31.変転
翌日、ローゼは貴族区域の中で最も大きな屋敷を訪ねた。
あらかじめ話は伝わっているのだろう。門番も、そして玄関で出迎えた侍女も、詳しい話を聞いてこない。
案内された応接室で座り心地の良い椅子にかけると、侍女が茶を淹れてくれた。思わず身構えるが、王都にナターシャが来るはずはない。レオンも「平気だ」と請け合ったので、ローゼはカップを手に取った。
果実のような甘い香りにほっと息をつくと同時に、思いのほか緊張していた自分に気付く。
苦笑しながら何口か茶を飲み、ようやく落ち着きを取り戻したローゼは、侍女の位置を気にしながらそっと囁いた。
「北の城には及ばないけど、ここもずいぶん豪華よね」
思ったより小さい声になったが、机の上に置いた聖剣からは返事が戻ってきた。
【奴らがここで暮らそうと思ってたくらいだからな】
次期公爵として定められていたのがエリオットだった頃、前公爵ラディエイルは余生をこの屋敷で過ごす予定だった。そのために運び込んだ品々は、量としても金額としてもかなりのものだったと聞いている。
「フロランが王都へ来たのは、北へ財産を戻すためかな」
【かもしれん。そもそも――】
レオンが何かを言いかけた時、扉が叩かれる音がした。
近寄った侍女が開き、何かを言う。続いて朗らかな男性の声が部屋に響いた。
「やあ、久しぶり! 会えて嬉しいよ!」
立ち上がったローゼが振り返ると、護衛の騎士を従えた金髪の青年は芝居がかった調子で両腕を広げる。彼の行動を無視してローゼは頭を下げた。
「お久しぶりです、公爵閣下。木を維持した状態でのお暮しはいかがですか」
「……会ってすぐ嫌味とはさすがだね。元気か、なんて聞く必要もなさそうだ。……レオンはお元気ですか?」
【多分、銀狼と同じだろうよ】
「ではお元気ということですね。良かった」
口角を上げたフロランは部屋の奥まで入り、ローゼの対面にある椅子に深く腰掛ける。同じく座ろうとして、ローゼはちらりと背後に視線を移した。
閉められた扉は開く様子もなく、後から誰か来る気配もない。
わずかにがっかりした時、小さな笑い声が聞こえた。
「姉はイリオスにいるよ。私の代わりに城を取り仕切ってる。まだ向こうも落ち着いたわけじゃないから、ふたりして来るわけにはいかないんだよねぇ」
「それは残念です。どうせなら、お越しになる方と残る方、逆の方が良かったのに」
「……前よりずけずけ物を言うようになってないかな、我が義妹は」
眉を寄せるフロランに、同じく眉を寄せてローゼは言う。
「誰が義妹なんですか」
「だってシャルトスの一員であることを示す指輪を持ってるだろ? あれがある以上、一番年下のローゼは私の義妹……」
そこまで言って、ふと真面目な顔つきになったフロランはぽつりと呟いた。
「いや……もしかして義妹ではなく義姉か?」
「は?」
「……その様子だと進展はなさそうだね。何をやってるのかな、まったく」
ローゼが首をかしげた時、レオンのため息が聞こえる。
何故か満足したらしく、フロランは笑みを浮かべた。
「まあいいや。そっちはそっちで適当によろしくやっててよ。――とりあえず」
左手で合図をすると、近くにいた騎士が2通の手紙をローゼに差し出す。
「なんですか、これは」
大神殿長から渡されたものよりずっと豪華な封筒を見ながらローゼが尋ねると、正面から特に何の感情も乗せないフロランの声がする。
「結婚式の招待状」
「結婚式? 誰のですか?」
「私のだよ」
ローゼは思わず顔を上げた。
「フロラン様と結婚する人がいたんですか!」
【お前と結婚しようって相手がいたのか!】
ローゼが叫ぶと同時に机の上からも声が聞こえたため、フロランは端正な顔を思い切りゆがめた。
「親娘して言ってくれるね」
「すみません、あまりにも意外で」
【悪いな。しかし意外だ】
またしても同時に響く声を聞いてフロランはため息をついた。
「本当に息の合った親娘だよ」
【やっぱりそう思うか?】
「そうでもないですけど」
【……ローゼ……】
弾んだ声から一転、情けない声を出すレオンを無視して、ローゼはもう一度手元の封筒に目を落とした。
確かにフロランは公爵なのだから、跡継ぎの問題もある。彼はもう21になったはずだ。結婚してもなんの問題もないどころか、むしろ遅いかもしれない。おそらく大精霊関連のごたごたが片付くまで後回しにしていたのだろう。
「式にはさ。ローゼはともかく、兄上……いや、アーヴィン殿には絶対来てもらいたいんだよなぁ」
「行けないでしょうね。うちの村は神官が一人しかいないんです。もしもアーヴィンが長いあいだ村を離れるなら代理の神官を呼ばなきゃいけないんですけど、おそらく誰も来てくれないでしょうから」
「不人気極まる場所ってわけか。さすがは西の端にある田舎村だね」
フロランはせせら笑う。
「だとすれば、この私が王都へ来たことは正解だったな」
「……そういえば、一体何しに王都へ来たんです?」
「大神殿に寄付をするためさ」
フロランの言葉を聞き、寄付、とローゼは心の中で繰り返した。
大神殿にかかる莫大な費用は術や薬の代金だけで賄えない。
もちろん直轄領もあるが、貴族たちからの寄付もまた重要な収入源だと聞いている。
――そこまで考え、ローゼは目を見開いてフロランの緑の瞳をまじまじと見つめた。
(今、寄付って言った?)
