5.まやかし
目を覚ましたローゼの瞳にまず映ったものは、白い石でできた天井だった。
見ていた記憶の影響で大神殿にいるような気分になったが、すぐに違うと気づく。この天井はごく狭いもので、支える柱の横からは青空が見えていたからだ。
どうやらここは四阿で、ローゼはその四阿にある長椅子に寝かされているようだった。
何が起きたのかを思い出しながら瞬くうち、近くで男性の声がすることに気付く。
聞こえてくる声はふたり分、いずれも他者に聞かせることを避けるかのようにとても小さく、ローゼは内容を聞き取ることができない。
ただ、片方は詰るように語気が強く、もう片方は気まずそうに口ごもっているというのは分かった。
「……喧嘩……してるの……?」
ローゼが思わず呟くと、話はぴたりと止む。ふたつ呼吸をするほどの間を置いて、穏やかなアーヴィンの声がした。
「喧嘩なんてしていないよ、ローゼ」
わずかな距離を移動して、アーヴィンはローゼの横に膝をつく。
「具合は?」
「うーん、ちょっと怠いけど、でも、大丈夫……」
答えてローゼが身を起こすと、赤い髪が流れ落ちる。
髪はいつも朝に結い上げるので、寝かせる時にアーヴィンが解いたのだろう。
緩慢に首を動かすと、ローゼがいるのはやはり四阿だった。
横を見ると、頭のあった部分には畳んだ黒い布が置かれている。どうやらアーヴィンが自身のマントを枕として貸してくれていたらしい。長椅子はローゼが寝ていたもの以外にもいくつかあるが、この四阿には他に人がいなかった。
「ここ、どこ?」
「北方神殿の庭にある四阿だ。ローゼが倒れたから、少し休ませてもらっているんだよ」
言いながらアーヴィンは立ち上がり、少し離れた長椅子に置いてあった聖剣をローゼに返した。
いつもなら近くに置いてあるはずの聖剣が離れた場所にあったことを、ローゼは少し不思議に思う。しかしそれよりも、この状況をアーヴィンにどう説明すれば良いかという方へ気を取られ、抱いたわずかな違和感は頭の隅に追いやられた。
「そっか。ええと、ごめんね、せっかく銀狼が会いに来てくれたのに。あ、そうだ、このあと改めてもう一度――」
慌てて言葉を連ねていると、畳んだマントを手に取ったアーヴィンが左に座る。
「いいんだよ、ローゼ」
「え?」
「銀狼との挨拶はもう終わったんだ」
【奴とはどこの北方神殿でも会えるしな、ここで何度も会う必要はない】
「……でも」
アーヴィンは微笑んでいるし、レオンの声は朗らかだ。そんな彼らの態度をローゼは不自然だと思ったのだが、どこがどう、というのはよく分からない。
「……あたしのせいで、申し訳ないわ」
仕方なく思いついた言葉だけを口にすると、レオンは小さく笑う。
【気にするな。そもそも俺たちは銀狼の毛を持ってるだろ? あいつは俺やアーヴィンがどの辺にいるのかってことや、生死の判別くらいはできてるんだ】
以前銀狼と会った際、ローゼは彼の毛をもらっている。編みこんだものを1本は聖剣に、もう1本はアーヴィンの左手首に結んでいた。
これは精霊の力の一部なので、歳月を経て劣化するものではない。絆が切れるまでは輝き続けるものだ。
【つまり会いたいってのはだな、あいつの我が儘なわけだ!】
「銀狼が嘆きますよ、レオン」
笑みを含んだ声で言い、アーヴィンはローゼに右手を伸ばす。頬に彼のひやりとした手を感じながら、ローゼは内心で冷や汗をかいた。
(どうしよう……アーヴィンはこのあと絶対「何があったんだ」って尋ねてくるよね……な、なんて言えば誤魔化せる?)
