【第三部】 開始 五章 絡む線と浮かぶ点 9
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恭介は淡々と原沢の父に語った。
「原沢さん、必要があれば、俺の資産状況を調べていただいて構いません。一週間以内に、あなたの口座に一億、振込みます。あなたの会社は、上場していないので、株式譲渡もそんなに手間はかからない。それに、俺は経営に口出すつもりもない」
原沢の父は段々冷静になり、ビジネスマンの顔が戻ってくる。
「君に、何のメリットがある?」
「譲渡していただきたいものが、もう一つあります。あなたや、あなたのお身内が保有している、藤影薬品本社の株券です」
原沢の父洋進がはっとする。
「君の狙いは、本社か」
恭介はその問いには答えず、ただ微笑を浮かべた。
「ふう。まいったな」
原沢洋進は、ハンカチを出して顔を拭いた。
「わたしも以前は本社にいて、しばらく社長の側で働いてもいたが、息子と同じ年の若者に、自社の買収をされるとは思わなかった」
原沢洋進は、腹を決めたように言った。
「よかろう。一度は死んだ身だ。君の申し出を、有難く受けよう」
助手席の悠斗は、一連のやり取りを聞き、背中がゾクゾクした。
同時に思った。
恭介が戻ってきて真に復讐したかった相手は、同級生ではなかったのだと。
原沢廉也は、窓から射す朝の光で目が覚めた。
光源の位置もベッドの感触も、いつもと違っている。
そういえば、夢うつつの状態で、ゴトゴト体が揺れていたような気もする。
別の場所に移されたらしい。
夢を見ていた。
夢だったのか。クスリの幻影だったのか。
小学生の頃の自分と、海に消えたあいつ。
夢の中でもあいつは笑顔だった。
「大丈夫だよ」
そんなセリフを聞いた気がした。
看護師が検温にやって来た。
窓は簡単に開かないような造りだが、ドアには特に鍵はかかっていない様子だ。
これなら、病室を抜け出すことも出来るだろう。
「原沢さん、面会は九時からです。今日はご家族の方、お見えになるようです」
看護師がそんなことを言っていた。
時計を見ると、あと三十分くらいか。
それまでに、かたをつけなければ。
看護師がいなくなってから、原沢は腕に刺してある点滴のラインを引き抜いた。
ぽたぽたと、血が垂れた。
案の定、ドアの外にも廊下にも、見張りはいない。
原沢は近くの階段を昇り始めた。
踊り場に七とある。
この病院が何階建かは知らないが、屋上までそうかからないであろう。
しかし足が重い。体が重い。
医療少年院での入院で、原沢の体力は著しく低下していた。
原沢が屋上の扉に手をかけた時、背後から足音が聞こえた。
「いたぞ!」
屋上の扉は原沢を拒んだ。
原沢は数人の男性職員により、ストレッチャーに乗せられた。
「いやだ! やめろ! 俺は死ぬ! 死なせてくれ!」
原沢はストレッチャーのベルトをはずし、体を起こす。
なだめる男性職員を押しのけて、台から降りたその時。
原沢は一瞬、幻を見たのかと思った。
薬が抜けきっていないのか。
原沢の兄、駿矢が、廊下の手すりにつかまりながら、原沢の方へと歩いている。
「そ ん な こ と 言 う な」
足元は覚束ないが、確かに駿矢は自分の足で歩いていた。
「生 き ろ! れ ん!」
たどたどしい発声だが、兄の声は原沢に届いた。




