【第六部】暁光 二章 清算 9
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『どうして、そう思うの?』
というような返事を、想定していた恭介だった。
だが亜由美は、顔色一つ変えず、こう言った。
「あら、いつから気付いていたの?」
その答えに動揺した恭介は、カップを落としそうになる。
「いつからって、やっぱり、母さんっ!」
冬の風にバラの花弁が揺れる。
一羽の鳥が飛んで来る。
亜由美が手を差し伸べると、鳥はちょこんと亜由美の手に停まる。
「心配しなくても大丈夫」
亜由美が鳥に話かけると、鳥はまた飛び立つ。
「そうね、肉体は人間よ。
でも、魂の出どころが、少し違うと思うわ」
母が、何か他の人と違うと、恭介が初めて感じたのは、物心ついた頃だ。
母と一緒にいると、いつも小鳥が近くに降り立ち、水辺に近づくと魚が跳ねた。
当時はそれが普通だと思っていた。
母親の優しさというのは、森羅万象すべてに、通用するものだと。
だが、幼稚部に通うようになり、恭介の社会が広がると、母の普通は、世間一般では必ずしも、当たり前ではないことを知る。
例えば、母と一緒に動物園や水族館に行くと、猛獣の檻だろうが水槽だろうが、とにかく動物らが寄って来る。
自宅の庭には、いつでも綺麗な鳥たちが集い、鳴き声が途切れない。
亜由美が倒れるまで、その現象は続いた。
亜由美はベッドに臥せると同時に、声が出なくなった。
「まるで人魚姫ね」
ある時、香弥子が意地悪く呟いた。
お見舞いにきたと言っていたが、弱った母を嘲笑いに来たのだ。
今思えば、香弥子のかけた呪いが、どのくらい亜由美に効いているのか、偵察にやって来たのだろう。
ただ、その一言は、恭介の心に刺さった。
人魚姫
恋した男性を追いかけて、人間になった精霊。
代償として、声を失くした海の姫君。
「母さんは、人魚だったの?」
改めて、恭介は母に問う。
亜由美はにっこりと笑う。
「私は生まれる前に、海の底で暮らしていた。
そう感じているわ。
それを人魚というなら、そうかもしれない」
恭介が地底で生活していた時に、大亀のレイは言った。
誰もが此処に、来られるわけではない。
恭介は
特別だと。
それは恭介の母が特別な存在だったゆえ、地底の聖獣たちが、受け入れてくれたということ。
「俺は、海に落ちて、海流に運ばれて、運よく地底の世界に辿り着いた、そう思ってた。
でも、単に運が良かったわけではなかったんだね。
母さんが
俺の身を案じ、ずっと祈ってくれていたから。
だから
助かった」
亜由美はそっと、恭介を抱きしめた。
「子どもの無事を、
祈らない親なんていない」
冬の澄んだ空に、長い雲が二つ、流れていく。
まるで、竜と麒麟が並んで、地上を見下ろしているような造形だ。
「私は生まれる前に、約束したの。
自分の身はどうなってもいい。
愛した男性と子どもは、絶対守るって」
冷めっちゃったわね、と亜由美は紅茶を淹れ直す。
「もっと聞かせてちょうだい。あなたが暮らした地底の話」




