20.憂いの後で
ローゼが城に到着してから3日目の昼前、ようやくフロランの婚約者一行が到着するとの連絡があった。
19歳になったばかりだというフロランの婚約者シグリ・ジェーバーは、アストランのシャルトス領と領地を接している、フィデルの辺境伯令嬢だ。
このシャルトス領よりも更に北側に位置するフィデル王国は大陸にある5つの国の中で一番小さいが、南北に短く、東西に長いという地形のため、西のアストラン、中央のベリアンド、東のシャナツという3国と接している。
だがその割に、フィデルは他国と積極的に交流をする国ではないようで、アストランの大神殿に使者が来た事もほとんどない。一番遠い東のシャナツよりも来訪記録が少ないという事実にローゼも驚いたことがある。
そんなフィデルの例外は、どうやらシャルトス家だ。
(他国とはほとんど付き合いがないフィデル。自国のアストランとほとんど付き合いが無い排他的なシャルトス家。……でも、このふたつは付き合いがある……)
この奇妙な関係が気になったローゼは、精霊の本を読む合間にシャルトス家に関する本も読んでみた。
そこで分かったのは、シャルトス家は小国の時代からフィデルと付き合いがあるということだ。
特に婚姻関係は思いのほか積極的に結ばれており、シャルトス家の人物がフィデルに嫁ぐことも、その逆も同じくらいの回数があった。例えばリュシーやフロランの母であるナターシャ、彼女の祖母もフィデルから嫁いできた人物だったそうだ。
シャルトス家の記録を読めば読むほど、ローゼは「この家は自国であるアストランよりも、他国であるフィデルの方が親しかったのかもしれない」という思いを抱かずにはいられなかった。
だが、新たな公爵の代になってからのシャルトス領は少し違う。
ローゼが南方から戻った時にフロランが王都に滞在していたのは、王都の屋敷にある財産を北へ引き上げる指示を出すのと同時に、アストランの国王へ爵位継承の挨拶を行うためだったようだ。
今までは使者を立てての連絡のみだった公爵が自ら挨拶に訪れたということで、王宮はかなりの騒ぎになったのだとローゼは後に聞いた。
さらにフロランは大神殿に寄付まで行っている。
これはシャルトスの歴史から考えてもかなり異例のことだ。
古の大精霊が消えて守護の精霊が銀狼になったことは、精霊たちにも影響が出ているに違いない。
同様に、前公爵ラディエイルから新公爵フロランになったことの影響がシャルトス領に出始めているのだとローゼには思える。
これが良い変化なのか悪い変化なのかは分からない。
ただ、変化は望むものと望まないものがいるだろう。
排他的なシャルトス家とずっと付き合ってきたフィデルは、果たして変化を歓迎するのだろうか。
(……今回、フロランはフィデルの貴族令嬢と結婚する……)
その意味をいくつか考えたローゼが小さく身を震わせたとき、穏やかな声に呼ばれた。
「ローゼ」
考えながら床に落としていた視線を上げると、すぐ横の椅子にいるアーヴィンが問いかけるような瞳を向けている。
ローゼは微笑み、首を小さく左右に振ってみせた。
「あ、ごめんね。ちょっと考え事してたの」
「考え事?」
「ええと――フィデルの人たちに、きちんと挨拶ができるかなって」
言葉は嘘ではなかったので、棒読みにはならなかった。
フィデルからの一行はもう城に入っており、今は大広間にいる頃だ。
そこでフィデルの人々が到着の挨拶をし、シャルトス家の人物を始めとする重鎮たちが歓迎の言葉を述べた後、シグリは城に用意された彼女の自室へ下がるのだが、その前に一度、家族同士で小規模な歓談をするために応接の間へ来ることになっている。
ローゼがアーヴィンと共に居るのは、シグリたちが来るという応接の間だった。
