5.さそいみちびく
ウォルス教の神殿が白い石でできているというのはフィデルにおいても変わらない。
落ち行く日に照らされてほんのり色づく神殿を見上げ、ローゼは門をくぐる。出迎えの神官補佐にセラータを託すと、青い花の咲く前庭を抜けて建物に入った。
夏の気配が残る外に比べると、中の空気はひんやりとしている。
それでも思いのほか気温差がないのは天井のせいかもしれない。
アストランの神殿は天井が高く作られていることが多く、解放感にあふれている。
対してフィデルの神殿は天井が低いため、大きさの割にこぢんまりとした印象を受けることが多かった。
これはフィデルの場所が北であることと関係しているのだろうか、とローゼは思う。
天井が高ければその分だけ空間ができる。建物内も暖まりにくくなるのだから、フィデルでは天井を低めに作り、冬の時期にできるだけ早く内部の温度を上げられるようにしているのかもしれない。
(グラス村の神殿は大きいから、冬の時期は早めに暖炉の火をともすんだ、って神官様が言ってらしたっけ)
立ち止まってしばし故郷に思いをはせた後、ローゼは奥へ向けて足を踏み出す。
アストランもフィデルも、天井以外の構造に大きな違いはない。
まず目につくのは礼拝する人々のためにおかれた横並びの机と付随した椅子だ。そして室内の中央には一本の真っすぐな通路が走っており、突き当たりには祭壇があって、祭壇の後ろにはこちらを見下ろす10柱の神像がある。
内部で焚かれているのは、清涼感のあるすっきりとした香。
その香りを胸をいっぱい吸い込みながら歩き、ローゼは祭壇の前に立つ。
目の前の神像は皆、グラス村の神殿にあるものとは姿かたちが違う。
だというのにローゼは、馴染み深い場所にいて、馴染み深い像を見ているような気がしていた。
どの神殿も装飾や様式は違えど、醸し出す雰囲気がよく似ているように思えるのは、魂に刻まれた記憶があるためだろうか。
地上にある神殿にいながら、天上にいた頃の記憶を思い出しているからなのだろうか。
(……これが、人の魂を天上の神々が作ったっていう証拠なのかな)
ローゼはふと、そんなことを考える。
(天の神々と、地の精霊たち。そして、天の魂を持って地で生きる人間。……人間だけが、天と地の双方を持ってる……なんだか、不思議)
ごく小さな声で笑ったローゼは、腰へ視線を落とす。そこにあるのは、天の神によって鍛えられ、人の魂と精霊の力を持つレオンが宿っている聖剣だ。
イリオスの城を出てから半月以上にもなるが、ここまでの道中でローゼは魔物と戦っていない。
フィデルは精霊たちの力で闇の力が抑えられているために瘴穴があまり出現しないというのが理由のひとつ。
他にも、フィデルでは精霊たちが魔物を倒しに向かうためという理由もあった。おかげで人の出る幕はほとんどない。
だが、精霊たちも人と同様に瘴気で染まる。
人ならば神殿で浄化してもらえるが、精霊たちはそのままでいるしかない。運悪く黒く染まった精霊たちは、いずれ魔物に変わってしまうのだ。
シャルトス領でも感じたことだが、正直に言ってローゼはこれが、精霊を使い捨てにしているようで嫌だった。
だからこそローゼは、シャルトス領にいるとき黒く染まった精霊を見つけるたびに聖剣を使って浄化してきた。しかしフィデルに入ってからは一度も浄化をしていない。
フィデルの精霊たちは人を避けているためにローゼの、ひいてはレオンの近くまで来てくれることがないからだ。
(あたしとレオンなら、精霊を浄化することができるのに)
重いため息を吐いた時、後ろから密やかな声が呼ぶ。
「ローゼ様」
振り返ると、ダリュースの配下のひとりが近くまで来ていた。
「宿の手配ができましたので、お迎えにあがりました」
薄い茶の髪を肩下まで伸ばしたオッド・スカーゲンというこの男性は神官だ。
今回は彼が、フィデルの使者としてアストランの大神殿へ赴いた。つまり、ローゼへと渡されたアレン大神官の書状は、オッドが持って来たものだった。
「……ありがとうございます」
