余話:イレーネ
イレーネ・ファラーは自分の家族に対し「世話の焼ける人物ばかりだ」という思いを抱いている。
祖父と父のふたりはお互い家長としての威厳を見せようとしているのだが、この親子は困ったことにお調子者の酒好きだ。
いつも羽目を外しては祖母と母に怒られているので、最近はある程度飲んだところでイレーネがこっそり酒を隠しているのだが、ふたりとも隠されていることにはまだ気付いていないらしい。
そんな祖父と父を「まったくあの人たちはだらしがない」と言う祖母と母も、お喋り好きという欠点に関してはどうしようもない。
ふたりの口ときたら鳥の羽1枚より軽く、しかも話に夢中になるとすべてを忘れる。彼女たちがお喋りに夢中になって放置しているものを、イレーネが最後までやりとげているということも知らないだろう。
こんな祖父母や両親を見る兄たちの目は「やれやれ」と言いたげだが、兄たちだってイレーネからすればとても「やれやれ」だ。
上の兄、マルクは体が大きくて力が強いくせに、ガサツなせいでよく物を破壊する。しかし本人はそのことに気付かないか、もしくは気にしていないので、いつもイレーネが人知れず片付けをしている。
下の兄、テオは華奢で線の細い印象の通り、気が弱くどこか押しも弱い。いつのまにか面倒ごとを抱え込んでいるので、イレーネは彼の周辺に気を配り、時にはひっそり手伝うこともあった。
そして姉のローゼだが、彼女だけは少し違う。
ローゼもイレーネの補助を期待して物事を放置することはあったが、それでも日々くるくると働くイレーネに感謝をし、ときどきはご褒美だと言って好物のお菓子をくれたり、本で読んだ色々な話を聞かせてくれたりもする。
イレーネ自身、家族のことをあれこれやっているのは、別に頼まれたわけでも感謝されたいわけでもない。
それでもやはり、分かってくれている人がいるというのは嬉しい。イレーネは「家族の中で一番好きな人は誰か」と問われた時、いつも姉の名を出していた。
しかし、そんな姉は今、残念ながらほとんど家にいない。
どうやらローゼは聖剣の主になったらしい。
今まで魔物と戦ったことなどないくせに、魔物と戦う役を引き受けたということで、村の皆はもちろんのこと、家族も非常に驚き、戸惑った。
平凡な――いや、確かに容姿だけは村でも1、2を争うと言われたし、変わり者という点ならば右に出る者はいないが、それでもごく普通の村娘であるローゼがまさか聖剣を持つなど想像すらしなかったのだから当然だ。
それでも、アーヴィンに代わって村に滞在していた神官のミシェラが誠意を示し、言葉を尽くして説明してくれたので、最終的にファラー家の面々も「ローゼのことは心配だが、本人が選んだのだから後押しをしよう」と覚悟を決めることにした。
だからといって、長い間連絡も無しというのは酷い。
アーヴィンが村から姿を消していたのとほぼ同じ期間、彼女はまったく連絡を寄越さなかったのだ。
ある日ひょっこりと戻って来た姉に「一体どこで何をしていて、なぜ連絡をしなかったのか」とイレーネが尋ねたところ、ローゼはふいと目をそらし、
「えーと……ちょっと連絡ができない場所にいたのよ」
と答え、
「あ、ほら、そろそろ村祭りの時間。早く行かなきゃ。話はまた今度ね」
と言うが早いか、そそくさと立ち去ってしまった。
この国に連絡ができない場所があるとは思えない。
商人は町や村への移動をするのだし、そもそも神殿がある以上は連絡馬車が使える。連絡できない場所というのは、人も通わぬ場所か、あるいは神殿がない場所くらいだ。
(お姉ちゃん、バレバレの嘘ついてる)
しかしローゼの様子から何かを誤魔化したがっていることを察したイレーネは、追及を止めてそっとしておくことにした。
物分かりの良さというものは生きていれば時に必要となるのだと、12歳のイレーネはもうとっくに知っているのだった。
* * *
「イレーネ」
その日、祈りを終えて家路に向かおうとしたイレーネが神殿の前庭を歩いていると、出て来たばかりの礼拝堂の方から名を呼ばれた。振り向くとアーヴィンがこちらへ向かっている。
イレーネはこっそりため息をついた。
――この男とは話をしたくない。
だからといって無視するわけにもいかず、仕方なくイレーネは立ち止まる。
そんなイレーネの胸の内に気付いているのかどうか、近くまで来たアーヴィンは、いつもと変わらぬ様子で話しかけてきた。
「先ほど大神殿から鳥文が届きました。未だに南方は落ち着きませんが、それでも大きな問題は起きていないようです」
「……はい」
「南方は連絡馬車も動いておらず、商人の往来もないと聞いています。イレーネもご家族の皆様も不安ですよね。……せめて手紙でも来れば良いのに……」
最後の言葉を独り言めいた調子で呟き、アーヴィンはわずかに微笑む。
「ですがローゼにはきっと神々が加護を授けて下さいます。何より、聖剣という強い力があるのですから心配はいりません」
「……はい」
