45.漣
買い物に出てから3日後の早朝、ローゼはすべての荷物を抱えて部屋を出た。
* * *
街へ出た時に北方神殿で銀狼に会って以降、不審そうな様子を見せていたレオンは、部屋へ戻ってからローゼに質問を投げかけた。
【ローゼ、何を考えてるんだ? まるであいつが城に残るみたいじゃないか】
「……みたいじゃなくて、あの人はここに残るのよ」
【なんだと?】
レオンは声を荒げる。
【あいつめ、いったい何を言いやがったんだ!】
「落ち着いてよ。別にあの人からは何も言われてないから」
ローゼは買ってきたものを取り出し、旅用の袋に詰め始める。これらはすべて旅に必要な品々だ。淡々と袋詰めをするローゼを見ながら、声を落としたレオンが問いかける。
【……どうした、ローゼ。何があったんだ? 俺にも教えてくれ】
「……あたしにはあたしの考えがあるの。それだけ」
【だが、あいつは何も言ってないんだろう?】
納得がいかないと言いたげにレオンは食い下がる。
【なあ、俺だって一緒にここまで来たんだぞ。一緒に考えて頑張ってきたじゃないか。何があったのか、話してくれても――】
「うるさいわね。黙ってよ」
ローゼは聖剣を睨みつける。
「黙んないなら、箪笥に入れっぱなしにするわよ?」
【……そうか。入れたいならそうしろ。だが俺は黙らないぞ】
「言ったわね。脅しじゃないわよ。本当に入れっぱなしにするからね!」
【ああ、構わん。その代わり俺も本当に黙らないぞ。もしお前が俺を箪笥から出した時は、ちゃんと考えを聞かせてもらうからな!】
ローゼは聖剣を掴むと、宣言通り箪笥に放り込んだ。
しかし、レオンも宣言通り喚き続ける。
結局、根負けしたのはローゼだった。
夜中も含めて丸一日喚き続けるレオンにげんなりしながら、ローゼは箪笥から聖剣を取り出す。
「あたしの負けだわ。本当にずっと言いっぱなしだなんて思わなかった」
【分かればいいんだ。それじゃ何を考えてるか聞かせてもらおうか】
机の上に聖剣を置き、椅子に座ったローゼは頬杖をつく。
「……あのね、あの人からは何の答えももらってないの。あたしも再度問いかけたりはしてないから、あの人が何を考えてるのかは知らないわ。……でも答えはもういらない。あたしとレオンだけで王都に帰ることにしたから」
【だから、どうしてそういう結論になるんだ!】
ローゼの言葉を聞いたレオンは、今まで以上の声で喚きたてる。
【お前はあいつを連れ戻すためにここまで来たんだろうが! なんのために銀狼を木に据えたんだ!】
「いいじゃない。結果的にこの地の人のためになったわ」
ローゼは笑いながら左腕に視線を落とす。
これはアーヴィンがローゼにお祝いとしてくれたものだ。見るたびに切なくなるかもしれないけれど、絶対手放さないと約束した。
「街の人の様子もそんなに悪くなかったじゃない? あたしも、頑張ってきたことに意味があって良かったし……」
この部屋は2階にある。窓からは広大な庭園が一望できるが、精霊のいる小さな庭は場所が違うので見ることはできない。
「……来るときみたいな嫌な噂ばっかりじゃなくなってたのも、本当に良かったと思ってる」
【……なあ、ローゼ。違うだろう?】
「もういいの」
【せめてあいつの答えだけでも聞かないか? もしかしたら帰るつもりでいるかもしれない。それなら――】
「いいんだってば。もういいのよ」
その後もレオンは、部屋を出るまでずっとローゼの説得をしようと試みていたが、どうしてもローゼが意思を曲げないとわかると、悔しそうな様子で言う。
【何が『真剣に言うなら聞く』だ。やっぱりお前は自分が決めたことを押し通すじゃないか。俺の言うことなんか聞きやしない】
それきり黒い鞘に収まったレオンは黙ってしまった。以降はローゼが話しかけても返事すら戻らない。
確かにレオンがここまで付き合ってくれたのは、ローゼが我が儘を言ったからだ。明け方の小さな庭で「本当は止めたい」と言っていた声を思い出し、申し訳なくなってくる。
それでもローゼは、公爵家の長男から返事をもらうつもりがなかった。
* * *
そっと扉を閉めたローゼは、先日街へ行った時の要領で表へ出る。
黙って歩き続けていたが、馬屋へ向かう途中で立ち止まり、改めて城を見上げた。
まだ強くはない朝の光を受けた城は、多くの部分に影を落としながら、それでも堂々と立っている。
この城は今まで数えきれないほどの死と誕生を見ているはずだ。それらの出来事や、暮らす人、働く人の様々な人の思いを抱え、すべてを歴史としながら、これからもこの場に立ち続けるのだろう。
――きっと、エリオットもこの城で歴史を繋げていく。
城から顔を戻し、また馬屋への道を進む。歩きながらローゼは思い返した。
(最後にあの人と会ったのは昨日の夕方だったな……)
『なかなか時間が取れないので、せめて夕食でも一緒に』と書かれた手紙を受け取ったローゼが断りの返事をした後に、理由を問いただしに来たのだ。
「当たり前でしょう?」
渋面のローゼが答えても、護衛を従えたエリオットは、わけが分からない、と言いたげだった。
「食事をしてくれるくらい構わないだろう?」
「構わなくないわよ、もう。……あのね。あたしがお貴族様と一緒の食卓につけると本気で思ってるの?」
「どうしてそういうことを――」
「言うわよ。だってあたしは、食卓でちゃんとした振る舞いができる自信は無いもの」
