8.到る
ジェーバー辺境伯の屋敷がある都市・ランドビックは今まで見て来たフィデルのどの町よりも広い。
これほどの都市は大陸でもほとんど無いように思えるが、この国は建物が全体的に低く作られているためだろう、他者を威圧する感じは少なく見える。アストランの高い建物に慣れているローゼは、遠目に映ったランドビックからどことなく長閑な印象を受けていた。
しかし近づけば近づくほど、感じていた印象が間違いだと気づく。
城壁から続く大きな門の中へ吸い込まれて行く人々は、馬車が4台並べそうなほどの広い通りがすべてを受け入れ、整然と流している。
さまざまな人の声や荷車の軋み、馬の蹄の音。そういった騒めきに彩りを添えるのは、通りの左右に並ぶ店から聞こえる呼び込みの声だ。道行く人の気を少しでも引こうとする店員たちは他の店に負けまいと声を張り上げており、活気を弥が上にも増していた。
賑やかな人間たちの暮らしから目を転じれば、低い建物の上には巨大な山の堂々とした姿がある。森や草原から見る姿も迫力があったが、人の暮らしの中から見る山はまた違った趣があった。
彼が人を疎んじているせいでレオンの性格にも影響が出ているのはローゼにも分かっているが、雄大な景色を見るとやはり心奪われる。
「す――!」
思わず「すごいね」と呼びかけようとした口を、ハッと気付いてローゼは閉じた。高揚していた気持ちが一瞬で消え去り、上へ向けられていた顔も下へと落ちる。
今のレオンは以前のように、ローゼと何かを楽しみ、共有してくれることなどない。
声をかけても答えがもらえないか、あるいは、
【ああ、まったく。うるさくて気が狂いそうだ】
と、心底嫌そうに吐き捨てられるくらいだろう。
(……レオン……)
左腰に下げた聖剣が視界に入らないようそっと顔を右へ向けると、牽いていたセラータが静かに鼻面を寄せて来る。優しい彼女はローゼが沈んでいると、こうして慰めてくれることが多かった。
「……ありがと」
微笑んでセラータの首筋を撫でた時、ローゼは自分がセラータの綱を持ったまま道の真ん中で立ち止まっていたことに気付いた。
門が見える位置にあるこの場所は人通りもかなり多い。迷惑そうな顔で避けてくれる人々に詫びの言葉を述べて歩き出そうとしたのだが、周囲にダリュースたちの姿はない。どうやら門を入った後にはぐれてしまったようだ。ランドビックへ着いたこともあって全員に気の緩みが出たところへもってきて、行き交う人の多さで互いを見失ってしまったのだろう。
しまった、と思いながらひとまず道の端へ寄る。ただひとり傍にいるメラニーに皆の行方を尋ねようとした時、のんびりとした声が耳へ届いた。
「さすがに山から近いだけありますよねえ」
人混みの合間を縫って現れたのはダリュースだ。彼は額に手を当てて山を見ながら、器用にこちらへと進んでくる。
「周囲には広大な森が広がっているので、これでも山からはまだかなり遠いんですよ。でも、ずいぶんと大きく感じられるでしょう?」
わずかに居心地の悪さを感じながら、ローゼは曖昧にうなずいた。
一昨日にダリュースと話をして以降、ローゼは森の中で迷っているかのような複雑な気持ちを抱えている。ダリュースと前公爵、アーヴィンに対しての気持ちがうまく落とし込めないのだ。そのせいで昨日はダリュースと話ができなかった。
一方のダリュースは、森の中で話をしたときの姿は精霊の見せた幻だったのではないかとすら思えるほどに普段通り。
いつものようにローゼの近くで控えていたメラニーも話を聞いていたはずだが、何かを気にしている様子は無い。
きっとふたりとも、思うところはあるはずだ。しかし、そんなことを表に出さない様子を見るにつけ、ローゼは己の未熟さを思い知る。
(……これが、経験とか年齢とかの差、ってやつなのかな……)
いつかは彼らのようになれるだろうか、と思いながらはぐれたことに対しての詫びを述べると、ダリュースはいつもの人好きのする笑みを見せながら首を横に振る。
「こちらこそ見失ってしまって申し訳ありません。きちんとお傍にいたメラニーに比べて恥ずかしい限りです。御身に何かありましたら、ローゼ様にもカーリナ様にも顔向けができないところでしたよ、まったく。私の配下は後で全員お仕置きですね」
言ってから「もちろん」とダリュースは付け加える。
「私も同罪です。どうぞローゼ様がお仕置きなさってください」
「遠慮しておきます」
「おや、もしかして許してくださるのですか? なんとお優しい! ……ああ、でも、メラニーの顔には絶対許さないと書いてある。どうやら私は彼女からお仕置きを受けるようです」
まさか、と思いながら窺うと、メラニーは今まで見たことがないほど顔を顰めている。その表情からは絶対許さないというより「なぜ自分がこの茶番に巻き込まれているんだ」との思いが感じ取れて、ローゼはつい吹き出してしまった。
「それにしても、ローゼ様は見つけやすくて助かります」
「見つけやすい? どうしてですか?」