大広間で行われている挨拶は公式の場なため、エリオットとして参列しているのはベルネスだ。
しかし結婚式では『本物』のエリオットが祭司を務める。
つまりこの応接の間で『小規模な歓談をする』というのはただの建前、本来の目的は、表に出せない家族であるアーヴィンと、義理の家族であるローゼをシグリに紹介することだった。
「なんだか緊張するわ」
【今更どうした?】
ローゼが言うと、腰に佩いた聖剣から笑う声が聞こえる。
【この1年ばかり、お前だって色んな奴らと会ってきただろうが。辺境伯の令嬢なんか比べ物にならないほど偉い相手だっていたぞ】
「それはそうだけど……でもね、聖剣の主として挨拶をするのと、家族として挨拶をするのって、なんか違う感じなのよ」
確かに身分だけで言えば、ローゼの親友とも言えるフェリシアはこのアストランの王女だ。しかも彼女の父である国王にもローゼは会ったことがある。
「それに……」
言い淀むローゼの視線の先には、貴族風の衣装を身に纏う青年がいる。
シャルトス領の女性貴族が着るドレスは王都のものとずいぶん違うが、男性貴族が着る衣装はアストランのものとほぼ変わりがない。
シャツを着て、その上にベストを着用し、最後に膝丈の上着を羽織る。首元には飾り布を巻き、ここには宝石などの装飾品を付けた。
ただしシャルトス領の上着は王都で見たものに比べ、少しゆったりとした形をしている。これはもしかしたら、30年ほど前まで前公爵ラディエイルが王宮に足を運んでいたことが関係しているのかもしれない。
彼が王都に行っていた当時は、こういった型が流行していたのだろう。
また、ズボンも王都と同じく長いものだが、靴には違いがあった。
王都の靴は足首丈のものであるのに対し、シャルトス領は膝下まであるブーツを着用していた。この辺りは元の文化か、あるいは気候風土に影響されたものかもしれない。
いずれにせよ、王都の物もシャルトス領の物も、上品で贅沢な衣装であることには変わりがない。そんな貴族風の衣装を着こなしているアーヴィンを見るたび、ローゼは彼の出自を思い知る。
「……あたし自身が笑われたり、馬鹿にされたりする分には構わないの。別に気にするつもりもないし。でも……」
ローゼ自身は自分が平民であることに引け目を感じるつもりはない。ただ、今ここでローゼと一緒にいるのは白と青の衣装を纏う神官ではなく、落ち着いた灰色の衣装を着る貴族男性だ。
ローゼが挨拶をした時に彼が「こんなみっともない娘を選んで、お前は恥ずかしくないのか?」とフィデル側の貴族たちから嘲笑される姿を想像すると、自分がこの場にいること自体、申し訳なく思えてしまうのだった。
しかし横にいる青年は、村に居る時と変わらない笑みを端麗な顔に浮かべる。
「ローゼが気にすることは何もない」
いつもと同じ、低く穏やかな声がローゼの耳に届く。
「私の名はアーヴィン・レスター。西のグラス村で神官を務めている者だ。この場にいる私はエリオット・シャルトスの幻に過ぎない」
アーヴィンに言われても、ローゼは素直にうなずくことができない。
シグリの母はフィデル現国王の姉だ。王族と縁戚関係を結ぶことのできるジェーバーという辺境伯家はきっと力を持っている。シグリ自身も血筋に見合うだけの、立派な立ち振る舞いを身に着けているに違いない。
一方でローゼはただの村娘だ。確かに聖剣の主となってから身分ある人に会う機会は増えたせいで相応の挨拶などをすることは増えたが、どうにも仕草に品が無いことは自分でも良く分かっている。
「でも、でもね。みんな、優雅な動きをするでしょ? その中であたしだけが、優雅に動けないんだわ。……だってあたし、ダンスなんて知らないもの……」
