【第二部】失くしたものと得たものと 四章 青空に向かって 5
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狩野学園の非常勤講師、東山は、厚生労働省と警視庁が合同で開催した会議において、気管支拡張剤として知られる「エフェドリン」の薬効と副作用についてのレクチャーを行った。会議の主な目的は、エフェドリンを含むと思われる、違法ドラッグに手を出す十代の若者への啓発と取り締まりについて、各都道府県に周知する内容を精査することであった。
夏休みを見据えた開催だった。
同日夜、生物で恭介に負けた上、担当の爺に罵倒された戸賀崎は、自分の研究を行っている、親の会社に向かった。
アリエナイ
アリエナイ
アリエナイ!
ユルサナイ
ユルサナイ
ユルサナイ!
しかし、戸賀崎のカードキーは、研究室の扉から撥ねつけられた。
エラー音が響くと、研究準備室から男が顔を出す。
研究補助員で雇っている、元吉という若い男だ。
「おい、元吉、開かねえぞ、早くキーの解除しろよ」
元吉はうんざりとした表情で、答えた。
「すいません、翼さん。飼育動物に病気が発生したので、しばらくこの部屋は使用禁止になります」
戸賀崎の顔面が紅潮し、目を剥き怒鳴る。
「ざけんなよ、お前の管理が悪かったんだろ! 早く使えるようにしろよ」
戸賀崎は元吉を壁に押し付け、ガンガン打ち付ける。
さらに、親父に言いつけて、馘にするぞなどと捨てセリフを吐いたのち、出ていった。
元吉は冷ややかな視線で見送った。
胸のポケットのICレコーダーは、うまく作動し録音できたようだ。
ついでに、廊下の防犯用カメラには、日々の暴力行為が記録されている。
飼育動物の病気は嘘である。
元吉は、生物系の学位を持っているが、なかなか希望の職の空きがなく、俸給の高さにひかれて半年前からここで勤務していた。前任者が急に辞めてしまったとのことだったが、入職してすぐに、前任者が辞めた理由はわかることとなる。
社長の息子の研究補助という名目だったが、研究そのものは、すべからく補助員が遂行していた。
それは、まあいい。元吉自身の研究も、それなりに続けられたからだ。
問題は、戸賀崎が実験用の動物に対して行う事項だった。
実験用の小動物の取り扱いについては、元吉は大学で、厳密な手法と倫理観を叩きこまれていた。
戸賀崎は、それを全く受け付けない。もとより倫理観など、持ち合わせていない。
好きな時、好きなように動物たちをいたぶる。
解体する。
単なる虐待である。
そして血に塗れた実験室や、動物の死骸を片付けるのは、いつも元吉だった。
戸賀崎が研究と称して、動物に行っていた記録は、動画も含めて、ひそかに提訴済みだ。近々査察が入るはずである。
その前に辞める。残っていた実験動物は、全種類、信頼できる機関に預けた。
元吉は、さきほど打ち付けられた後頭部の傷を、器用に自撮りした。




