1.さらなる北へ向けて
ローゼの旅は想像以上に順調だった。
シグリは1か月近くかけてジェーバー領からシャルトス領へ来たというが、どうやらそれは人数が多い上、何台もの馬車があったからのようだ。
今回はローゼを含めて12名全員が騎馬なので、もう少し早く移動できるだろう、とダリュースは言う。
「幸いなことに、天気も良いですし」
レオンたちが「偉大な方」と呼んだ山は今日も頭を雲で隠している。全容を見られたのは旅立ちの前日が最後だが、空はずっと青い。
「フィデル側の婚礼招待客が乗っていたのは馬車ばかりですから、今頃は道を急いでいるでしょうねえ。もたもたしていては雪が降り始めてしまいます」
「……あなたは馬車に乗って来なかったんですね」
「私が? ええ、もちろん」
細身の男は人好きのする笑みをローゼへ向ける。
「あんなところに押し込められてゴトゴト揺らされていたら、私のお尻はまっ平になってしまいますよ。偉い方々は椅子に座ることが多いので平らになっても構わないのかもしれませんがね、私みたいな者はきっと動きにくくて困ってしまうことでしょう」
そう言っておどけたような動きをしてみせたので、周囲からは笑い声が起こった。
アーヴィンがあれほど恐れている人物だというのに、意外にもダリュースという人物はひょうきんで、冗談や軽口を言うことが多い。
共にいるのは彼の配下なので、笑うのもやはり配下なのだが、下の身分のものに笑われているというのにダリュースは頓着する様子がなく、それどころか彼らの笑顔を見てダリュース自身も喜んでいた。
奇妙な人物だ、とローゼは思う。
しかもダリュースは、集落に到着すると部下に先んじて買い物や宿の手配などに動く。気が付くと姿が見えなくなっているので、配下たちはいつも「またか」とため息をついていた。
「ダリュース様が先に行動なされては、我々の立つ瀬がありませんよ」
「何を今さら。私が働かないと落ち着かない性分なのは知っているだろう?」
「存じておりますが……でしたらせめて、何か仰ってから動いて下さい」
「それはいかん。声をかけたらお前たちを出し抜けなくなってしまう」
「いつから勝負になったんですか!」
ローゼは初めのうち、「ダリュースは配下を信用していないのだろうか」と思った。しかしそういうわけでもないようだ。集落の人々と交じって雑談している姿を見たことがあったが、そこから受ける印象は『好奇心旺盛な話好きの男』でしかない。
配下に見つかって文句を言われたダリュースが人々と別れる際には、やはり話していた皆が笑顔になっている。更には「好意でもらった」という何かしらの品を手にしていることも多い。それはオマケしてもらった屋台の食べ物であったり、子どもが摘んできた花であったりする。
今日は、たくさんの果実を抱えていた。
「収穫してきたばかり、という方がくださったんです」
片手に乗るほどの丸い果実は鮮やかな緑色をしている。見覚えは無いが、香りには覚えがあった。城で出された果実盛りに入っていたものだ。綺麗に切られていて見た目は良かったものの、汁気が少ない上に味も薄く、正直なところ美味しくなかった。
「とても良い香りでしょう? きっと美味しいですよ、どうぞ」
ダリュースはいつものようにローゼへ果物を差し出す。「この一行の中で一番偉いのはローゼ様です」と言っている彼は、何かあった時の行動はまずローゼからと決めているようだ。
しかし共にフィデルへ行くと決意したものの、ローゼはダリュースに完全に気を許しているわけではない。人を殺した事実がある以上は万が一の可能性を考えておく必要があるのだが。
(……どうしよう。もらっても大丈夫なのかな)
腰の辺りから声はする。ただしそれは、誰かと話しているらしいぼそぼそとしたものだ。少しの間待ってみるが、力強く肯定してくれる言葉も、逆に否定して制止する言葉も聞こえてこない。
さりげなく聖剣の柄を叩くが事態は変わらないので、どうやら今回もレオンはお喋りに夢中のようだった。
困ったことにフィデルへの道中ではこういうことも多い。
