【第三部】 開始 三章 折れた翼と遠い道程 4
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「覚えてるか、悠斗?」
戸賀崎の家に向かう電車の中で、恭介は悠斗に話始めた。
恭介と悠斗は一度だけ、戸賀崎の家に遊びに行ったことがある。
あれは戸賀崎の父親の主導による、藤影グループ総帥の息子への、ご機嫌伺いだったか。
恭介は、あまり気がすすまなかったが、悠斗と一緒ならと招待を受けた。
緑に囲まれた瀟洒なお屋敷だった。
いつも学校行事に来る、戸賀崎が「おかあさん」と呼んでいる女性ではない、もっと若い女性がもてなしてくれた。
戸賀崎は自分で飼っているザリガニやヤモリを見せてくれた。
そして饒舌に、小動物飼育に関する知識を披露した。
動物や爬虫類の図鑑並みの詳しさだった。
庭で遊んでいると、大きな木の下に何かが落ちていた。
「小鳥のヒナだ!」
恭介と悠斗がヒナに手を出そうとすると、戸賀崎が大声で制した。
「だめだ! 巣から落ちたヒナでも、母鳥は見守ってる」
確かに上空には、旋回している一羽の鳥の姿があった。
戸賀崎は「ママちゃーん」と女性を呼び、あれこれ持ってきてと指示をした。
ママちゃんと呼ばれた女性が用意した、プラチック製の小さなバケツに、戸賀崎はそっとヒナを入れて、木の枝にぶら下げた。
しばらくすると、旋回していた母鳥が、バケツの縁に降りてきた。
ヒナに餌を運んでいるようだった。
「ああ、思い出した! 戸賀崎がドヤ顔で、『あのヒナ、ちゃんと巣立ったぞ』
とか言って、写真見せてくれた」
その戸賀崎は、全身を覆いつくす鼠の群れにより、皮膚や血管を食い破られていた。
とうとう頸部の動脈が裂かれ、鮮血が吹き上がる。
痛い
痛い
痛い
死ぬ
死ぬ
死ぬ
誰か
誰か助けて!
戸賀崎の視界は狭くなり、意識は混沌の渦に巻かれる。
朱色の景色が浮かんでは消える。
それは戸賀崎が幼稚園に入る前。
夕焼けの空のもと、並んで歩く三つの影。
背の高い影はママ。
小さい影は、姉ちゃんと俺。
なんでなんで、夕陽は赤いの?
なんでなんで、鳥は空を飛べるの?
繰り返す何故の嵐。
正確な答えが欲しいわけじゃない。
ママとやりとりするそのことが、ただ嬉しかった。
いつか、答えを探そうね
そうだね、一緒に探そうね
欲しかった答えは、実験を繰り返しても見つからない。
そんな実験、やりたくない。
マウスもラットも、もういらない
視界が真っ暗になった戸賀崎に降り注ぐ、赤みを帯びた白い羽。
遠くから呼び声がした。
「翼! 翼!」