もちろん町の食堂などで食べる分にはひどいとは思わない。自宅でも食べ盛りの弟ふたりを諫め、きちんとした食べ方を教えられている程度にはまともだと思っている。
しかしそれはあくまで、庶民としての食べ方だ。食器の使い方から話し声にまで決まりがある貴族の食卓でうまく振る舞えるかと聞かれれば、お辞儀同様まったく自信がないと言うより他なかった。
「私しかいないんだから、気にする必要はないよ」
食い下がるエリオットを見ながら、ローゼは渋面のまま答える。
「そんなわけないでしょ。給仕の人や、護衛の人がいるんだから」
「それは……」
困ったように口ごもるエリオットの横を通り、ローゼは音を立てて扉を開けた。
「いつまで待っても答えは同じよ。あたしは一緒に食事なんてしない。はい、お帰りはこちら」
しかしエリオットはローゼを見つめたまま動かない。
小さく息を吐いて渋い顔を緩めたローゼは、努めて穏やかに続けた。
「忙しいんでしょ? あたしにかまけて時間を無駄にしてちゃ駄目」
ローゼに頑として首を縦に振る気配がないと知ったエリオットは、結局諦めて部屋から退出した。
――考えてみれば、あれが最後の会話だった。
もう少し情緒のある会話なら良かったのにとも思うが仕方ない。
代わりに部屋を出る際、手紙を置いてきた。エリオットと、リュシーと、一応短文でフロラン宛だ。
手紙を見た彼らはどのような反応をするだろうか。
きちんと別れを言えないのは申し訳ない気もしたが、それでも直接会って別れを告げる気がローゼにはなかった。
足元を見て歩きながら、ローゼは馬屋へ行くために花々が咲く区域を通り、刈り込まれた植え木のある場所に出る。ここから馬屋まではもう少しだ。
背の高い木が左右に立つ中を通りながら、1日以上声を聞かない聖剣に向けてローゼは問いかけた。
「そういえば、城についてすぐリュシー様に案内してもらった庭園は、広いし花も多かったよね。あそこにも精霊はいたの?」
「いなくはないが、小さい庭の方がずっと多いな」
答えはなぜか後ろから戻ってくる。
慌てて振り返ると、上品な灰色のマントを羽織ったエリオットが不機嫌な表情を隠そうともせず、腕組みをしながらローゼを見ていた。
思わず立ち止まったローゼは、荷物を両腕に抱えて後ずさる。
「……え……嘘……なんで……?」
「なんで? それはどちらが言うべき言葉だろうね」
エリオットは腕組みを解き、しかし表情は変えずにローゼの傍まで来る。
「急にペンが欲しいと言うからおかしいと思ったんだ。念のため姉に確認してみたところ、ローゼは今までそんなものを希望していないという返事だった。さて、何を書くために必要だったのかな?」
確かに別れの手紙を書いたのは昨日だし、その際、侍女にペンを持って来てくれるよう頼んだ。しかしそんな理由で彼にバレてしまうとは思わなかった。
「うっかりしたわ。もっと前に頼むか、前々から何度も頼んでおくかすれば良かった……」
「そういう問題じゃない」
不機嫌な顔をより険しくしてエリオットは続ける。
「……まったく。ローゼが動くとすれば朝だろうと思って待っていればやはりこの状況だ。どうせ部屋には別れの手紙が置いてあるんだろう? そしてこの後は馬屋に行って――」
「そうよ。ご想像通り、あたしは帰るの」
エリオットから顔を背けてローゼは答えた。
「木のことも落ち着いたし、あたしももう動けるようになったし……」
ローゼは足元に視線を落とした。
「古の大精霊も、公爵もいなくなったんだもの。これからだってこの地は荒れるでしょうね。でもなんとか落ち着きを見せているのは、木に銀狼が宿っているからよ」
先日北方神殿で見た、銀狼と小さな精霊が遊ぶ姿を思い出す。
「……新しく公爵になるフロランの近くには、ずっと城にいたリュシー様と、銀狼の息子になった『エリオット』が必要よ」
「だから黙ってこっそり帰る?」
「そう。あなたが知ったらきっとうるさく言われると思ったから。……実際、今がそうでしょう?」
ローゼの答えを聞き、エリオットは大きくため息をつく。
「どうして勝手に決めつけて帰ろうとするんだ。私はまだ何も話していないよ」
「話をする必要がないからよ。それにあたしが何をどうしたって、あたしの勝手だわ」
「そうか。だが、私の質問にはまだ答えをもらっていない。そのくらいの時間は取って欲しいものだけどね」
「……いいわ。どんな質問?」
言いながらエリオットを見返すと、彼は相変わらず不機嫌な表情のままで問いかけてきた。
「ローゼは私がエリオットを選ぶと言ったら、どうする?」
彼の言葉を聞いてローゼは思い出す。確か告白をしたときに問われ「今は答えない」と返事をしたはずだ。しかし彼がエリオットを選んだ時にどうするのかは、ずっと前から決めてあった。
ローゼは灰青の瞳を見上げ、今度こそ用意していた答えを言う。
「あたしは帰る。そしてもう二度とこの城へは来ない」
聖剣の主である以上、北へはまた来る機会もあるだろう。
しかし彼がエリオットを選んだなら、城へは近寄るつもりがない。いつまでも未練がましい奴だ、と後ろ指をさされたくはなかった。
ローゼの答えを聞いたエリオットは納得したようにうなずく。
「そうか。私がどちらの名を選んでも、結局は帰るんだね」
「その通りよ。あたしが帰るとき一緒にいるのは、レオンの他に誰かしら、ってこと」
彼がエリオットを選べば、ローゼはひとりで帰る。
彼がアーヴィンを選べば、もしかしたらふたりで帰ったかもしれない。
ただそれだけの話だった。




