26.種
神殿の門に到着した辺りで、ローゼはフェリシアの背から降ろしてもらう。
フェリシアは不服そうではあったが、人と話をするかもしれないのに背負われたままというわけにはいかない。
前庭で待っているというフェリシアと別れ、怠さが残る体を叱咤して神殿へ向かうと、入り口では正神官が出迎えてくれた。
数日前にマティアスを呼ぶ際、正神官にはざっくりと一連のこと、つまり花が何らかの悪影響を及ぼしている可能性がある、との話をしてある。
彼が真っ先に気にしたのはやはりパウラのことだった。
「母親が遺したあの種を、パウラはずっと大事にしてきたんです」
ローゼの話を聞いた正神官は、苦しげに顔をゆがめる。
パウラが種をどれだけ大切に思っているのかは、ほんの少し話をしただけのローゼですら良く分かった。ましてやナゴーレ正神官はパウラがまだ子どもの頃から彼女を知っており、神官になってからは共に神殿で過ごしているのだ。
当然パウラの種に対する思いもよく分かっていることだろう。
大事に育てた薬草が失われて悲嘆にくれるパウラのことを考えるとローゼもつらい。
「私の考えが外れている可能性だってあります。その場合は畑に薬草が残りますから、どうぞ今まで通りに。……ただし、薬草が枯れたり、消滅してしまったときは……」
ローゼが言い淀むと、ナゴーレ正神官は悲しげでありながら、毅然とした表情でローゼを見る。
「その時は、私からパウラに伝えます。あれは魔物が関わっていた良くないものであったと。……彼女も神官なのですから、きっと分かってくれるでしょう。ご安心ください。種もすべて処分いたします」
何日か前の彼はそう言ったのだが、今のローゼには別の考えがあった。
「マティアス様はお戻りでいらっしゃいます」
丁寧に頭を下げる彼は沈んだ表情だ。おそらくマティアスから既に結果を聞いているのだろう。
「ありがとうございます。ところで、ナゴーレ神官。マティアス様と話をした後に薬草庫へ行って例の種を見たいのですが、構いませんか?」
「種をですか? ええ、それはもちろん。よろしければ机の上にお出ししておきましょうか?」
「助かります、お願いします」
では、と礼をするナゴーレ神官の後ろ姿を見送り、ローゼは応接室の戸を叩く。中には来た時と同じようにマティアスが待っていた。ラザレスの姿はないので、彼はまだ戻ってきていないようだ。
「いつ頃戻られたんですか?」
「少し前ですよ」
頭を下げるローゼに、マティアスは来た時のように椅子へと促す。
話を聞いてみると、薬草の咲く瘴穴跡が浄化されたのは、ローゼが村の外へ出てしばらくしてからのようだ。
「ローゼ嬢の言う通り、聖剣を地に刺した後は薬草が枯れ始めていたのです。ただ、ほんのわずかずつでした。それがある瞬間から一気に枯れ始めましてね」
おそらくローゼが瘴穴に聖剣を突き立てた後だろう。うっすらとした記憶の中、ローゼの聖剣から放たれた光が吸い込まれるのを見たように思う。あれは畑の浄化をしに行ったのではないだろうか。
瘴気から薬草の香りがしたことといい、もしかすると瘴穴跡の畑と村の外の瘴穴は何らかの形で繋がっていたのかもしれない。
ローゼが言うとマティアスは考え込む様子だった。
「二家の文献に魔物のことはそれなりに書き記してあるのですが、さすがに人が見ることのできない瘴気や瘴穴のことは……。ですが可能性はあるのかもしれませんね」
文献、と呟いたローゼの頭には精霊たちのことがよぎった。
精霊たちは瘴気や瘴穴を見ることができる。もしかすると北方神殿になら何か書き記されたものがあるかもしれない。
いや、例え書としてはないのだとしても、尋ねれば精霊たちが教えてくれたりはしないだろうか。
(今度レオンに聞いてもらおう)
そんなことを考えていると、マティアスが「ところで」と話を切り出した。
「ローゼ嬢が私を必要としていた理由は、もうなくなったということでよろしいですね」
ローゼがマティアスを呼んだ理由は『花が好きな魔物がいるかどうかを教えてもらうため』、そして『薬草の畑に近寄れないローゼに代わって浄化してもらうため』だ。
このふたつが終わった今、マティアスに村へ残ってもらう理由はなかった。
「はい。お越し頂きまして本当にありがとうございました」
利用したみたいで申し訳ないと思いつつ頭を下げるが、マティアスに気を悪くした様子はない。
「分かりました。では私は明日にでも村を発つことにします」
マティアスはにこやかに答え、不意に瞳を閉じる。
わずかな後に瞳を開いたとき、彼は今しがたの柔和な様子が嘘のように厳かだった。
しばしローゼの瞳を見つめた後にマティアスは立ち上がる。背筋を伸ばすと、ローゼに向かって深く頭を下げた。
「マ、マティアス様? どうされたんですか?」
狼狽えたローゼも思わず立ち上がる。
そんなローゼに向かって、マティアスは重々しく述べた。
「正直に申し上げますと、我々聖剣の二家は『瘴穴の浄化』というものに懐疑の念を抱いておりました」
頭を下げたまま、マティアスは続ける。
