彼女に輪をかけて静かだったのは『聖剣に宿るもの』だ。
彼は屋敷に到着してからまったく話をしなかった。ローゼが聖剣を手にしてからというもの、こんなに長く彼の声を聞かなかったのは初めてだった。
彼が何も言わなかったのはきっと、ローゼが名を呼んでいたためだ。
屋敷で初めに「レオン」と呼びかけた際には、また攻撃されたらどうしようかとびくびくして小さな声になった。何もないと分かるにつれて呼ぶ声は普通の大きさになり、ローゼは日常的に彼の名前を出すようになっていった。
「おはよう、レオン。だいぶ肌寒くなってきたね。うちの村でも薄い服で十分な季節なのに、ここだともう羽織るものが必要なのよ。世界って広いよねー」
「今日の夕食に出た料理がね、あたしの苦手な味付けだったの。ほら、レオンは覚えてる? シャルトス領の露店で食べたときに『これ好きじゃない』って言った調味料。あれが使われてたみたいなのよ。でも、頑張って食べたわ。偉いでしょ?」
「フィデルって確かに精霊に関する本は多いけど、神降ろし……じゃない、『精霊に執着された者』関連の本はあんまりないね。これならシャルトス領の方が記録は多かったかも。レオンもそう思わない?」
あまりに反応がないので、最後には「何か反応をしてくれるなら、攻撃でも構わない」とさえ思いながら、彼の名を呼び続けることもあった。
「ねえ。レオン、聞いてる? レオンったらレオーン、レ・オ・ン。レオンさーん!」
返事をさせてやろう、と意地になっていたのもある。「どれほど否定しても、あなたはレオンだ」と伝えたい気持ちもあった。だがそれ以上に大きかったのは『レオンという存在』を繋ぎとめたいとの思いだ。
彼自身が名を否定している以上、誰かが彼を「レオン」と呼び続けなければ、『今まで共に時を過ごしてきたレオン』が知らないうちに消えてしまいそうでローゼは怖かったのだ。
だが、どんなに名を呼ばれても『聖剣に宿るもの』はローゼを完全に無視した。
彼は彼で「レオン」と呼ばれた時に何かしらの反応を見せるのは、「名前はいらない」と言い切った自身の言葉を裏切る行為だと考えていたのかもしれない。
――こんな日々を過ごしながら、ローゼは山へ行く日を迎える。
* * *
今回、山へ向かうのは総勢で100名ほどだとローゼは聞いていた。
半数がカーリナを始めとした術士で、もう半数は護衛の兵や挨拶の様子を見たい貴人、彼らの身の回りの世話をする使用人といった術士以外の人々だ。
普段なら人数はこの半分ほどらしいので、どうやら今回はかなり大掛かりなようだ。
もちろんそれは『ローゼが挨拶に行く』という、いつもとは違う内容のせいだった。
当然のことながら、力が入っているのは人数に関することだけではない。地の神殿で支度を終えたローゼが扉をくぐると、未だ開けやらぬ仄暗い前庭では、顔や首、鞍までも飾り付けられたセラータが乗り手を待っていた。
乗りにくそうだ、とわずかに眉をひそめてローゼは騎乗しようとする。思った通りセラータの装飾は邪魔で、踏み台を利用してもなかなか上手く乗れない。結局、馬上の人となるためにはメラニーや使用人たちの手が必要だった。
とはいうものの、実を言えば上手く乗れなかったのはセラータの飾りだけが理由ではない。
ローゼ自身のせいでもある。
今日のために用意された裾の長い衣には、フィデル式の様々な刺繍が隙間なく施されている。
結い上げた髪にはこれでもかとばかりに飾りがつけられ、鳥を模した宝冠まで載せられていた。
これらは「精霊を象徴する銀」「神を象徴する金」のどちらにするかもめていたのをローゼは知っている。
結局は精霊側が勝利したようで頭には銀色が輝くことになったのだが、その代わりとでもいうように、届けられた黄金の首飾りは事前の予定よりもはるかに豪華なものになっていた。
精霊側が「こちらももっと豪華な飾りを用意すれば良かった」としきりに悔しがるのを聞きながら身支度を済ませたローゼは、衣装と装飾品の豪華さに喜ぶより、重さ動きづらさにうんざりとしたのだった。
もしかすると、もたもたと馬に騎乗するローゼを見て周囲の人々は「だから馬車にすれば良かったのに」と思ったかもしれない。
実を言えば、山を視界に入れたくないローゼは馬車を利用するつもりで、最初はカーリナにそう申し出ていたのだ。
しかしランドビックに到着してから数日の後にローゼの心境は変化した。
山の精霊とはどうせ対峙しなくてはならない。ならば堂々と向き合っていたかった。最終的に馬車ではなく騎馬にしたのもそんな反骨心から出た行動だった。
セラータの上から見つめる山も、朝焼けの薄紅の中で全容を晒している。まるでローゼの心を見透かした上で「早く来い」と誘っているかのようだ。その姿をひと睨みし、ローゼは視線を腰に佩いた白い鞘へ向ける。
今日、ローゼは、レオンは、どのような運命をたどるのだろうか。
考えるたびに体がすっと冷える感覚がして、刻む拍は速くなる。
胸に手を当てて目を閉じ、深く息をしながら、落ち着け、とローゼは自分に言い聞かせる。しかしいつもと違って鼓動は鎮まる気配を見せない。それどころか、周囲にも聞こえそうなほど大きな脈の音がひとつしたかと思うと、体が小刻みに震えはじめた。
あまりの怯え方に、ローゼは苦笑しつつも訝る。何がそこまで怖いのかと思いながら理由を探って、緩んだ口元が強張った。――この震えはローゼのものではない。
(古の大精霊……)
シャルトスの城で己を取り戻してからはローゼの奥深くで眠りにつき、見る夢を共有する時以外には一切の気配を感じさせない、古の大精霊。
彼女がローゼにも分かるほど動揺し、騒めいている。
もしやこの場で神降ろしをしてしまうのかとヒヤリとするローゼだったが、神降ろしの兆候はない。相変わらず大精霊は眠っている。
どうやら完全に目覚めたわけではなく、何かの影響を受けて揺さぶられている状態のようだ。
しかし今まで、眠っている大精霊がこんな風にローゼへ影響を与えたことなどない。
彼女は一体、何を感じ取っているのだろうか。不安がローゼの心を蝕み始めた時、山まで届けと言わんばかりの澄んだ高い音が鐘塔から響いた。
――出発だ。




