【第三部】 開始 三章 折れた翼と遠い道程 1
【第三部】 開始 三章 折れた翼と遠い道程
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戸賀崎翼の父、戸賀崎恵三は、藤影でMRとして勤務したのち、子会社を任されるようになり現在に至る。翼の母、郁子は、恵三の担当だった病院の看護師であった。
恵三の母、美津恵は、自身の学歴が自慢であり、恵三の結婚相手が、専門学校卒の看護師であることが最初から気に入らなかった。
恵三と郁子の第一子は、女児であったが、これもまた、美津江にとっては気に食わない。戸賀崎家の跡取り、すなわち男児を産むようにと、産後間もない美津江の病床におしかけては、きつい口調で何度も語った。
数年後、待望の跡取り、翼が誕生する。
すると美津江は、翼を母郁子から奪いとり、文字通り抱きかかえて、溺愛するようになる。
それが、後々の、戸賀崎翼の不幸を招く。
郁子は何度も夫である恵三に訴えた。
長女も長男の翼も、大切な我が子である。
姑の援助は有り難いが、育児は自分で行いたいと。
だが、運悪く、恵三は、任せてもらった子会社の規模拡充に、忙殺されていた時期であった。
嫁と姑との些末な諍いに、関われるほど暇ではない。
そう思っていた。
「おふくろの言うことなんか、適当に、はいはい言ってりゃいいんだよ」
そんななかでも、郁子は、翼にも愛情を注いで、出来る限りの世話もしていた。
翼が二歳のお誕生日を迎える頃、郁子は翼の癇癪と、思い通りにならないときの行動に、いささか危惧を抱くようになる。
たとえば、こんなことがよくあった。
幼稚園に通っている翼の姉が、
「ママ、見て見て。可愛いでしょ」
と、幼稚園で作成した折り紙を出す。
すると翼が欲しがる。
「これはあたしの!」
と姉が嫌がると、翼は癇癪をおこして、姉を突き飛ばす。
翼は姉が泣き出しても、姉への他害を止めようとしない。
郁子が、翼の他害を止めさせようとすると、母に対しても拳固で腹を殴る。
そんな時は姑が飛んできて、
「お姉ちゃんが意地悪だから、つうちゃんが怒るんでしょ!」
あくまで翼をかばって、姉から折り紙を取り上げて、にこにこしながら「はい」と翼に渡す。
結果、翼は、自分の意のままにならないときは、泣いて怒って暴れれば良いと学習してしまっていた。
幼稚園に通うようになってから、このような翼の行動は、一層顕著になった。
他の園児にも家と同じようにふるまった。郁子は何度も、突き飛ばされた子や殴られた子の親に、頭を下げ続けた。
家では姑の美津江が、相変わらず溺愛を続けた。
「よその子どもは、つうちゃんに比べて、おバカなんだから、つうちゃんが怒ってもしょうがないのよね」
「つうちゃんのママさんは、大学出てないから、やっぱりおバカちゃんなの。つうちゃんのこと、わかるのは、私だけ」
幼稚園から地域の心理相談員へ連絡が行き、専門機関の受診を勧められたが、郁子が連れて行こうとすると、美津江が絶対許さなかった。あろうことか、翼の父、恵三ですら、郁子に反対した。
「男の子なんだから、多少のケンカはつきものだ。いちいち、そのくらいで専門機関なんか連れていくな!」
ある日、翼がニヤニヤしながら、自宅の庭で遊んでいた。
郁子がふと見ると、あちこち掘り返した庭からミミズを集めていた。
翼がミミズに何かをかける。
ミミズは膨れて、破裂した。
「何をしているの!」
郁子が声を荒げると、翼はキョトンとした顔で、「じっけん」と答えた。
「おかあさんが教えてくれた」と。
「私はそんなこと教えてない」
郁子がそう言うと、翼は違う違うと首を振り
「美津江さんがおかあさん。あんたはママさん」
その瞬間から、郁子は翼の育児も躾も、すべて放棄したのだ。