【シャルトス家の当主が、大神殿に寄付をするのか】
かすれたようなレオンの声もまた、衝撃の度合いを表していた。
ローゼとレオンの反応に満足したのだろう。フロランは満面の笑みを浮かべる。
「そう! このフロラン様が、シャルトス家の歴史で初となる『大神殿への寄付』を行うのさ!」
「……いいんですか?」
北方神殿にウォルス教の信者を入れてはいけないという話は、前公爵ラディエイルの捏造だった。
しかし以前からシャルトス領内では神殿を排除してきたはずだ。
「確か、神殿が暗躍していたせいで、北方は独立した国でいられなくなった……んですよね?」
だからこそ北方の民は今でも神殿を嫌うのだとは、他でもないフロランから聞いた話だ。
「そうだね。だから表立って堂々とはやらないし、大神殿にも我が家の名は出さないよう口止めするよ」
元々、寄付というのは善意により行われるものだ。大神殿も寄付を行った人物や額を公表することはない。
というのは表向きの理由、実際には貴族が名を売る目的でするものだと大神殿も分かっている。だからこそある程度の噂を流すし、寄付をした当人も社交の場でそれなりの話を匂わせることがあった。
「シャルトスの名を売るなんてどうでもいいことさ。そんなことをしなくたって十分に知れ渡ってる」
しかしアストラン王国唯一である公爵家の当主は、自信を垣間見せながらゆったりと椅子に体を預ける。
「では、なんのために行うんです?」
「決まってるだろ?」
フロランはニヤリと笑う。
「北方は聖剣を持つ『赤の娘』によって救われた。その恩に報いるため、シャルトス家は大神殿へ内々に寄付を行うことにしたんだ。――北方における彼女の助けはとても大きいものだったんだろうね。何しろ、今まで頑なに神殿を排除してきたシャルトス家を動かすほどなんだからさ」
ローゼは唖然とした。
「……その名前やめて下さい。じゃなくて、あの、もしかして、寄付の際には、あたしのためとか、そんな感じのことを言うんですか?」
「当たり前だろ」
フロランはひらひらと手を振る。
「南方でも活躍した赤の娘……おっと、聖剣の主は、実は密かに他の場所でも助け手となっていたらしい。彼女への感謝を表すべく、とある貴族は大神殿へ寄付を行ったようだ、とね。まあ、そんな話が巷には流れるんじゃないかなぁ」
ローゼの顔から血の気が引いた。
「そんな……この時期に……」
「この時期だからいいんじゃないか」
フロランの顔には変わらずニヤニヤとした笑いが浮かんでいるが、瞳はとても真面目だ。そして彼が南方の話やローゼのことを知っているのは、シャルトス家が他の地域の状況にも目を配るようになったからだろう。
「南方のことだけでなく、他の地域のことも重なる。ローゼの名声は弥が上にも増すだろうね」
「……嘘でしょ……」
「なんて顔してんのさ」
苦笑したフロランは長い脚を組む。
「それにこれはローゼのためだけじゃない。……大神殿の上層部連中は、我が家から神官になった人物がいることを知ってるんだよねえ」
確かに、ローゼが北方から帰って来た後の大神殿の様子を思い出せば、大神官は全員アーヴィンの出自を知っていると考えて良さそうだった。当然、大神殿長も知っているだろう。
「今回の寄付はさ、表向きの理由はローゼだけどね。一応、兄の件をこれ以上は広めるなっていう牽制も含まれてるわけ」
「そうですか……」
「……ということで、ローゼは大神殿の中でもかなり重要視されるだろ? 発言権も強まるだろ? だからさ、西の田舎村に臨時の神官を送り込むよう強く言ってくれよ。なんなら代理神官の給金を上乗せしたって構わない。私が出すから」
身を乗り出したフロランの瞳は期待で輝いている。
「はい、これで話は終わり。アーヴィン殿は、ローゼが頼み込めばきっとイリオスまで来てくれるから問題ないし」
「そんなの……分からないですよ」
視線を外して小さな声で答えると、フロランはどこか面白くなさそうに言う。
「分からないはずないさ。何しろ割と淡泊だと思ってた私の兄は、誰かに対してものすごくご執心だったからね」
大仰にため息をついたフロランは、続いて揶揄するような声を出した。
「ほんと、どこが良かったんだろう。確かに顔はいいけど、性格には難があるし……おまけに小さいし」
(小さい?)