もう少し神殿に居たかった、と思いながら小さく息を吐いたローゼは踵を返す。オッドの横を通った時、囁くような声がした。
「ローゼ様はやはり、精霊よりも神殿のことを慕わしく思っておいでなのですね。さすがは聖剣の主様でいらっしゃる」
その言葉に何かしらの含みを感じ、ローゼは思わず足を止める。
見ると、30代後半ほどの小柄な男性神官は、その顔に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「申し上げるべきかどうかをずっと迷っていたのですが、先ほどのお姿を拝見して決心がつきました。――実はランドビックに到着しましたら、会って頂きたい方がいらっしゃるのです」
ランドビックはジェーバー辺境伯の屋敷がある都市の名だ。今回ローゼはそこで、シグリの母である辺境伯夫人カーリナと会うことになっている。
「辺境伯夫人の他にですか?」
「はい。もちろん、別の方です」
オッドがうなずいた時、近くで硬質な音がした。すぐ傍に立つメラニーが剣の柄に手を置いた音だ。オッドは息をのみ、怯えた表情を見せる。苦笑したローゼは「大丈夫です」と言って先を促した。
「カーリナ様の他にも私に会いたい方がいらっしゃるんですね。どなたでしょうか」
ローゼとメラニーの間で視線を往復させるオッドは、額に汗をにじませながらわずかに上ずった声で答える。
「フィ、フィデル国の聖剣の主様です」
「え?」
ローゼは目を丸くした。
今現在、この大陸に聖剣は11振ある。
11振目の聖剣はもちろんローゼの持つものだから、それ以外の聖剣は10振。
5つの国で1000年に渡り、2振ずつ伝わっているものだ。
もちろんフィデルにも、ブレインフォードとセヴァリーのように聖剣を受け継ぐ家がふたつある。
(……でも……そのうちのひとつの家は……)
内心の動揺を悟られないように気をつけながらローゼは答える。
「そうですか」
ついで、にっこりと微笑んだ。
「どのような方にお会いできるのか、楽しみです」
フィデルの聖剣の家については、出発の前日にアーヴィンからもらった資料に書いてあった。フィデルと繋がりの深い公爵家だからこそ入手できた話だが、本来は他国へ公にされていることではないらしい。
そのためだろう、オッドはローゼが聖剣の主に関する情報を持っているとは思っていなかったようだ。彼は口の端を上げ、自慢を隠し切れない様子で言う。
「きっと驚かれると思いますよ」
その態度でローゼは、自分に会いに来た聖剣の主がどちらの家の人物なのか確信することができた。
「――ただ、お願いがございます」
オッドは周囲を見回し、ぐっと声を潜める。
「聖剣の主様が会いにいらしていることは、どうか内密に」
「内密? ダリュース……さんにもですか?」
「はい。これはダリュース様もご存じではない話です」
その時、神殿の入り口にもうひとりダリュースの配下が姿を見せた。もう一度「内密になさってください」と囁いたオッドは顔を扉の側へ向けて手を上げ、
「さあ、宿へ参りましょうか」
とローゼを促した。
* * *
「ねえ、レオン。神殿での話、聞いてた?」
宿の部屋で椅子に座り、机に置いた聖剣へローゼは問いかける。
【……神殿での話?】
「ほら、オッドさんて人とのよ」
【ああ……】
レオンの声からは少し眠そうな印象を受ける。
【お前たちが何か喋ってたということは分かってるが……ぼんやりしてたんで、内容は覚えてない】
「そっか」
予想していた通りの答えだったので、ローゼは特に落胆することはなかった。
聖剣の主としての役目があったので、アストランでのローゼは町や村へ到着するごとに神殿へ立ち寄っていた。
フィデルにいる今は頻繁に寄る必要はないのだが、それでも時々は神殿を覗くことがある。そんなときレオンはいつも静かなままだった。不思議に思ってどうしたのか尋ねるローゼに、レオンは毎回同じ答えを返した。
【あそこへ行くと、なんだかぼんやりする】
もちろん以前はそんなことなどなかったのだから、この「ぼんやりする」のも、レオンの変化のひとつに違いない。
