【第三部】 開始 三章 折れた翼と遠い道程 6
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「で、マトリって何?」
白井は真面目に父に尋ねた。
ここは、武道館の近くのビジネスホテル。
白井の父、一樹が仕事でよく使う場所だそうだ。
「厚生労働省の麻薬取締部に所属する公務員のことだ。前にも言っただろう」
麻薬取締官。
俗称、マトリ。
薬物犯罪の捜査や監視を行う、厚生労働省の職員である。
なお、危険な職務なので、職務を遂行する場合につき、拳銃などの武器携帯が認められている。
白井は、島内と瑠香を伴って、父と二人を合わせた。
白井一樹と島内は、もともと知り合いだったという。
「麻薬取り締まりの実録記事書くために、白井さんに協力してもらったことがあってね」
「そうそう、島内さんから依頼受けた時、私、ちょっとテンション上がりました」
白井父は、快活に喋る。
確かに、ぱっと見は、事務職に従事する、愛想の良い公務員である。
「あ、私、今は捜査とか潜入とかしてませんので。ごく一般的な行政職です」
白井はまじまじと父の顔を見る。
昔は捜査とかしてたのか、この親父。
ああ、そういえば…
小学生の頃、白井が刑事ドラマを見ていたら、珍しく早く帰ってきた父が
「パパもピストル持ってるもんねー」
なんて言ってたっけ。
当然、冗談だと思ってた。
白井の前では、いつもそんな姿だった。
「それで、これが例の『オーキッド』ですか、いやあ、本物、初めてみました」
白井一樹は、プロの目付きでビニール袋に入った錠剤を見つめ、早急に分析を行うことを三人に約束した。
翻って、戸賀崎邸。
救急車と消防車が屋敷に入る。
次いで警察が屋敷前でマスコミを制御する。
戸賀崎翼は病院搬送。母郁子が付き添った。
戸賀崎の祖母美津江は、事情徴収で警察へ連れていかれた。
その様子はすぐさま、SNSで拡散された。
動物虐待の少年、自殺未遂!
ざまあ
ざまあ
ざまあ
未遂なの?
まだ生きてるの?
師ね
四ね
志ね
しね!
ネット上のみならず、新聞やテレビも、「実験と称して小動物を虐待し続けた少年」と、その家族への論調は、厳しくなるばかりだった。
そんな時、最大手の新聞が、ある学者の論調記事を載せる。
題名は「T君への手紙」
執筆者は某大学で神経生物学を担当する、東山教授である。
『それでも、私は君を待つ』
冒頭にはその一文。
東山は、戸賀崎翼の行為行動の問題点を指摘しつつも、こう結んでいた。
『君が本物の科学的リテラシーを身につけて、君に与えられた資質を、社会の進歩と人々の真の幸福のために役立てる決意が固まったら、研究の道に戻って欲しい。私は君を待っている』
意識を取り戻し、病室で母からこの記事を音読してもらった戸賀崎は、吼えるような大声で、いつまでも泣き続けた。