「それでも、何か気にかかることがありましたらいつでも神殿へお越しください。私でよければ話を伺いますし、分かる限りの情報をお伝えしますから」
アーヴィンの励ましにうなずきながら、イレーネは少々いたたまれなくなる。
実を言えばファラー家では、ローゼのことをあまり心配していなかった。
祖父や父は姉の話をするとき「あの子は神から選ばれた娘だ。見事に使命を果たすだろう」と酒を飲まなくても酔ったことを言う。
祖母や母はご近所さんたちとの会話で中心になることが増えたために嬉しそうだ。
上の兄は「姉貴は殺しても死なないぞ」と良く分からないことを自慢げに言い、下の兄は「姉ちゃんは強いから大丈夫だよ」と謎の信頼感を持っている。
毎日というわけではないにしろ、神殿へ足を運んでは姉の無事を祈るイレーネこそ、ファラー家で一番ローゼのことを心配している人物だろう。
(……でも)
イレーネは目の前に立つ神官を見上げる。
アーヴィンは自分を含めた家族の誰よりも、姉のことを心配をしているような気がする。それはきっと、アーヴィンがローゼを特別だと思ってくれているためだろう。
(……でも。この人の『特別』は、私が期待してるような『特別』とは違う)
イレーネの頭にまずよぎるのは村祭りのこと。
数か月前に行われた村祭りで、ローゼとアーヴィンのふたりは話題を独占していた。
何しろ、今まで必ず酒を飲んでいたアーヴィンが最後まで酒を口にすることなく、初めて踊りに参加したのだ。しかも最初に踊った相手は聖剣の主になったばかりのローゼなのだから、これが話題にならないはずがない。
一体どういうことなのだ、とざわめいた村人たちは、もちろん本人たちに尋ねたのだが、アーヴィンも、そしてローゼも「たまたまそういう流れになって」という言葉しか返さなかった。
そんな返答に納得するはずもない村人たちは村祭りが終わってからも憶測を飛び交わせ、最近では
「聖剣の主となったローゼが、権力を利用してアーヴィンに踊りの相手をさせた」
「村の神官でしかないアーヴィンが、地位を持ったローゼを篭絡しようと目論んでいる」
というふたつで議論することが多くなっている。
以前ならば
「ふたりは元々好きあっていた」
という説が主流だったが、こちらはもう否定されていた。
なぜなら――。
「アーヴィン様」
まるで黙り込むイレーネの代わりをするかのようにして女性の声が響く。
現れたのは、胸元までの栗色の髪をふわりとなびかせたベアトリクス・ターク。
グラス村において、ローゼに勝るとも劣らない美貌を持つと名高い女性だ。
生命力あふれる印象のローゼとは対照的に、儚げな雰囲気を持つベアトリクスは22歳、このところ頻繁に神殿へ出入りしてはアーヴィンと親しく話をしている。特定の誰かと近くつき合うことがなかったアーヴィンにしてはとても珍しいことだった。
彼女の玲瓏な声で名を呼ばれた神官が、振り返って問いかける。
「何かありましたか、ベアトリクス?」
「はい。実は、神殿の方で……」
言いかけたベアトリクスは、アーヴィンがイレーネと話していることに気付いたらしい。
申し訳なさそうな視線を向けて何かを言いかけるベアトリクスに、イレーネは手を振ってみせた。
「もう帰る」
言ってアーヴィンに頭を下げ、イレーネは素早く身をひるがえす。
足早に立ち去ろうとしたのだが、背後からアーヴィンの声が追いかけて来た。
「何かあれば、すぐに連絡をします」
再度立ち止まったイレーネは、仕方なく振り返る。
アーヴィンは穏やかな笑みを浮かべたまま会釈をすると、ベアトリクスを促して神殿へ戻って行った。
ふたりの姿を見ながらイレーネは唇を噛む。
(……アーヴィン様……なんで……)
村祭りの際、アーヴィンと踊っていた姉のことをイレーネは忘れられない。
心の底から幸せそうに、そして最上の喜びを得たかのような笑みを浮かべるローゼは本当に美しかった。見るものすべてを魅了して蕩かすような表情の女性が見知った姉だとはとても思えず、イレーネは言葉もなくローゼに見惚れたのだ。
あの笑顔は間違いなく踊っていた相手に向けられたもの。そしてその表情には彼女の気持ちすべてが籠められていたはずだ。間近で見ていた彼が気づかないわけがない。
(……お姉ちゃんは聖剣の主様になった。アーヴィン様より偉くなった。だからアーヴィン様はお姉ちゃんを気にかけてくれる。それ以上の意味なんてない。だって……)
もしイレーネが望む通りならば、今見ているような事態にはならないはずだ。
イレーネはベアトリクスと並んで歩く後ろ姿を睨みつける。
(お姉ちゃんから、あんな顔を見せてもらったくせに!)
人の気持ちは変わるものだし、思い通りになどなりはしない。そもそもイレーネは当事者ではないのだから怒りを覚えるのは理不尽だ。
――それでも。
(……嫌い!)
これ以上ふたりが並んでいるところを見たくなくて、踵を返したイレーネは家へ向かって大股に歩きだした。




