44.流る
ローゼが2度目に目覚めてから4日経っていた。
「……街へ出たいな」
窓の外を見ながら呟くと、手にした聖剣から呆れたような声が聞こえる。
【そりゃ無理だ。あいつがうんと言わないだろう】
「もういいと思うんだけどなー」
【そう思うなら、あいつが来た時に交渉してみることだな】
とはいえ公爵がいなくなって以降、姉弟は日々忙しくしているようでローゼの部屋にはほぼ訪れることがない。
フロランは全く来ることがなくなり、リュシーもほんのわずか、エリオットは時々現れたが、どうやら無理に時間を作って来ているらしい。
銀狼の一件があったため、ローゼはどんな顔をしてエリオットに会えば良いのか分からなかったが、最初に部屋を訪ねてきた際の彼が何事もなかったような素振りだったので、ローゼも「あれは事故なので無かったことにするべきである」と結論付け、普段通りに振る舞っている。
そんな彼が次に来るのはいつだろうと思っていると、計ったかのようにエリオットが現れた。
これは好機とばかりにローゼは顔を輝かせ、彼へ声をかける。
「ねえ、お願いがあるの。あのね、あたし街へ行きたい――」
「まだ早いと思うけどね」
しかしすべてを聞くこともなく、エリオットはローゼの言葉を否定した。
「先日までずっと寝てたじゃないか。あれからまだ4日しか経ってないんだよ」
「違うわ、『もう4日』よ。あたしは平気。ね、ちゃんと見てよ」
ほらほら、とローゼはその場で回転してみせる。
わずかに眉を寄せたエリオットは、仕方ないと言いたげな態度を隠すこともなく尋ねてきた。
「街へは何をしに?」
予想通りの質問だと思いながらローゼはにっこり笑って答える。
「街の様子が気になるの。皆がどうしてるかを見に行きたいわ」
ローゼの答えを聞き、エリオットが胡乱なものを見る目つきになる。
まずい、言い方がわざとらしかったか、とローゼが内心で冷や汗をかいていると、横のレオンがちいさくため息をついた。
助けてくれるに違いないと考えたローゼは黙って笑顔を浮かべ続ける。
少し間をおいて、思った通りレオンの声がした。
【こいつも今回の話には関わってるだろ。街の状況が気になってるみたいで、日々うるさくて仕方がないんだ。俺からも頼む。外を見せてやってくれ】
レオンの言葉を聞いたエリオットは少し悩む。
やがて難しい顔をしながら、うなずいた。
「……分かりました。レオンがそのように言うのでしたら仕方ありません。護衛を手配しますので――」
ローゼは慌てて彼の言葉を遮る。
「あのね、あたしひとりで行きたいの」
「……どうして」
「当たり前でしょ? 護衛なんていたら、気が散って見学なんてできないわ。あたしは護衛についてこられる生活なんて、したことがないんだもの」
そっぽを向くローゼにエリオットが何か言いかける。
その時部屋の扉が叩かれ、使用人がエリオットのことを呼びに来た。やや焦る様子から見るに、おそらく約束の時間を過ぎているのだろう。
本当に無理に時間を作ってるんだなとローゼが思う一方で、使用人の様子を見たエリオットは諦めたようにうなずいた。
「分かった。門番には伝えておく。いいね、無理はしないこと。それから、必ず戻ってくるんだよ」
最後に念を押して、エリオットは部屋から立ち去る。
――心配しているのだろうか。それとも、なにか勘づいたのだろうか。
それでも安堵のため息をつくローゼに、レオンも不審そうな声を出した。
【一応味方はしてやったが……今度は何を考えてるんだ、ローゼ】
「なにって、言ったでしょ。見学よ」
【嘘つけ】
レオンを無視してローゼは旅装に着替える。
街へ行くため何を着ようか考えたとき、ローゼの頭に浮かんだのは、いつもの旅装と、イリオスの手前にある町で購入した刺繍の入った服だ。
しかし刺繍の服を着た際、北方神殿で顔を合わせたフロランに大笑いされている。そのことがローゼに袖を通すことを躊躇わせ、結局、大神殿から着て来た旅装の方を選ぶことにした。
「何がいけなかったんだろうね」
せっかく買ったのに一度しか着ていない服を広げて、ため息まじりにローゼはレオンに尋ねる。
「刺繍が綺麗で気に入ったのに。着方が変だったのかな?」
【俺にも分からん。……もしかすると特別な時に着る服なのかもしれんぞ。祭りとか】
「うーん、そういうこともあるかな」
呟いて、ローゼは小さく笑う。