だが、内心で感じ取っていたはずのレオンの変化を信じたくなかったローゼは毎回「やーね、レオンったら気を抜いちゃって」と返していただけだった。
その頃にもっと気にかけてレオンと向き合ってたら状況は違っていたのだろうか、と考え、すぐにローゼは首を横に振る。
レオンが変化したのは城にいた時。出かけた後で気付いても、きっと何も変わることはない。
どうしてレオンがこんな風にされてしまったのか。ローゼはもう、薄らと理解できている。
この後ランドビックでは、ジェーバー辺境伯夫人の頼み事が待っている。
聖剣の主もローゼに会いたいようだが、オッドは「ダリュース様には内密に」と言った。そう考えるとオッドと、オッドの背後にいる聖剣の主はカーリナの件に便乗しているだけだろう。
だとすればレオンの件は、おそらく辺境伯夫人カーリナの指示だ。
そして、レオンが変化するきっかけとなったのがシグリの侍女なのだとすれば、ダリュースが言った通りシグリも一枚噛んでいる可能性がある。
確実にローゼをフィデルへ呼ぶため、カーリナは娘のシグリと配下のダリュース、このふたりにレオンを変化させるための指示を出した。
親である精霊を動かせば、娘の人間は言うことを聞く、とでも思ったのだろう。
カーリナはフィデルで生まれ育ったのだから、精霊と人間に関しては詳しいはずだ。おそらく彼女の考え方は間違っていない。
だが、ローゼとレオンのことに関してはまったく分かっていない。
(こんな妙なことをしなくても、あたしは未知の場所へ行きたがるし……あたしが心から頼めば、レオンは後押しをしてくれるし)
悔しくて歯噛みするローゼだが、不安なことがひとつある。
以前と今と、果たしてどちらが真にレオンの望んだ姿なのかということだ。
11振目の聖剣を携えていたレオンは瘴気によって黒く染まり、銀狼に力を与えられた直後に命を落とした。その後に聖剣と同化したようだが、これに関しては彼の望んだ話ではないのだ。
聖剣の中にいたことがレオンにとって本意でないとすれば、ローゼに力を貸している状態はつらいことだったかもしれない。
精霊たちを知ってからは心の慰めを得ることが出来、もっと深く交流したいと望んだかもしれない。
ローゼは昨年、北へ戻った青年はエリオットとアーヴィン、どちらの名を望んでいるのかと考えていた。同様に今はレオンのことを考えている。以前と今と、果たして彼が望んでいる状態はどちらなのだろうかと。
どちらの彼も、自分が不幸だと言ったことはないから分からない。
だがローゼは、自身がどちらを望んでいるのかならすぐに答えられる。
「……レオン」
【ん……?】
「ごめん」
【どうした、急に】
レオンの声には、このところよく含まれている険が無かった。
その声を聞いて以前のレオンを思い出し、ローゼは目頭が熱くなる。
(あたしは、以前のレオンが好き)
ローゼに優しかったということも勿論ある。その点は自分でも認めるしかない。
だがそれ以上に、以前のレオンは色々なことを楽しんでいた。新しい景色、初めて会う人、見るものや聞くものすべてを。
今のレオンは精霊に対する気持ちはかなり大きいが、逆に言うとそれだけだ。人の手に関わるものを嫌悪する彼は、人であるローゼと共に旅を続けることが苦痛だろう。
――しかし。
机の上から取った黒い鞘の聖剣をローゼは見つめる。
(あたしは以前のレオンに戻って欲しい。だから、元に戻す方法を探す。これって、あたしの勝手かな? ……きっと、勝手だよね)
たまらなくなって聖剣を抱きしめると、ほんのりと笑いを含んだ声が聞こえた。
【なんだ? 今日は珍しいな】
その声を聞きながら、ローゼは聖剣を抱きしめる腕に力を籠める。――そもそもレオンは、こんなところに宿りたかったのだろうか。自分で移動できず、本も読めず。誰かを抱きしめることもできない場所。
(あたしたち、みんな勝手だ。勝手な都合で、レオンを振り回す。レオンの意思は、そこにないのに)
「……ごめん。ごめんね、レオン。ごめんね、ごめんね……」
戸惑うような調子でレオンは「何があった」と返す。ローゼは彼の言葉に何も答えず、ただ、何度も「ごめん」と繰り返した。




