【第六部】暁光 最終章 旅立ち
恭介は、自室の椅子で、大きく背伸びをした。
「終わったか?」
恭介の様子を見た悠斗が声をかける。
「うん。あとは申請するだけだ」
「式の前に、完成して良かったな」
悠斗は恭介にコーヒーとチョコを渡す。
「結婚式なんて出るの初めてだし、緊張する。悠斗は?」
「俺、一昨年、母の結婚式っていうか、食事会には出たけど」
「侑太も、緊張してるかな」
「嬉しくて、眠れないんじゃないか」
悠斗はベランダに出る。
窓から吹き込む春の夜風は、微かに甘い。
「結婚式に参列したら、次は卒業式か」
語学研修から帰国して、二年生の後半からは、皆、受験勉強に集中し始めた。
恭介は父から何度も
「俺の出身大学か、せめて私大の薬学に行け」
と言われたが、どちらも興味がないので断った。
たまたま近くの大学で、リスクマネジメントの講座が開講されていると知り、そこに決めた。
悠斗も同じ大学の、昼夜開講制の経済学部へと進学する。
現実の世界にどっぷりと浸かり、学業と法人の業務に没頭する日々を送ると、地底での生活も、聖獣たちとの触れ合いも、恭介にとって今では夢物語である。
更に言えば、大量に発生した蟲をかわしながら、仙波と交戦したことも、遠い記憶になりかけている。
だが
恭介の左胸には、今も傷痕は残っている。
時折、聖獣の声が、心に響くような気もする。
「侑太が結婚ねえ。しかも相手が瑠香さんとは」
悠斗が些かおっさん臭いことを言う。
その点は、恭介も同感ではあるが、畑野健次郎が二人に婚姻を勧めたのは、理由があってのことであろう。
瑠香は蟲使いの一族の大元であり、かつて蟲使いを調伏した系譜にも、名を連ねた。
侑太は、凶悪な蟲使いを母に持ち、蟲への耐性を残している。ついでに、侑太自身が違法なことを重ねていたため、悪い奴の手口をよく知っている。
二人とも、恭介の考える危機管理の体制には、不可欠な人材である。
そして二人とも
家族運に、恵まれているとは、言えない。
その魂の隙間を埋め合うことが、瑠香も侑太にも必要ではないか。
健次郎が二人を結び付けたのも、そこに気付いたからではないだろうか。
そこまで思考して、恭介は思い出す。
「明日、戸賀崎とか原沢も来るんだっけ?」
「みたいだな。戸賀崎は、侑太の悪行ばらしてやる、とか言ってたけど」
侑太だけではない。
戸賀崎も原沢も、牧江もそうだった。
欠落した人格を作り出した、愛情欠損。強力な愛情飢餓。
だから、あいつらがやったことは、仕方なかった、なんて言わない。
言いたくもない。
だがこれ以上
あいつらの様な子どもたちを、野放しにしたくない。
それもまた、未来のための危機管理だと、恭介は思う。
先ほど仕上げた書類は、NPO法人の認可申請である。
子どもの居場所作りと、心身両面へのサポートが、メインの活動として申請する。
愛情欠損の子どもの救済だけではなく、自信のない、かつての恭介のような子どもにも、生きていく力を与えたい。
自分が、地底でそうして貰ったように。
「そろそろ寝るか、明日は早い」
悠斗が照明を落とした。
翌日。
箱根にある神社において、侑太と瑠香の式が厳粛に執り行われた。
晴天の空、早咲きの桜が舞い、瑠香の白無垢姿を薄紅色に染める。
式後、侑太は戸賀崎や原沢に、散々揶揄われていた。
恭介は、瑠香の養父景之も、どこかで見守っているような気がした。




