9.あこがれ
ドレスに流行というものがあるのなら、それはやはり王都から発生するのだろう。
詳しい人であれば王都の物と地方の物との差異を事細かに語ることができるはずだ。
村で生まれ育ち、ドレスどころか高級な布地にすらほとんど縁のなかったローゼは、もちろん違いなど分からない。だがそんなローゼですら、王都と北方のドレスの違いはよく理解できた。
王宮の舞踏会で見たドレスは、大きく開いた胸元と肘の辺りまでの袖、それにふんわりと膨らんだスカートが特徴だった。
スカートは外からだと、カーテンのように開いた物の下にもう1枚見えており、まるで2枚を重ね履きしたかのように見える。だが2枚のスカートであんなに膨らむはずはないのだから、きっと下にも他に履いているのだろう。
装飾はフリルやレース、リボンといったものが中心のため、ドレスの雰囲気は華やかで愛らしいものだった。
対して北方のドレスは上着と中着で出来ている。
上着の襟ぐりは鎖骨の下で弧を描いており、袖は肘の下で大きく開いている。これに中着を合わせることで首元と手首までを隠していた。おそらく中着は季節によって素材を変えるのだろう。気候の冷涼な北方らしいドレスだ。
スカートは王都のものと同じく重ね履きに見える形だが、膨らみはほぼなく、代わりにゆるく裾を引いている。
そして装飾は刺繍が主だ。胸元や開いた袖に加え、裾回りや、上着から見えている下履きのスカート部にも施されており、どことなく重厚な印象を与える。
「ローゼ、お疲れ様。お茶を飲んで待っていてね」
そんな北方のドレスを予定通り3着、更に各種装飾品も決め終えたローゼは、リュシーに言われてぐったりと椅子に座った。
ローゼを見てくすりと笑ったリュシーは、先ほどまでくるくると動いてた疲れも見せず、侍女たちへ細かな指示を出し始める。
「ドレスの寸法は急いで直すように伝えて。ああ、その装飾品はあちらの棚へ置いてちょうだい。他のものは――」
(リュシー様、元気だなあ)
ぼんやりと義姉の様子を眺めていると、ローゼの横で、こと、と小さな音がする。同時に芳しい香りが漂ってきたのでそちらを見ると、侍女が横の机に茶を置いてくれていた。
どうぞ、と声をかけてくれた彼女も、すぐに装飾品の片付けへと加わる。
このあと夕食会に出る予定となっているローゼは、また違うドレスを着る必要がある。侍女はその身支度を手伝わなくてはいけないのだ。
せめて自分も何か、と思ったローゼは片付けの手伝いを申し出たのだが、リュシーからはやんわりと断られてしまっていた。
自分のための物なのに、当の自分が座っているばかりなのは何だか申し訳ない、と思いながら中着姿のローゼはカップを手に取り、茶を口に含む。喉は思いの外乾いていたようで、温かい茶が嬉しい。そのまま何口か飲みながら、ローゼはふと隣室の彼を思った。
(……アーヴィンも、こんな風にあれこれ着せられたりするのかな……)
だがレオンの言った通り、アーヴィンの着替えはローゼほど長い時間はかかっていないだろう。
フロランは、アーヴィンに用があるのだから。
城に到着してすぐにローゼがアーヴィンと離されたのは、フロランがそう望んだからに違いない。リュシーはきっと、フロランに頼まれて動いたのだ。
(フロランは、あたしが余計な口出しするとでも思ってるんだわ)
実際に衣装を選ぶ必要はあったのだろうとは思う。ただ、着いてすぐである必要はなかっただけで。
苛立ちを覚えるローゼだったが、その感情が長く続かなかったのは、リュシーから時間稼ぎや打算といったものを感じなかったためだ。
繰り返し「ローゼが来てくれて良かった」と言ってくれるリュシーは、ローゼがどのドレスを着ても、どんな装飾品を身に着けても褒めてくれる。更にはローゼが何か少しでも気に入ったそぶりを見せると心から嬉しそうにしてくれた。
