【第一部】絶望 三章 リライブ 5
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結局、恭介は女性を自宅まで送ることになった。
「ここは、大隅諸島の一つ。セッコク島と呼ばれている島」
道すがら女性は言った。女性は畑野瑠香と名乗った。
大隅諸島ならば、鹿児島のあたりか。
畑野から名を聞かれ、恭介はちょっと口ごもり
「岩崎…ひろし」と答えた。
本名はあまり言いたくなかった。岩崎は母の旧姓だ。
「岩崎君、何歳? 私より、だいぶ若いよね」
瑠香は大学生らしかった。
何歳かと問われ、恭介は返答に困る。
地底で過ごしたのは、感覚的には数か月だったのだ。
それでも、いつの間にか、恭介は変声期を迎え、今の身長は瑠香より多分、二十センチくらい高い。
「ええと、今って西暦何年ですか?」
ちらっと、恭介を見上げながら、畑野は答えた。
地上では、恭介が水中に没してから、三年が過ぎていた。
「十四、あ、十五歳です」
「わっかいなあ。その年で、あんなに喧嘩慣れしてるなんて」
畑野はため息をつく。
喧嘩と言われても、恭介にはピンとこなかった。
だいたい、人間を殴ったのも初めてだったし。
道の向こうから、ぼんやりとした灯りと、それを携えた人影が来る。
「あ、おじいちゃーん!」
畑野が人影に手を振った。
瑠香がおじいちゃんと呼んだ男性は、恭介の父とさほど変わらない年齢に見えた。
二人に案内されて、瑠香と祖父が住むという家に着いた。簡素な造りの家だった。
「泊まっていきなさい」
畑野の祖父は、指示されれば、断れないような重厚感を持っていた。
何より、夜の孤島で野宿するよりも有難かったので、恭介は従った。
通された居間には、食事が用意されていた。
白いご飯とみそ汁。焼き魚に漬物。
夢にまでみた、日本のありふれた食事だった。
恭介は、涙が出そうになる。
屋根がついている場所で、畳に座ってご飯を食べる、当たり前と思っていた生活は、なんと有難いものなのだろう。
瑠香の祖父は何も聞かず、その姿を見つめていた。
食後のお茶を飲みながら、祖父は改まって頭を下げた。
「この度は、孫の瑠香を助けてくれて、ありがとう。私は畑野健次郎」
世捨て人だと言って、健次郎はニカっと笑った。
「俺は、岩崎ひろしです。ここは島…ですか」
「そうだな、無人島と思われている、小さな島だよ」
最近、近くの島々や、どこか他の国の連中が、探検者気どりでやってくるそうだ。
先ほど、畑野瑠香を襲った男たちも、そんな類であろう。
「それで、君はなぜこの島に?」
一瞬、どう答えていいか、恭介は迷った。
ただ、目の前の男性に嘘は言いたくない気分だった。
「よくわからないですが、気がついたら、ある場所からいきなり、たどり着いたみたいです」
確かに嘘ではなかったが、正確でもなかった。
「ふむ…この島には言い伝えがあってな。それの逆パターンなのか…」
健次郎の話によれば、島のある池の水面に、月が写っている時に、その池に投げ込んだものは、尽く消えてしまうそうだ。
例えば
飛び込んだ人間でも。
「まあ、今夜はやすみなさい。君の顔には疲労が見える」
健次郎は隣の部屋を指さした。
「それと、明日になったら、教えて欲しい。君の本名を」
健次郎は笑って言った。