ローゼは自身を標準の背丈だと思っている。北方でも特に小さいとは思わなかった。
怪訝に思っていると、憤りを感じさせるレオンの声が響く。
【失礼な奴だな! こういうのは大きさじゃないんだぞ! 小さくたって構わないだろうが!】
「私は構いますね。大きい方が好みですから。もしかして、レオンは小さい方がいいんですか?」
【え? ……いや、俺も、まあ……】
(何の話をしてるの?)
不思議に思ったローゼが顔を正面へ戻すと、フロランの視線はローゼの首よりもう少し下に注がれている。
確かにその部分に関しては小さいという自覚があった。
「……っ!」
顔を赤くしたローゼは立ち上がる。本来なら椅子は大きな音を立てていると思われたが、毛足の長い上等な絨毯が敷かれているため部屋には微かな音だけが響いた。
「帰ります!」
「はいはい、気を付けて。あ、私は明日の朝に大神殿へ行くからね」
涼しい顔のフロランを睨めつけ、ローゼは床を踏みしめて扉へ向かう。侍女が開けてくれようとしたところで、ふと室内を振り返った。
「今回の異変、北方はどうでしたか?」
「何もないよ。そもそも異変なんて起きたことないし」
「え?」
「あぁ、そうだ。今回平気だったのはきっと、何かが小さい赤の娘のおかげだろうなぁ」
朗らかな声で言うフロランは、良いネタができて嬉しいようだ。
対してローゼは返す言葉が浮かばない。ぎりぎりと歯を食いしばり、黙って部屋を出た。
閉まった扉の向こうからは勝ち誇ったような笑い声が聞こえる。玄関へ案内する侍女の後ろで哄笑を背に受けながら、ローゼは口を開いた。
「ねえ、レオン」
小声のつもりが思ったより大きくなったが、侍女はローゼに視線を向けない。この屋敷にいる人々は北方の出身だ。見えない何かと話をする人、というものに慣れているのだろう。
【……なんだ?】
レオンの声はわずかな警戒を帯びているような気もしたが、今のローゼは彼の様子に構う余裕がなかった。
「レオンも大きい方がいいの?」
【はっ? ……あ、いや……】
思わず詰まったらしいレオンの声を聞き、唇を引き結んだローゼの歩みは大きくなる。
ちらりと後ろを見た先導の侍女は、スカートの裾を上げて小走りになった。
「レオンも大きい方がいいのね? エルゼも大きかったのね?」
【確かにエルゼのは大きかったが……じゃない、お前は何を言ってるんだ】
ローゼは歩く速度を上げる。侍女は完全に走り出した。
「結局はレオンだって大きい方が好みなのね!」
【そんなことないぞ! 俺は大きさなんて気にしない!】
「じゃあ大きいのは嫌いだ、って言ってみなさいよ!」
【それは……】
「ほらやっぱり言えない! レオンの嘘つき!」
玄関に到着したローゼは、肩で息をする侍女に開けてもらった扉から表に出る。
大きく息を吸い込み、両手を握り締め、思い切りローゼは叫んだ。
「大きい方が好きな人なんて、大っ嫌いよおおおお!」
眩しい日差しの中に、ローゼの声が溶けていった。