「茜馬がとても良い目印になるのですよ。何せ、シャルトス領でも滅多に産出されないのです。このような美しい馬が他の地域にいるなど、絶対にありえませんからね」
目を細めてセラータを見つめるダリュースからは、自信と愛情の深さが感じられる。
茜馬は名馬の産地とされるシャルトス領の中でも特に秀でている馬だ。決して他の地域へ出すことは無い、と言われているこの馬をローゼが持っているのは、前公爵ラディエイルがエリオットの行方をつかもうとしたためでもある。
そして前公爵の側には、このダリュースがいた。もしかするとセラータがローゼの手に渡った経緯には彼も関わっているのかもしれない。
居心地が悪くなったローゼが何と言うべきか悩んでいると、ダリュースはすいと道の先へ視線を移動させ、
「さて、配下たちが気をもんでいるので参りましょうか」
と言って道を行く。彼に従って歩きだし、ローゼは改めて大通りへ目を向けた。
フィデルでは普段から刺繍の多い服を着ている。シャルトス領でも刺繍は多く見たが、フィデルの刺繍はより色とりどりで華やかだ。これは冬、雪に振りこめられて外へ出られない時に家の中で刺すためだと聞いている。
今までの町でも同じような服は見て来た。しかし、これほどまでに人が歩いている姿を目にするのは初めてだ。
(刺繍いっぱいの服を着た人がこんなにたくさんいると、まるで色が流れてるみたい)
そう心の中で呟いたところで、ダリュースが話しかけてきた。
「こちらの刺繍も見事でしょう?」
また、いつものように顔に出ていたらしい。羞恥で熱くなった頬をローゼは左手で押さえる。
「隙間なく刺していることもあって豪華に見えますよね。ですが意匠の洗練具合と刺し方の細やかさならシャルトス領の方が勝っています。ほら、この部分なんて特に素晴らしいんですよ。フィデルの人からもよく『見せて欲しい』と声をかけられるんです」
ダリュースが自慢げな様子で上着の刺繍を示すと、ローゼの視界の端でメラニーが深くうなずく。先ほどまで違う表情だったふたりが同じような顔をしている。それがなんだか微笑ましく見え、ローゼは銀鎖の音を聞きながらくすりと笑ってうなずいた。
反応に満足したのか、鼻歌でも歌いそうな軽い足取りで配下と合流したダリュースは、預けていた馬の綱を取ってすいすいと大通りを行く。やがて道は川に遮られ、向こう側にはこんもりとした森と、それを取り囲む灰色の石壁が見えた。
「あそこが辺境伯の屋敷ですよ」
とだけ言って、ダリュースは道を逸れる。辺境伯の屋敷へ行かないのだろうか、と訝るローゼが案内された先は地の神殿だった。
ランドビックの地の神殿はどの町で見た地の神殿よりも大きかった。くすんだ茶色の石は年月を感じさせるものの、きちんと手入れされているためだろう、その色味さえも歴史を感じさせる良い引き立て役となっていた。
門をくぐると中には広大な庭園があり、色とりどりの花が咲いている。
花壇程度しかなかった今までの地の神殿とは違うので、もしかしたらここには精霊がいるのではないかと思ったが、いつまで待ってもレオンは何も言わない。
(……だったらここにも、精霊はいないんだ)
よく考えると山の精霊自体が人を好んでいないのだから、山に一番近い集落にこそ精霊がいないのは、むしろもっともだ。しかし少しでも期待してしまった分、落胆はいつもより大きい。
(もしもここに精霊がいたら、レオンの機嫌だってちょっとは良くなったかも。そしたら、あたしとも話してくれたかもしれないのに……)
ため息を吐き、うつむきながら歩いていた時、視界の中へふいに人の背が現れてローゼは慌てて立ち止まる。顔を上げると、ダリュースは配下へ指示を出しているようだ。
何かあるのだろうかと不思議に思った時、建物から2名の女性が出て来る。彼女たちの姿を見て言葉を切り、ダリュースは苦笑した。
「さすがと申し上げるべきでしょうか。先を越されてしまいましたね」
ローゼが首を傾げると、ダリュースは地の神殿を示して言う。
「この中でカーリナ様がお待ちです」
「カーリナ様が? ええと、屋敷じゃなくて、ここでお会いして構わないんでしょうか」
「もちろんです。カーリナ様は週に3日ほど、地の神殿でお過ごしですからね」
「……礼拝でもなさってるんですか?」
「礼拝もなさるでしょうね」
言って遠くを見る目つきをするダリュースが、まるで誰かを思い出しているかのように見えて、ローゼはドキリとする。そのせいで、次に発せられた彼の言葉を飲み込むまで少し時間がかかった。
「カーリナ様は術士です。このジェーバー領の筆頭術士でいらっしゃる」
「……え?」
「しかもジェーバー領にはあの山がありますからね、フィデル国内で精霊に関することを取りまとめているのはここランドビックの地の神殿なんです。――つまりカーリナ様は、フィデル王国における精霊信仰の頂点に位置する方なんですよ」
聞いたローゼの心に、ゆるゆると驚きが生まれる。同時に納得もした。術士ならば、只人よりもずっと精霊の事には詳しいはずだ。
レオンを変化させる方法だって、知っていて当然なのかもしれない。