「祭りといえばさ、あたしがアーヴィンとちゃんと会うきっかけになったのって、村祭りだったんだよね」
【ちゃんと会う?】
「そう。初対面の後は、半年くらいアーヴィンのことを避けてたから……」
恥ずかしいので、レオンには初めて会った時のことを詳しく話していない。確か「乙女の秘密」で濁していたはずだ。
「だけどまあ、向こうから歩み寄って手紙もくれたし、あたしもずっと避け続けるのも悪いなと思ってたからね、村祭りをきっかけに話そうと思ったのよ。でもどこにいるか全然分からなくて、あちこち探したの」
会場にも、神殿にもいない。それまで避け続けていた相手を探している以上、誰かに居場所を聞くのもバツが悪い。ひとりであちこち探すうち、ようやく人気のない場所で座っている姿を見つけたのだ。
「赤い顔しててね、酒に酔ったから休んでるなんて言ってたわ。せっかくだから一緒に踊ろうよって誘ったんだけど、ふらふらするから無理って断られちゃった。……考えてみれば、アーヴィンとは村祭りで一度も踊らなかったな」
【なんでだ? 踊りが苦手ってわけじゃなさそうだったぞ?】
「それがね」
儀式の後、王宮のお披露目会で踊ったことを思い出す。
彼はダンスを知っているように思えたが、貴族として育ってきたのなら確かに知っていてもおかしくはないだろう。
「最初の年はみんな遠慮してたみたいで、誰も踊りに誘わなかっただけなのよ。次の年からは全然遠慮しなくなったからね。女の子たちだけじゃなくて、動ける女性ならほとんど……それこそおばあちゃんたちまで、アーヴィンに踊りを申し込むようになっちゃったの」
【つまり踊る人が続出した分、お前が踊れなくなったのか】
どことなく不満そうなレオンの声にローゼは笑う。
「残念ながらハズレ。アーヴィンはね、誰とも踊らないって決めたみたい。毎年毎年、開始と同時に酒を飲んで、酔ってるから無理って言い訳をしてたわ」
女性たちからどんなに「今年は酒を飲まないでくださいね」と言われても必ず酒を飲む。
さすがに3年も経てば、断る言い訳として酒を飲んでいるのだと、誰の目にも分かるようになっていた。
「でもね、みんな半分意地になって毎年誘ってたみたいよ。今年こそは踊らせてやる、ってね」
【お前は誘わなかったのか?】
刺繍の入った服をたたみながら、ローゼはうなずいた。
「あたしが誘ったのは最初のときだけ。……もともと、アーヴィンと踊りたいってわけじゃなかったしね」
【ほう?】
どことなく揶揄するようなレオンの声を聞きながら、聖剣に背を向けてローゼは荷物の中にたたんだ服を袋にしまう。
「……それに、答えが決まってるものを、尋ねたって仕方ないじゃない?」
レオンに聞こえないよう、小さくローゼは呟いた。
* * *
髪を結って布と帽子で見えないようにし、聖剣の鞘を黒いものに変えて部屋を出たローゼは、あらかじめ場所を聞いておいた馬屋へ行く。喜ぶセラータをひとしきり撫でた後、馬具をつけて門の方へと向かった。
(馬屋の場所、馬具の場所。門へ向かう道)
エリオットは約束を守ってくれたようだ。ローゼの姿を見た門番は頭を下げ、お帰りをお待ちしておりますと言って送り出してくれる。
(城の門の先にある道。街の位置関係。……イリオスを出るための門……)
確認を終えると、セラータに騎乗したままローゼは街の中をぐるりとまわる。
最初にイリオスへ到着して人々を見たとき、道行く人の顔は暗かった。
あの時はとうに木の様子がおかしくなっていたのだから無理もないだろう。大精霊が消滅したことは公表されていなかったが、それでも人々は漠然とした不安を抱えて暮らしていたはずだ。
今も不安そうな様子は変わっていない。
数千年に渡ってこの地を守ってきた大精霊は消滅したと、公爵家から正式に告知されたのだから、人々の気持ちは良く分かる。
しかし、会う人々の顔に見られるのは、以前のような暗さではない。
理由はもちろん、新たな精霊が木の、つまりは北方の守りに就いたからだろう。おそらく時が経つにつれ、彼らはきっと明るい表情を取り戻すに違いない。
試しに露店で物を買い、ちびちびと食べながら周囲の話に耳を傾けてみる。
聞こえてくるものは木の話、公爵への悪態、姉弟たちへの期待と少しの悪口。余所者のエリオットに対してはさすがに風当たりは強いが、それでも来るときに聞いた話や声とは雰囲気が違った。