貴族は子どもの頃からダンスを習うらしい。彼らの優雅な動きはそれも影響しているとの話をローゼは聞いた記憶がある。もちろん村育ちのローゼには貴族が踊るダンスのことなど、まったく分からない。
「アーヴィンもダンスはできるんでしょう?」
「一応は」
「やっぱり。アーヴィンの動きもすごく優雅だもんね。……ねえ、今度、あたしにもダンスを教えてくれる?」
今からでも覚えれば少しは優雅さが身につくだろうか、と思いながら尋ねると、アーヴィンはうなずいてくれる。
「私で役に立てるのなら喜んで。……だが、ローゼはどんなダンスを踊ってみたいのかな?」
「どんなって……そうね、あたしが踊れそうなくらい簡単なのが――」
言いかけて、ローゼは両手を打つ。
「あ! どうせ教えてもらうなら、アーヴィンが一番好きなのがいいわ!」
それなら互いに楽しいのではないかと思ったのだが、しかし、ローゼの言葉を聞いたアーヴィンは微笑む。
「私が一番気に入っているダンスはね、今のローゼがもう覚える必要のないものだよ」
「……どういうこと? あたしの年齢じゃ覚えるには遅すぎるの?」
「いいや、違う。……そうだな……では今、踊ってみせようか」
「うん……」
弱い返事を聞きながら椅子から立ち上がったアーヴィンは、ローゼに向かって悪戯な笑みを見せた後に陽気な歌を歌いだし、続いて軽快なステップを踏み始める。
踊る彼の姿を唖然としながら見ていたローゼは、やがてレオンと同時に吹き出した。
「嘘! アーヴィンが一番気に入ってるのってそれ?」
【なるほど。確かにローゼが教えてもらう必要の無い踊りだな】
アーヴィンは踊りながら微笑み、両手を差し出してくる。浮き立つ気持ちでローゼは彼の手を取り、立ち上がった。
互いに手を取り合って向かい合うと、アーヴィンが改めて足で拍子を取る。高い声と低い声とで歌が奏でられ、大きく声を上げたところでローゼとアーヴィンは動き出した。
向かい合ってステップを踏み、腕を高く上げるアーヴィンに合わせてローゼも腕を上げる。手を触れあわせたまま腕の下で交互に回り、元に戻ってステップを繰り返し、その場でそれぞれがまたくるりと回る。
これはグラス村の秋祭りの時、皆で楽しむ踊りだ。
村から遠く離れたこの北の地で、村とはまったく違う衣装を着ているというのに、ふたりの踊りは村にいる時と同じもの。
アーヴィンと共に軽やかに動くうちにローゼは、先ほどまで緊張していた心がほぐれていくのを感じる。楽しくなってきたローゼが笑い声を上げると、踊るアーヴィンは優しい光を湛えて目を細めた。
「私はね、ローゼの見せる素直な表情には人を惹きつける力があると思っているよ。現に私も今、ローゼから目を離せない。――これは優雅な動きをすることよりもずっと難しいことなんだ。ローゼは自分がどれだけ魅力的なのかをきちんと理解した方が良いね」
「……だ、だから、どうしてそんな恥ずかしいことを、さらっと言えちゃうのよ!」
「褒めたんだから下を向かない。ほら、顔を上げて、もっといろいろな表情を私に見せて欲しいな」
そんなやり取りの間も曲は聞こえている。レオンが明るい声で歌っていたからだ。
彼らの声を聞いているうち、心の中には恥ずかしさよりも温かさが満ちてくる。ローゼが笑みを深くすると、アーヴィンもまた微笑み、レオンは声を大きくした。
アーヴィンとレオンと、今このとき一緒にいられるのは、なんと喜ばしいことだろう。
幸せを噛みしめながら、踊るローゼはアーヴィンと腕を交差させた。続いて互いに顔を見つめ合い、体を密着させる。この部分があるからこそ、皆は好きな相手を踊りに誘いたがるのだ。
――部屋の扉が叩かれたのは、そんな最高の場面に差し掛かった時だった。