仕方なくローゼは自身で危険の度合いについて考え、何より城で食べた時の味を思って迷う。
(これ、あんまり好きじゃないのよね……)
最終的にもらおうと決めたのは、作った人の思いを考えたからだ。ローゼの家でも作物を育てている。差し出された果実を無碍にすることはできなかった。
小さく息を吐き、思い切って果実を取ろうとしたとき、横から伸びた手がローゼを止める。その手が先に果実を取ったのを見て、ダリュースの後ろに立つ配下のひとりが吐き捨てるように言った。
「またお前か! いつまでダリュース様を疑ってるんだよ!」
果実を手にしたのは中年の女性騎士だった。彼女は自身にかけられた言葉を気にすることなく、黙って果実を見分し、匂いを確かめ、一口齧って十分に咀嚼してから飲み込む。
少しの時間を空けて短刀で齧った部分を切り取り、ようやくローゼに果実を差し出した。
「問題ないようです。どうぞ召し上がって下さい」
「あ……ありがとうございます」
ローゼが受け取ったのを見て、女性騎士は切り取った部分を口に放り込む。彼女の様子を見ながらローゼも果実を齧った。弾けるような歯ごたえと共に、濃い甘さの果汁が口いっぱいにあふれる。城で食べた果実とはまるで別物だ。
「美味し……!」
思わず呟くと、配下たちに果実を分け与えていたダリュースが笑顔を向けてくる。
「でしょう? これは皮ごと齧った方が美味しいんです。切ると果汁が流れてしまって、食べるときにはほとんど無くなってしまう。偉い方々はお上品な分、本当の美味しさをご存じなくてお可哀想なことですよ」
まったくです、と同意したダリュースの配下たちも手にした果実を齧り始める。女騎士も果実を差し出されるが「私は好きではない」と言って受け取らず、またしてもダリュースの配下に「お前、ふざけるな!」と罵倒されていた。それを
「まあまあ。人には好みがありますからね」
と宥めて、ダリュースも果実を口へ運び、周囲と同様に称賛の言葉を述べている。
――この旅が始まってからよく見る光景だ。
複雑な気持ちでローゼが2口目を食べようとしたとき
【お? なんだ? 果物か?】
ようやくレオンの声が聞こえる。
【ふーん、特に問題はないぞ……ってなんだ、もう食ってるじゃないか。やれやれ、俺の判断を待てないなんて、最近のローゼは本当に食いしん坊だな】
呆れとも皮肉ともつかない声に眉を寄せ、ローゼは黙って果物にかぶりついた。
* * *
元々、今回のフィデル行きの人員は11名の予定だった。ローゼとダリュース、そしてダリュースの配下が9名。
しかしそれが12名になったのは、城を出ていくらも経たないうちに追いかけて来た人物がいたからだ。
「お許しをいただけました。どうか私も一緒にお連れ下さい」
そう言ってリュシーの署名が入った書状を示したのは、城に滞在している間ずっとローゼの護衛をしてくれた寡黙な女性騎士――メラニー・セローだ。
なぜ、城に居る間だけでなく、フィデルまでの護衛もしてくれようと思ったのか。
不審に思いつつもローゼはすぐに断ったが、メラニーは「連れて行け」と言って譲らない。
その場で始まりそうになった押し問答を収めたのは意外な人物だった。
「ローゼ様、この人は言い出したら聞きませんよ。断っても後ろから着いてくるだけですから、いっそ受け入れておいた方が賢明です。――それに、仲間は多い方が旅も楽しい」
このダリュースの言葉により、メラニーの同行が決定したのだった。
彼女は城に居た時同様、ローゼの傍にいて周囲に気を配ってくれる。その上、出された食事の毒見まで買って出てくれていた。
普段ならレオンが『良くないもの』の気配を察知して教えてくれるために毒見は必要は無い。彼はこれまでの旅でも常に周囲へ気を配り、何かにつけ危険かどうかを教えてくれていた。
だがこのところのレオンは精霊たちと話すことに気を取られており、ローゼに対しての注意が疎かになっていることも多い。きちんと問いかければ答えてくれるだろうが、あからさまな行動をしてダリュースやその周囲を刺激するのはローゼも少し怖かった。
