【第六部】暁光 最終章 始まりの地 5
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説明会の途中で、恭介は気付いた。
ペンシルベニア。
恭介は、いずれ留学する予定でいるが、候補大学の一つがある州だ。
そして、父創介が、合併を計画した、薬品会社の所在地でもある。
学校帰りに、恭介は藤影邸に寄った。
「藤影恭介」という戸籍は復活したが、相変わらず実家には戻っていない。
離れて暮らす方が、互いのためだと亜由美には言ってある。
その『互い』の片割れである、父創介が、本日午後は、自宅にいるという。
少し話がしたい旨をメッセージで創介に送ると、既読はついたが返信はなかった。
書斎で父は待っていた。
「お前の家だ。いちいち連絡なんか、しなくていいぞ」
何かの論文を読みながら、創介は言った。
「で、何が知りたい?」
「ペンシルベニアの薬品会社との合併を、止めた理由を」
ああ、なるほど、と創介は呟いた。
家に寄り付かない息子が、珍しく連絡してきた。
頼られることは、父親として内心嬉しい。
嬉しいが、それをどう表現したら良いのか、創介には未だ分からない。
ただ、何かをねだるとか、金の無心とかは、恭介に限ってはない。
となれば、高校生では得ることが難しい、情報収集あたりであろうと、創介は推測していた。
「丁度今、その辺りの論文を読んでたところだ」
恭介の前に、バサッと学術論文のコピーが置かれた。
恭介が読み取れたのは、「選択的」と「細胞死」であったが、敢えて手に取らない。
「なんだか難しそうですね」
そう言うと、父の口元が少し緩んだ。
「お前が以前渡してくれた、仙波からの報告書で、先方に少し気になることがあった」
「経営面ですか?」
「いや、それは問題ない。全米で十指に入る製薬企業だ。だが」
創介はもう一つ、コピーの束を机に置く。
『ヘルシンキ宣言2013』
表紙にはそう書いてあった。
「倫理上、この宣言を逸脱している可能性があったので、俺は合併を止めることにした」
「研究内容は、どのようなものだったのですか?」
創介は頭を掻きながら言う。
「簡単に言うなら、ゾンビを創り出す研究だ」
恭介は思わず聞き返す。
そんな単語を父から聞くとは、思ってもいなかった。
「ゾ、ゾンビ?」
「まあ正確に言えば、大脳辺縁系や偏桃体の細胞を選択的に破壊し、壊れた細胞の隙間に、寄生虫を埋め込む、というようなことらしい。選択的に破壊する方法の一つとして、俺のアポトーシスの知見に、目をつけたのだろうな。脳内の寄生虫に、ある種の信号で指示を出すと、ゾンビのように意のままに動かせるそうだ」
それはまるで。
「まるで、仙波や、侑太の母親がやろうとした…」
「その通りだ。いや、むしろ」
創介は軽く頭を振る。
「先方の製薬会社との話を持ってきたのは仙波だ。
そして奴は、俺の知らないところで、寄生虫の卵入り薬物をバラまいていた」
「仙波は、その会社の手先だった、ということですか」
「今となっては、憶測の域を出ない話だがな。健さんに聞いても、はぐらかされる。
厚労省の役人と、クスリの件は、仙波主犯で手を打ったし」
そういうことだったのか。
それぞれの大人の事情が、恭介にも垣間見えた。
「ありがとうございます。だいたい、知りたかったことが分かりました」
「そうか。
ところで、なんであんな僻地の島、健さんから買ったんだ?」
「え、それは、都内でゾンビが出た時の、避難場所として」
至って真面目に恭介は答える。
呆れたように創介は、息子に告げた。
「あのなあ、実業経験も良いが、お前、もうちょっと勉強しろ、勉強。もう二年生だろ? 予備校でも通え!」
ヘルシンキ宣言とは、世界の医師会によって作成された、人体実験に関する倫理的原則のことである。