彼の瞳を見つめながら必死で考えていると、アーヴィンは唇を開き、低い声で呟いた。
「さて」
ローゼは身構えるが、彼の口から出た言葉は想像と違っていた。
「今日はどこで夕食をとろうか」
意外なことを言われ、ローゼはぽかんとする。
「……夕食……?」
呆然としながらも、ローゼは質問の意図を考えた。
もしかすると、日常の会話で油断したところに本来の疑問――倒れた理由を尋ねてくるのかもしれない。
油断なく彼の表情を探るが、答えを待つアーヴィンの表情は穏やかだ。しばらく見つめていても、険しい表情へと変わる様子はない。
それでも戸惑うローゼが答えられないままでいると、代わってレオンが口を出す。
【ローゼが前に食べた店はどうだ? 店員に愛想は無かったが味は良かったと言ってたぞ】
「ですが同じ店ではローゼもつまらないでしょう。料理の食べ比べもできますし、他の店へ行ってみるのも面白いかもしれません」
【うーむ、そういう考えもあるか】
彼らを前にして、ローゼは困惑する。
ふたりのやりとりは軽快で、深刻さをまったく感じない。まるでローゼが倒れたことなど忘れてしまったかのようだ。もちろん自分のことを気にして欲しいわけではないが、今までと違いすぎてローゼは気味の悪さすら感じていた。
最終的に夕食は神殿へ戻る途中で見つけた小洒落た店でとることになった。外観に合わない庶民的な食事をしている間も、アーヴィンは楽しげな様子で他愛もない話をするばかりだった。
神殿へ戻った後、ローゼはレオンに「あたしが倒れた後、どうなったの?」と質問したのだが、彼から戻って来た返事は「倒れたローゼを抱えたアーヴィンは、銀狼に別れを告げて四阿へ行った」というものだった。
「本当にそれだけ? ねえ、あたしに何か隠してるでしょ?」
【何かってなんだ?】
それは、と呟いてローゼは言葉を探す。改めて尋ねられると、何が、と言い切ることができない。
「例えば……そう、あたしに関すること、とか。……今までアーヴィンはあたしが倒れた後、必ず理由を聞いてきたのよ。でも今日に限って何も聞いてこないんだもの。なんか不自然で……」
【どうした、ローゼ】
歯切れ悪く答えるローゼに対し、レオンはあっけらかんとした調子だ。
【お前が倒れてもあいつは何も聞いてこない。誤魔化しの必要がなくなった。お前にとっては良い状況になったじゃないか】
「確かにそうだけど……」
【だったら、これでいいわけだ】
本当にそうだろうか、と思う。だがなんと答えて良いか分からず、ローゼは黙ってうなずいた。
* * *
この日以降、アーヴィンはローゼに「何が起きているのか」とまったく尋ねなくなった。
だからといってローゼが神降ろしをしなくなったわけではない。北方に入って魔物が出なくなれば神降ろしも無くなるだろう、との期待をよそに、ローゼの中に棲み着いたらしい『何か』は相変わらず勝手に体を使う。
だが、神降ろしの後のアーヴィンが聞くのは体調だけなので、ローゼは神降ろしを誤魔化すための言葉を口にする必要がなくなった。
それでもローゼは毎回レオンに「あたしが気が付くまでの間、アーヴィンはどうした? 何か言ってた?」と聞く。
レオンからはいつも「お前の心配をしてただけで、他には何も言ってない」との答えが返る。
何回神降ろしをしても変わらないやり取りを、ローゼはイリオスへの道中でずっと繰り返していた。
なんだか茶番のようで馬鹿馬鹿しくなるが、だからといってアーヴィンに真意を尋ねる勇気は出ないままだった。
一方で、そんなローゼをよそ目にアーヴィンとレオンはよく精霊の言葉で話をしている。場所や時間は特に決まっていない。馬上で、宿で、食事をしながらでも、彼らはふとしたはずみにどちらからともなく話を始める。
これに関してはあらかじめ双方から「レオンが精霊の言葉を学ぶため」だと説明を受けていた。
しかしローゼは今一つ信じきれない。
レオンは王都にいる時から何かにつけ「アーヴィンに相談した方がいいんじゃないか」と言っていたのだ。精霊の言葉で話すふたりを見ながら、ローゼの心の中にはいつも疑念が渦巻く。
(本当は、あたしに内緒で神降ろしに関することを話してるんじゃないの?)
だが、レオンからもアーヴィンからも改めて「精霊の言葉を学ぶため」だと言われてしまえば、アーヴィンに神降ろしを秘密にしておきたいローゼは深く追及ができない。
結局もやもやとした気持ちを抱えながら、ふたりが歌うような節回しで話すのを黙って聞いているしかなかった。
今日もアーヴィンはレオンと話している。
誰とも話すことができないローゼが王都よりもずっと涼しい風に吹かれながらセラータに揺られていると、静かな巫子長の言葉が今日も耳の奥でよみがえった。
『身の内に何かを棲まわせてしまった者は、遠からず命を落としておる』
セラータの手綱を握り締め、ローゼは唇を噛む。
(巫子長は確かに、神降ろしを続ければ命を落とすって言ったわ。でも、フロランの結婚式は今しかないんだもの。やっぱり、あたしのことより北へ行く方が優先よ、それに、巫子長の言ってた『身の内に何かを棲まわせてしまった巫子』と、あたしの状況が同じとは限らない)
だって、とローゼは心の中で付け加える。
(あたしは巫子じゃないもの。……だからきっと大丈夫……大丈夫なのよ)
気が付くと、手綱を握り締めた手は白くなっている。開くと手にはくっきりと跡がついていた。
心の中で、大丈夫、大丈夫、と繰り返しながらいつもの力で手綱を握り、ローゼは何かを堪えるように空を見上げた。昨年イリオスへ向かっているときは天気の悪い日が多かったが、今年はすっきりと晴れて気持ちの良い日が続いている。
(だいたい、重要なのはあたしのことじゃないわ。アーヴィンのことよ。ここはもう北方なんだもの、あたしはアーヴィンが大丈夫かどうかをちゃんと見てなきゃいけないの!)
しかしローゼの意気込みは空回りに終わる。
アーヴィンがいつもと違う様子を見せたのは結局、最初の町での1回きりだったのだ。




