【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 1
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狩野学園は夏休みになった。
藤影侑太は、藤影の家と生まれ育った新堂の家を行き来しているが、休みの間の今は、新堂家の自室にいる。
一学期は慌ただしく過ぎた。
小学校以来の仲間だと思っていた連中が周りからいなくなったことに、侑太はどうにも手持無沙汰な日々を過ごしている。
夏休み前に、原沢は退学し、原沢の兄と一緒に外国へと飛んだ。
彼が最後に送ってきたメッセージには
「親父とおふくろに何かあったら、すべてを晒す」
とあった。
仙波に伝えると、深追いしないよう指示された。
仙波は苦笑いを浮かべていた。
牧江はアメリカ、戸賀崎はオーストラリア、そして原沢は北欧か。
一人、また一人遠くへ去っていく。
足元の砂が、侵食されていく感覚だ。
なぜだ。
どうしてこうなった。
「あら、侑太、いたの?」
侑太の産みの母、香弥子が顔をのぞかせた。
「ねえ、藤影亜由美、まだ生きてるの?」
軽い口調だが、目は笑っていない。
相変わらず、亜由美には敵愾心を持ち続けているのだろうか。
我が母ながら、その執念深さには呆れるほどだ。
新堂香弥子は独身時代、藤影創介の秘書であった。
元々、新堂家は小さな薬品会社だったが、香弥子の父、すなわち侑太の祖父の代に、藤影薬品の子会社となった。
香弥子は日本人離れした容姿と語学力を買われ、大学卒業後、本社の総合職で採用された。
当時、創介も独身であり、香弥子とは公私ともに良きパートナーだと周囲からは思われていた。
少なくとも香弥子はそう信じていた。
いずれ、自分は藤影の社長夫人になると。
ところが、創介が妻として選んだのは亜由美であった。
香弥子には、創介の弟、陽介があてがわれた。
香弥子は納得できなかった。
その後も創介の秘書をしばらく続けた。
しかし、妻を娶った創介は、香弥子の誘いを断るようになる。
「君はもう、弟の嫁さんだからな」
そのセリフに香弥子は脳が沸騰しそうになった。
陽介はたしかに優しい。
しかし、陽介との夫婦の営みでは、香弥子は心からの満足が得られなかったのである。
女性としての悦びを求め、相手を替えてみたりもした。
それは不毛な日々であった。
香弥子は、亜由美にどうしても負けたくなかった。
最後の一夜をと頼み込み、創介と過ごした。
そして孕んだ。
絶対、創介の子どもだと香弥子は確信していた。
「それがあなたよ、侑太」
侑太が藤影の養子に決まったとき、高価なシャンパンを飲みほした香弥子がペラペラ喋った。
侑太でも、聞いていて愉快な話とは言えなかったが、さして驚きもしなかった。
母は、淫乱である。
その血は、己に濃く流れていることを、侑太は自覚している。