「しかし今回、私は薬草の状態を目の当たりにし、あなたの言葉が真実であると理解しました。……今まで疑っていたことをお許しください」
【どいつもこいつもローゼのことを疑いやがって】
「あ、あの、マティアス様、どうかお気遣いなく。お願いですから顔を上げて下さい。あたしの方がどうしていいのか分からなくなってしまいます」
レオンの文句を聞きながらおろおろしながら頼むと、ようやくマティアスは頭を上げ、ローゼに向かって微笑んだ。
「あなたは素晴らしい力を神から授けられましたね、ローゼ嬢」
彼の瞳に嫌なものは一片もない。かけてくれたのも純粋な賛美の言葉だ。
だが、ローゼは思わず目をそらした。
自分が疑われていることはローゼもよく分かっている。いや、むしろ、信じている人などいるのだろうかと思っていた。
大神官たちの投票により可決されても、ローゼがいくら状況報告をまとめようとも、瘴気や瘴穴は人には見えない。
実績のない村娘が突飛なことを言うのだから、胡散臭く思われることは仕方がない、とローゼはずっと考えていたのだ。
しかしまさかこんなに早くブレインフォード家当主が認めてくれるとは思わなかった。そしてブレインフォードが認めたのならば、セヴァリー家もまた認めたのと同等だ。
聖剣の二家が間違いないと言い切るのであれば、大神殿内で懐疑的だった人々の中にも考えを変える人が出てくるに違いなかった。
もちろんレオンの力がある以上、ローゼに見えているというのは間違いではない。
最初にレオンのことは秘密にしようと決めた時から、瘴気や瘴穴が見えるのはローゼ自身が神から授けられた力だということにしてある。レオンもそれで構わないと言っていたし、そもそも彼自身そんな事に頓着していなかった。
(でも、本当に瘴気が見えるのはレオンだもの。あたしが見えてるわけじゃない……)
ローゼは悄然として聖剣に視線を落とす。
称賛を受けて生まれたのは、戸惑いと、嘘をついているという罪悪感だった。
* * *
状況の説明を終え、ローゼはマティアスと共に部屋を出る。
「ローゼ嬢はこのあとはどちらへ?」
マティアスの問いにローゼはすぐ傍の扉を示した。
「あの薬草の種をなんとかしなくてはいけないので、まずは薬草庫へ行きます」
畑に植えられた薬草は既に枯れた。
瘴穴跡も浄化された。
しかし『花を愛でるもの』が作り出した『2』の種をこのままにしておくわけにはいかなかった。
「また何かのきっかけで芽吹くかもしれません。その前に何とかしないと」
腰の物入れの中で成長していた種を思い出して小さく身を震わせると、マティアスの瞳がきらりと光ったように見えた。
「何とか? 何をなさるのか、伺ってもよろしいですか?」
彼の様子は好奇心旺盛なラザレスを思い出させる。
このふたりは確かに親子なんだ、と妙なところで感心しながら、ローゼは薬草庫の扉を開けた。
「実は簡単な方法なんです。……ただちょっと面倒なだけで」
ここは以前フェリシアとルシオの話を立ち聞きした部屋だ。あの時はたくさんの薬草が吊り下げられていたが、今日は部屋の中に何の薬草も下がっていないために室内はがらんとしている。
そして正神官が置いてくれたのだろう、中央の机には『2』と書かれた袋があった。
ローゼはまず、袋から種を1粒取り出す。
机の上に置くと聖剣を抜き、注意深く種に突き刺した。
【……読み通りだ。浄化はできる。もうこの種は普通の種と変わらない】
レオンがどことなく暗い声を出す。
横から見ていたマティアスが面白そうな声を出した。
「ほう、それは瘴穴を消すやり方と同じですね。これで浄化もできるんですか」
「はい」
答えるローゼを興味深げに見た後、マティアスは袋の中身を目にして眉を寄せる。
「……ローゼ嬢。まさかとは思いますが、あなたはこの種全部に同じことをするつもりですか?」
『2』の種が入っている袋の大きさは片手に乗る程度だが、その袋いっぱいに小指の先ほどの種が入っている。
いったいどれほどの数があるのか見当もつかないが、迷いなくうなずくローゼを見て、マティアスは小さくうなった。
【な? 他の奴からも、信じられないって思われるようなことだぞ?】
うんざりした調子で言うのはレオンだ。
彼はローゼの案を聞いたときから「そんな面倒なことをしなくても燃やせばいいだろう」と言って反対してきた。
(しつこいわね、レオンてば。でもあたしだって折れるつもりはないわよ)
聖剣をひと睨みした後、ローゼはマティアスに顔を向ける。
「浄化すれば処分する必要がなくなります」
レオンには何度も言ったことだが、改めて聞け、と言うつもりでさらに聖剣の柄を叩く。
「この種は、エンフェス村副神官のパウラが家族の形見と思って大事にしてきたものなんです。……彼女は丹精込めて薬草を世話してきました。その薬草が枯れてしまった今、できれば種だけでも残してあげたいんです」
浄化をすればパウラが喜んでいたすべての特徴は消え、『1』の種と同じものしか生えなくなる。
それでも燃やして完全に消し去るより、『1』の種も『2』の種も両方残す道をローゼは選びたかった。




