47.帰郷
遠くにグラス村が見えてきて、ローゼは思わず顔をほころばせた。
「やっと着いた! なんかすごく遠かった気がするわ!」
【戻るのはいつ以来だ?】
「エルゼを降ろした後、フェリシアと一緒に王都へ向かってから初ね!」
ローゼの嬉しそうな声を聞いて、レオンも楽しげに笑いながら答える。
【ということは、お前が聖剣の主になったと公表されてから初めて戻るわけだ】
「そういえばそうね。いろんなことがありすぎて忘れてたわ」
笑い声をあげたローゼは、セラータを少しだけ急がせる。
今の同行者はレオンだけだが、北から大神殿へ戻る道中は、ずっとアーヴィンと一緒だった。
ふたりとも髪を隠しての旅だったので多少怪しまれはしたものの、雰囲気の変わった北方の旅は行きよりもずっと楽だった。しかもレオンと、そしてなによりアーヴィンが一緒なのだ。ローゼにとって怖いものは何もない気がしていた。
もちろん、老術士のジュストにも会いに行った。18年ぶりの再会となる師弟がお互いに喜びあっている姿は、ローゼにとって胸があたたかくなる光景だった。
旅を続けていたラザレスとコーデリアのふたりにも途中の町で出会った。
「ローゼも空から降る銀の粉を見た? あれすごかったよね!」
興奮気味にラザレスが語る間、コーデリアはアーヴィンにちらちらと視線を向けている。ラザレスが話し終えた頃合いを見計らって、コーデリアはそっとローゼの袖を引いた。
「ねえ、その人が、ローゼの会いたかった人……?」
ローゼが笑顔でうなずくと、コーデリアは微笑み「かっこいい人ね。それに、ずっと寂しそうだったローゼが嬉しそうで、私も嬉しい」と耳打ちをしてくれる。
彼女の言葉に礼を言いつつ、ローゼはコーデリアの成長ぶりに驚いていた。
コーデリアは以前会った時よりずっと内気さが薄れて表情も明るい上、周りにも目を向けられるようになっている。きっとラザレスとの旅は、彼女にとって有意義なものだったのだろう。
一方で、相変わらず好奇心旺盛な様子のラザレスは、アーヴィンへ目を向けながらしきりに首をひねっている。難しい顔をして悩んだ後、コーデリアと同じようにローゼへ耳打ちをしてきた。
「あのさ、ローゼが会うのは北方の人だって言ってたよね? でもこの人って王宮で見た怖い神官だと思うんだけど、どうなってるの?」
ラザレスはこっそり尋ねたつもりのようだが、案外声は大きかった。彼の発言は周囲にも聞こえていたようで、アーヴィンは口を押えて横を向く。どうやら笑いをこらえているらしい。
その様子を見たコーデリアは、真っ赤になりながら両手でばしばしとラザレスを叩く。少年は「い、痛っ! 何するんだよコーデリア!」と抗議しながら頭をかばっていた。
「あのふたりも、ずいぶん関係が縮まったというか……コーデリアなんて、たくましくなってたわねぇ」
【そうだな。お前の同伴者として一緒に旅をするのも面白いかもしれんぞ】
レオンの言葉にローゼはうなずく。今のふたりとなら、一緒にでかけても楽しそうだ。
しかし、ローゼは先に同伴者として選ぶ人物がいる。
「でもまずはフェリシアよ」
【確かにそうだな】
大神殿に戻って必要な報告を済ませた後、ローゼはすぐにフェリシアの部屋を訪ねた。扉を開けた彼女はローゼを見た途端、美しい紫の瞳を涙でいっぱいにする。それでも笑顔で「おかえりなさいませ、ローゼ」と言ってくれた。
「その様子ですと、何もかもうまく行きましたのね」
「うん。フェリシアのおかげよ」
ローゼがフェリシアから預かった金の紋章……伯爵の証を取り出すと、フェリシアはそっと受け取り、小さな声で尋ねる。
「わたくし、お役に立てましたの?」
「もちろんよ。フェリシアがいなかったら、きっとうまくいかなかった」
ローゼが強く請け合うと、フェリシアは花が咲くような笑みを浮かべた。
「嬉しいですわ! あぁ、ローゼはどのような旅をなさいましたの? きっと長いお話になりますわよね。部屋でゆっくり聞かせて下さいませ!」
「いいけど……でもフェリシアはこの後、訓練があるでしょ?」
「あらっ、大変ですわ! わたくし――」
「頭痛と腹痛と腰痛で動けない?」
ふたりは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「さあ、早くお入りになって!」
「うん、ありがとう。……あ、そういえばね。シャルトス家の城で飲んだお茶より、フェリシアが淹れてくれたお茶の方が美味しかったよ」
ローゼが言うと、フェリシアは「まあ」と呟き、嬉しそうに笑う。
「そうだと思いましたわ!」
自慢げに胸を張ると、いそいそと部屋へ戻った。
「では、さっそく淹れて差し上げますわね!」
予想通りの答えが戻ってきたことを密かに笑いながら、ローゼは扉を閉めた。
* * *
「ローゼじゃない!」
グラス村に入った途端、ローゼは近くにいた人々から歓声と共に出迎えられた。
あっという間に人に囲まれて身動きが取れなくなり、セラータが少しばかり不満げな声を出す。ローゼが彼女をなだめているうちにもどんどん囲まれ、辺りは人だらけになってしまった。
もともとさほどに大きくはない村だということもあり、噂が広がるのはやけに早い。とはいえ帰る早々ここまで人が集まるとは思わなかったので、ローゼが曖昧な笑みを浮かべつつも困っていると、前方から少しずつ空間ができてきた。