メラニーは精霊に関する力がないようだが、これまでのローゼの動きから何となく状況は理解はしているのかもしれない。レオンからの声が無くて躊躇っているときは、さっさと口へ運んで確認してしまうのだった。
しかし、メラニーとは今回初めて会った。
それもリュシーが指示した上で、10日程度の仮初の主従関係を結んだだけだ。寡黙な彼女とは親しく言葉を交わしたこともなく、仲が良かったかと問われれば首を横に振るしかない。
どんなに考えてもメラニーが尽くしてくれる理由にはまったく思い至らず、正直に言ってローゼは彼女のことをずっと気味悪く思っていた。
「あの……」
その日の夜。寝台へ座ったローゼは、向かいの寝台で横になろうとするメラニーへ思い切って問いかけた。
「どうして一緒に来てくれるんですか? ううん、一緒に来るだけじゃなくて毒見まで。……あなたがそこまでして下さる理由が、あたしには分かりません。何か理由があるのなら聞かせて下さい」
今までにもそれとなく尋ねたことはあったが、毎回はぐらかされていた。今回は教えて欲しいと思いながらきっちり尋ねると、横になるのを止めたメラニーは自分の寝台に腰を下ろし、ローゼと向かい合う形を取った。
「私は……」
視線を上に向けて言葉を探すそぶりを見せながら、メラニーは口を開く。
「私は今、リュシー様の護衛を務めております。ですが騎士になってから20年以上ずっと、リュシー様の護衛だったわけではありません」
言ってから躊躇うように唇を結び、視線を落とし、もう一度メラニーは口を開く。
「騎士になって最初に拝命したのは、シーラ様の護衛でした」
シーラ、と口の中だけでローゼは呟いた。
もちろん誰の事だか分かっている。
(アーヴィンのお母さんだ……)
「あの時のことはよく覚えています。命を受け瞬間、目の前が真っ暗になりましたから。――嫌でした。悔しかった。悲しかった。ようやく騎士になれたというのに、なぜ私があんな女の護衛をしなくてはならないのか、一体どんな罰なのかと、涙すら出てこないほどにつらかった……」
だから、とメラニーは続ける。
「シーラ様を護衛する騎士は私以外にも数人いましたが、私はこんな女を通じての仲間など欲しくないと思いました。おそらく全員が同じ気持ちだったのだと思います。あの時、親しく言葉を交わす者は誰もいませんでした」
シーラの話がローゼの質問とどう繋がるのかは分からないが、普段は寡黙な女騎士がここまで話すのだ。何か理由があるのだろう。そう思い、不快感をこらえながらローゼは訥々とした語りを黙って聞く。
「シーラ様が外へ出た時にどこからか石が飛んできても、私は投げた人を本気で探したりしませんでした。使用人たちがこっそりシーラ様の裾を踏んでも、転ばない限りは見て見ぬふりをしました。次期公爵であられるクロード様を誑かした身分の低い余所者だから、このくらいのことは仕方ないだろうと思っていました。……時が経つにつれてシーラ様は部屋の中だけで過ごすようになっていきましたが、私は『こんな女と一緒に歩く姿を他人に見られずに済む』とホッとしていました」
「シーラさんは何も言わなかったんですか。怒ったり泣いたりしなかったんですか」
思わず口を挟むと、メラニーは静かにうなずく。
「シーラ様はいつも笑顔でした。怒ったことはありません。……ただ、泣いた顔は2回拝見しました。1回目は、クロード様が亡くなられた時」
「2回目は?」
聖剣は窓辺に置いてある。レオンがそうして欲しいと言ったからだ。小さな声が聞こえているから、彼もおそらく誰かと話をしているのだろう。
「……クロード様が亡くなられた後、騎士団長からは『シーラ様の護衛の任務を解く』と言われました。誰か別の者が護衛に就くのかと尋ねましたら、『もう護衛は必要ないから置かない』との返事でした」
メラニーはローゼの質問に答えず、話を続ける。
「皆は解任を喜びました。もちろん私もです。ですがその時私の口から出てきたのは何故か『シーラ様が生きておられるのなら、まだ護衛を続けます』という言葉でした」