ほっとするローゼだが、ときおり「赤の娘」という言葉が耳に入る。
聞くたびわずかに鼓動が跳ねる。しかし自分とは関係ないはずだと言い聞かせ、ローゼは露店を後にした。
再度セラータに乗って街中を巡るうち、広く空いた場所に出た。
木や花が植えられ、長椅子も置いてある。憩いの場としても使えそうだが周囲には誰もいない。
奇妙に思ってしばらくその場にいると、ごくわずかに人の姿を見かけた。しかし通りかかる人物はうつむき加減のまま、急ぎ足で過ぎて行く。
その様子を見て、ようやくローゼは思い当たった。
おそらくここが『イリオスの広場』なのだろう。
「……みんなこの場所は好きじゃないんだね」
ローゼがぽつりと呟くと、吐き捨てるようにレオンが言う。
【当たり前だろう。俺だって嫌だ。さっさと行こう、ローゼ】
レオンにはエリオットから聞いた話をざっとしてある。
彼の母親であるシーラが広場で晒されたという話を聞いたとき、レオンは公爵のことをひどく罵っていた。
しかし、公爵はもういない。この場で誰かが晒されることはもうないだろう。
何十年かすれば広場には憩う人が多くなり、歩く人はのんびりと散歩でもするかのような足取りになるはずだ。
そうなればいいな、と思いつつ、ローゼは広場に背を向けた。
* * *
いくつかの買い物を終え、ローゼは最後に北方神殿に向かう。ウォルス教を排除するという話が無くなったせいだろうか、入り口で祈りの言葉を聞かれることはなかった。
門でセラータを預けて建物に入る。
石造りの神殿を抜け、最初に木を目にしたとき、ローゼは思わず感嘆の声をもらした。
大精霊の木からは茶色の部分が消え、すべての葉が美しく緑に輝いている。もちろん根元には枯れた葉も落ちた花もない。
風にそよぐ木をしばらく眺めた後に近寄ってみると、遠くからでも分かるほどの差異はさらに際立っていた。
先日まで見ていた木とは瑞々しさがまったく違う。木や花の輝きは強く、日の照り返しだけではなくまるで内からも光っているかのようだ。溢れるほどの生命力を感じて、ローゼはうっとりと見入った。
ローゼには精霊に関する力がほとんどないので、花の香りは分からないと術士のジュストに言われたことがある。しかしそんなローゼですら、今は香りを感じるような気がしていた。
近くで木を見上げたまま、ローゼは笑みを浮かべる。
「すごいね。本当に綺麗」
【ふん、まあまあだろう。狼にしては頑張っているといったところだな】
『素直ではないな。もっと褒めて良いのだぞ、聖剣よ』
不意に別の声がしたので驚いて見てみれば、大木の根元に銀色の狼がゆったりと寝そべっていた。術士たちも驚いたのか、北方神殿の方から騒ぐ声が聞こえる。
【あぁ……結局そうなったのか】
「ど、どういうこと?」
どことなく不機嫌な声を出すレオンに問い返すと、彼は同じ声色で話を続ける。
【大精霊の木は銀狼の支配下におかれただろ? 銀狼は銀の森の主だからな。つまりこの木と、町や村の木は、銀の森の一部になったわけだ】
『そういうことだ。気が向けば各地を覗きに行くことができるのだぞ。なかなか面白いではないか』
【各地とは大きく出たな。木と木の下しか支配できてないくせに】
レオンの嫌味を気にも留めず、大きく笑った銀狼は丘の上にある堂々とした建物に目を向けた。
『あの建物が城だな? つまりあそこに儂の息子がいるわけか。ふむ、呼べばすぐ来られるわけだな』
楽しそうな銀狼に、レオンが声をかける。
【おい、銀狼。実はな――】
「そうですね。大精霊も城の人とはよく会っていたと聞きました」
レオンの言葉を遮ったローゼは、銀狼の言葉に同意して微笑む。
『やはりそうか。さすがは古の大精霊、贅沢なことだ。しかし今度は儂が贅沢をさせてもらおう』
自慢げな表情を浮かべた銀狼は、周囲の精霊たちを顔に乗せて遊び始める。
彼らの様子を見ながら、ローゼは少し先の出来事に思いをはせた。
きっと小さな精霊たちは今までと同じように木に銀色の花を咲かせ、ときおりやってくる銀狼と遊んでもらうのだろう。
そこには彼らを眺めて嬉しそうにする『銀狼の息子』も一緒にいるはずだ。
――いや「いるはず」ではない。彼はここに「いなくてはいけない」のだ。
【おい、ローゼ。どういうことだ?】
訝しげなレオンの声がする。
しかしローゼは答えず、ただ黙って精霊たちを眺めていた。




