【第三部】 開始 四章 天翔る日 7
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リンが消えた処に、扉が出現していた。
「かげっちは扉の先へ進むんだよ」
メイロンがふわりと現れた。
かげっち
懐かしい響きである。
ずっと悠斗が呼んでいた恭介の愛称。
最近、二人でいる時の悠斗の呼び方は「キョウ」である。
「ハルト、お前は俺と実践訓練だ」
メイロンは、ぽきぽきと指を鳴らした。
言われた悠斗は、空手の構えを取る。
「行ってこいよ、キョウ。俺、組手しながら待ってるよ」
心配顔の恭介に、悠斗は笑う。
恭介は扉に手をかけた。
扉を開けたら、たわわに実る果樹園が広がっていた。
桃源郷。
その名の通り、どこまでも続く桃の木々。
絹のような手触りの風に乗り、甘い香りが恭介を誘う。
あちこちから聞こえる、女たちのくすくすという笑い声。
木陰をぬって、奥へと進む恭介の前に、万華鏡さながらに現れては消える、女性の姿。
あるものは天女のような微笑みを。
あるものはギリシャ神話の妖女のような目つきで。
あるものは一糸まとわぬ姿で、恭介の顔を覗き込む。
脳の一部に冷静さを残しながらも、恭介は甘美な色彩に身を任せたい衝動に包まれていた。
悠斗はメイロンと互いの拳を突き合わせていた。
「お前、強いな。ハルト」
メイロンの声は直接脳に響いてくる。
「お前、何のために強くなる?」
―かあさんを守ってくれ―
亡き父の最期の言葉。
「大切な人を守るため」
「だめだ、五十点」
メイロンは笑う。
「第一に守るべきは、己の矜持だ!」
雷に打たれたような衝撃が悠斗の胸を突く。
「今の一打を覚えておけ、ハルト。そしたら、守りたい人たちを守れるさ」
恭介は薄衣をまとった女性に手をひかれ、その胸に顔をうずめていた。
温かく、柔らかい。
むせかえる程の果実の香り。
脳全体が痺れていく。
女性は恭介の顔を両手で挟み、自分の方へと引き寄せる。
唇が近づいてくる。
抗いがたい感情が、恭介に生じる。
「お前、マザコンだからな」
脳内に過った悠斗の声。
その瞬間、恭介はそっと女性の手をはずした。
「ごめんね」
その女性は顔を横に振り、微笑んだ。
その笑みは、恭介の母に少し似ていた。
どこかで時を告げる鳥の声がする。
恭介と悠斗は、ペンションのベッドで同時に目覚めた。
「どうした、キョウ?」
目をあわせた悠斗が怪訝な声を出す。
目覚めた恭介は、夥しい鼻血を流していた。