「みんなが嬉しいのは分かるけれど、これではローゼが困ってしまうわ。一度落ち着きましょう」
指示している女性が柔和な、それでいて凛とした様子で周囲を諭す。
ローゼは思わず声を上げた。
「神官様!」
「おかえりなさい、ローゼ。迎えに来たわ。家へ戻る前に、神殿へ馬を預けに行くでしょう?」
「はい、ありがとうございます!」
神官様ことミシェラ・セルザムは優しく微笑む。ローゼはセラータから降り、胸をなでおろしながらミシェラの先導の下に歩き出した。
「さすがに人気ね、聖剣の主様」
「もう。神官様まで」
わずかに不満をのせてローゼが言うと、ミシェラは、ふふ、と小さく笑う。
本当に不満だったわけではないローゼも、つられてすぐ笑顔になった。
「ローゼはまだその呼び名に慣れないのかしら?」
「はい。……本当は自覚するために慣れた方がいいとは思うんですけど、できれば村の人にはそう呼んで欲しくないんですよね」
ローゼの言葉を聞いたミシェラは嬉しそうな声を出す。
「まあ。もしかして、私のこともまだグラス村の人だと思ってくれるの?」
「神官様はずっと、グラス村の人です」
心の底からそう思っているので、できうる限り気持ちを乗せて伝えると、ミシェラは感慨深げにローゼを見た。
「とても嬉しいわ。それに、とても立派になって……」
ついでミシェラは歩きながらも声をひそめる。
「……今回の件について詳しく聞いたわ。もちろん、ローゼのこともよ。にわかには信じがたかったけど、ローゼの様子は大神殿で会った時より、もっと堂々として見えるものね。……本当に、レスター神官から聞いた通りだわ」
不意に彼の名を聞いたローゼはどきりとする。気持ちの変化は顔にも出てしまったようで、ミシェラの表情が悪戯っぽい笑みに変わった。
「あらあら、今褒めたばかりなのに。そんなことでは、村人の噂になる日も遠くないわよ?」
「……何の話ですか? あたしは、別に」
視線を逸らすと、楽しげな笑い声まで聞こえる。
顔が赤くなるのを感じながら、ローゼは小さく呻く。日数から考えると、アーヴィンは10日ほど前にグラス村へ着いているはずだった。
大神殿まで一緒だったローゼとアーヴィンが西へ戻る際に一緒でなかったのは、ローゼが各所へ挨拶その他に回る必要があったからだ。
原因は、主にアーヴィンだった。
北から戻ると、彼のことは大神殿で問題になっていた。ハイドルフ大神官はなんとか抑えていてくれた方なのだが、やはり抑えきれていなかった部分もある。
そのためローゼは、以前大神殿に作った貸し――アレン大神官とブロウズ大神官が王都近くの町へ呼び出した事件に関してのことを持ち出したり、さらには面倒事をいくつか引き受け、アーヴィンのことを完全に不問にするようかけあっていたのだ。
それでもアレン大神官が食い下がろうとしたので、仕方なくシャルトス家の名前までちらつかせて事を収めたのだが、思ったより収拾には時間がかかってしまった。
もちろんこれらのことはアーヴィンには言っていないし、今後言うつもりもない。彼を連れ戻し、もう一度神官に戻したいというのは、元々ローゼの我が儘なのだ。余計なことで思い煩ってほしくない。
しかし「あたしはまだ用事があるから、先に帰ってて」と言ってアーヴィンと別れたときの彼の素振りから判断するに、どうやら気付かれてしまっているように思えた。だとしてもアーヴィンはローゼの気持ちを汲み、すべてを分かった上で知らないふりをしてくれるだろう。
そんなことを思いながらミシェラと他愛もない会話をしているうちに、日の光を受けて白く輝く建物が見えてきてたので、ローゼは頬が緩むのを感じる。
なじみ深い神殿の前には複数の女性がいたのだが、中のひとりがローゼを認めたらしく、大きく手を振って走り出した。
「ローゼ!」
小麦色の髪をなびかせて駆け寄ってきたのは、村長の娘ディアナだ。
「ディアナ、久しぶりー」
村で一番仲良しの彼女とこんなに会わずにいたのは初めてのことだった。嬉しくなったローゼがひらひらと手を振ると、近くまで来たディアナはローゼの頭を叩く。
「何が久しぶりーよ、もう! 手紙の一通も寄越さないで!」
「あれ? そうだっけ?」
「そうだっけじゃないわよ! ずっと心配してたんだからね!」
ディアナは潤んだ赤茶の瞳をローゼに向ける。
「……でも、無事で良かった」
「ごめんね。ありがと」
自分のことを心配してもらえるのは、とても幸せなことだ
ローゼが申し訳なく思いながら言うと、ディアナは目に涙をためたままで笑う。
「しょうがないわ。ローゼはそういう子だもんね。ちゃんと帰ってきただけで良しとしてあげる」
彼女の言葉を聞いたローゼが何かを言うより早く、ディアナは腰に手を当て、芝居がかった様子で言い放った。
「しかし、さすがはローゼであるぞ。わざわざ間に合わせたのじゃな!」
「間に合わせた? ん? 何に?」
首をひねるローゼを見て、ディアナはがっかりしたように肩を落とす。
「まったく。旅に出たら村の暦なんてすっかり忘れちゃったわけ?」
「そんなことないってば。……で、なに?」
「やだ。この子本当に忘れてるわ」
ディアナは呆れたように肩をすくめると、ローゼに指を突きつけた。
「明日は村祭りよ!」




