外伝 侑太
侑太がなぜ、瑠香と結婚したのか。
母の香弥子が、侑太に何度も言って聞かせていたことがある。
「新堂が持つ『蟲使い』の力は強い。でも、逆らってはいけない一族がいるわ」
香弥子はいつものように、濡れた唇を侑太に近づける。
思春期を迎える頃、侑太はその唇が、恐ろしく、同時になんとも言えない気色悪さを感じていた。
「一族って、何それ?」
香弥子は唇を薬指で撫でる。
「姓と言ってもいいかしら。まず『宇部』と言う人がいたら、逆らってはダメよ。うちの本家だから」
本家とか分家とか、侑太にとっては面倒な話である。
子どもの頃から母を絶対視し、服従している侑太であるが、時折ふっと冷静になる瞬間がある。
その一瞬だけ、母を突き放したい衝動に駆られるのだ。
「何よりも、絶対気を付けて欲しいのが、『秦』という名字。いまは『畑』とか『畑野』とか、そんな名前に変わっているかもしれないけれど」
侑太は、おとぎ話程度に、ずっと聞き流していた。
彼女に会うまでは。
◇◇◇
侑太が初めて彼女を見たのは、高校の入学式だった。
新入生代表として、壇上から挨拶をした時、同じ新入生の男子が、真正面から侑太を見ていた。
嫌な目付きだった。
薄汚れた自分を、見透かしているような視線。
そいつが入学式に同行していた女性は、母親というには若い雰囲気だった。
姉か?
黒い式服と結い上げた髪の女性は、整った顔立ちをしていた。
この頃は、イイ女と見れば、手練手管でモノにする侑太であったが、この女性に対してはそんな気分になれなかった。
むしろ瞬間感じたのは、畏怖だ。
あとで、入学式に来ていた、新入生の保護者名簿を教師に見せて貰った。
その名は、「畑野 瑠香」。
侑太はゾクっとした。
関わらないようにしようと思った。
だが、否応なしに、侑太の前に瑠香は何度も現れた。
そして。
諸悪の根源のようだった香弥子に、畑野瑠香は引導を渡したのである。
畑野瑠香が憎いか?
とんでもない。
侑太は心底ほっとしたのだ。
◇◇◇
いくつもの危機と謎解きを経て、侑太は瑠香と婚約した。
婚約はしたものの、手は出せない。出したくないわけじゃない。
本家の血を引き、畑野の籍を持つ年上の女性だからなのか。
悶々とした日々が続いていた頃、瑠香がかつて住んでいた、離島に行くことになった。
長らくライバル関係だった、従弟の恭介による招待旅行である。
島の宿泊場所は、恭介が手掛けたリゾート施設だ。
「俺、瑠香さんと同室?」
婚約者だからいいだろう、そう恭介は笑った。
侑太は笑えないどころか、冷や汗が出た。
一緒に行った小沼悠斗には、真顔で囁かれた。
「まさか、まだヤッてないのか?」
◇◇◇
その晩、瑠香はベッドの上に座り、侑太を待っていた。
薄地の寝間着は彼女の体のラインを浮かび上がらせ、淡い色の照明が、瑠香の肌の白さを際立たせる。
思わず抱きしめる侑太に、瑠香は言った。
「ごめん。政略結婚みたいで。こんな年上の女押し付けられて」
「違う! 違う! 違うんだ、瑠香さん! 俺は、俺は……」
その先は言葉にならず、侑太は瑠香にキスをした。
女慣れしているはずの侑太にしては、下手くそなキスだった。
初めて見た時からだ。
俺は、あなたに惚れていた。
カーテンの隙間から、東雲の空が見える。
寝息を立てている瑠香の肩を抱きながら、侑太は小声で呟いた。
「一生かけて、あなたを守ります」
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次回の外伝は、主人公の話です。
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