その姿からは単純に、ローゼと共に居る時間を楽しんでいる様子しか見受けられなかった。
思えば精霊に関する力を持たないリュシーは、伯母や母から「出来損ない」と呼ばれていた。弟のフロランは姉に尊大な態度を取っている。周囲は公爵家の娘としてきちんとした扱いをしてくれていたのだろうが、親しみを持ってつき合ってくれる人物はいなかったように見えた。
もしかするとリュシーはずっと、何気ない時間を誰かと過ごしてみたかったのかもしれない。
そんな風に思ってしまうと、ローゼの中にあった「さっさと終わらせてアーヴィンの元へ行こう」という気持ちはどこかへ去ってしまった。
フロランとアーヴィンの話したい内容が同じかどうかは分からないし、アーヴィンのことも心配だ。残ったレオンのことも気になる。だが、話はもう始まっているはずだ。途中から入って止めることができるようなことならば、後で変更させることだってできるかもしれない。
そう信じたローゼは最終的にアーヴィンの元へ急ぐことを止め、リュシーと共にいることを決めたのだった。
小さく息を吐いたローゼが手にした重みへ視線を落とすと、カップの中で斜めになっている液体は今にも零れそうだ。慌てて持ち直したところで、弾むような声が降ってくる。
「ローゼの結婚は、再来年なのよね?」
途端にローゼの動きはぴたりと止まる。
「……はい」
「今はきっと幸せな時よね。あと2年が待ち遠しいでしょう?」
満面の笑みを浮かべるリュシーへ顔を向け、ローゼは曖昧な笑みだけを返した。
――あと2年。20歳になったら。……いや。果たして、なれるのか?
鼓動に合わせて胸の奥から痛みが押し寄せる。震える手で机にカップを置いたローゼが冷たくなった手を膝の上で強く握り合わせる中、リュシーの声は続く。
「結婚式はどこで行うの? やっぱり故郷の村かしら?」
「……大神殿でも挙げるよう言われていますから、まずは大神殿で。そのあと村でも式を挙げる予定にしています」
「2回も結婚式をするのね、素敵だわ! そうだ、ウォルス教の結婚式はこちらと違うのでしょう? 皆、どんな衣装を着るの?」
侍女たちがドレスを手に戻って来たのでローゼは立ち上がる。
衣擦れの音に混ざってローゼの淡々とした声が部屋に響き始めた。
「新郎が着るのはシャツと上着にズボン、新婦はドレスです。新品を用意する家もそうでない家もありますが、いずれにせよ主役のふたりは白一色を着られるんです」
結婚衣装は親が用意するものだ。家によっては少し良い衣装を仕立て、親から子、孫へと伝えることもある。
そして色が白なのは、ウォルス教の基調色のひとつだからだ。普段ならば神殿や神官の色ということで単独で使うのを憚る色だが、結婚式の新郎と新婦は特別に纏うことができた。
また他にも、式で重要となるものがある。
「新婦は紫のベールをかぶります。新郎は紫色の小物を身に着けたり、衣装のどこかに紫色の刺繍をしたりするんです。……紫は、愛を司る女神メルディア様を象徴する色ですから」
新郎の刺繍や小物を用意するのは新婦となる女性だ。
グラス村の『乙女の会』には結婚式を挙げるまでなら参加することができるので、婚約中の女性が友人たちと話しながら集会所で紫の糸で刺繍をしていたり、紫の小物――ハンカチや靴下などを縫っていることもあった。
そんな女性を周囲の乙女たちが揶揄い、励まし、祝福の言葉を贈る。
時には相手の男性に片思いをしていた別の女性が、笑顔の後にこっそりと片隅で涙をぬぐっていることもあった。
「男性は結婚式までに揃いの指輪を用意します。本当は全部が金でできた指輪が理想なんですけど、その……金は、高価なので……」
全部が金で出来た装飾品に囲まれながら言うのも滑稽な気はするが、リュシーは黙って聞いてくれている。
「ええと、だから大抵の人が準備するのは、一部だけに金が使われてる指輪です。それも難しい時は春風草の茎を使って指輪を作るんです。いずれちゃんとした指輪を贈るねって約束をして」
衣装は親が用意するものだが、指輪は新郎自身が用意する。
だが年若い男性だと十分な資金が無く、指輪が買えないこともある。そんな時には春風草が重要な役割を担うのだ。
春風草は女神メルディアが地上に植えたとされている。寒暖の差にも強いので、アストランの大抵の場所で見ることができる植物だ。香りの良い可憐な紫の花を咲かせ、乾燥させた茎からはしなやかで丈夫な繊維が取れる。
指輪が用意できない男性は、この茎を編んで指輪代わりの小さな輪を作るのだった。
ローゼの話を興味深げに聞いていたリュシーは、周囲の侍女に笑いかける。
彼女からは、ウォルス教に対する悪感情がまったく感じられない。
「やはりこちらと全然違うわね!」
着付けが終わり、ローゼは続いて鏡台の前に座らされる。侍女が櫛を手に背後に立つその後ろから、鏡越しのリュシーがうきうきと問いかけてきた。
「それで、ローゼとアーヴィンはどんな婚礼衣装を着るの?」
このところローゼは自身の結婚式の話を考えると下を向きがちになるが、侍女が髪を結い上げている今、頭を動かすのは難しい。鏡に映ったリュシーを見ながら、ローゼはぽつぽつと話しだす。
「……あたしは聖剣の主なので、大神殿の式では専用の白い衣装を着ます。アーヴィンは神官なので、着るのはやっぱり、専用の青い衣装です」
ローゼの衣装は昨年の儀式でも着たあの白いローブだと決まっている。アーヴィンも青の神官服だ。
「村でも、アーヴィンは青い衣装を着ると思います。あたしは、友達からもらった白いローブにするつもりです」
最後にごく小さく「……式ができるのなら」と呟いたが、これはリュシーの耳には届かなかったようだ。彼女は思案げな表情で尋ねてくる。
「お友達からもらった……もしかして、昨年この城でも着ていたローブかしら?」
「はい」
「……そう。……確かにあのローブはとても似合っていたけれど……」
言いおいてリュシーはローゼの後ろから離れる。
鏡には何かを考えるように室内を歩く彼女が映っていた。
ローゼの髪が結い終わり、化粧が始まっても、リュシーは時折立ち止まって何事かを呟きながら室内を行ったり来たりしている。
やがて化粧が終わり、ローゼを立たせた侍女が声をかけようとしたとき、リュシーは、
「そう、これよ!」
と叫び、ローゼに向けた晴れやかな顔を一層晴れやかにした。
「ああ、やっぱりローゼはどのドレスもよく似合うわ。ずっと見ていたくなるほどに綺麗よ。――だから、ね、お願い。村で結婚式をする時の衣装は私に準備させて」
「えっ?」
ローゼは言葉を失くす。そんなローゼを見ながら、リュシーはくすくすと笑った。
「心配しなくても大丈夫よ。これでも私、見立てには自信があるの。本当に素敵な衣装を用意するから安心してちょうだい」
言って、リュシーは青の強い灰色の瞳に優しげな光を宿す。
「だってローゼは私の大事な義妹だもの」
何も言えないローゼの肩にそっと触れた後、もう一度笑みを浮かべてリュシーは「また後でね」と言って侍女が開けた扉をくぐる。
「あ……」
とっさに手を伸ばしたローゼだったが、それより先に扉が閉まる。
引き戻した手を胸の前で組み、ローゼは唇を噛んだ。
(……あたし)
続き部屋の戸が閉まる音も遠くから聞こえる。
しんとした室内に、ローゼだけが残された。




