【第六部】暁光 二章 清算 8
8
侑太と瑠香が、創介に改めて挨拶をしている頃。
恭介は、釣りをしながら聞いた、父の話を思い出していた。
それは創介の子どもの頃。
一度だけ、実母、平野聖子の実家へ遊びに行った。
聖子の実家は日本海側の、海の近くだった。
寒鰤で有名な海であるが、訪れたのは夏。
創介は一人、早朝の釣りに出かけた。
朝焼けの海辺は薄紫色に輝き、海上には朝もやが漂う。
神秘的な風景に、ガラにもなく創介の心は浮き立った。
ちゃぽん
海辺から、小さな水音がした。
創介が水音の方を見ると、白い靄の中、人影が揺らいだ。
朝日が射す。
薄皮を剝ぐように、靄が少しずつ消えていく。
人影は、女性のようだった。
上半身を波の上に出し、その女性は創介を見ていた。
創介も女性を見た。
髪の長い、裸体の女性。
女性と目が合った。
すると
女性は身を翻し、波の間に潜った。
下半身は、鱗が重なっており、まるで魚のようであった。
「あれは、単なる夢だったのか、疲労による幻覚か、今となっては分からんな」
釣りをしながら、創介は言った。
「お前が、異世界で人外の生き物と暮らしたというのも、海中で酸素不足に陥ったため、脳中枢が見せた幻覚だろう。俺はそう思う。
お前も、そういうことにしておけ」
その場では、曖昧に笑った恭介である。
ただ、気になったのは、父が見たという存在。
「上半身は女性。下半身は魚」というのは、人魚ではないのか。
そして父の話は、地底にいた時から、恭介の中で生まれた疑問と仮説に、一つの帰結点を与えた。
今度は
母と話さなければ、ならない。
藤影の御曹司が生還したというニュースは、株価にも大いに影響し、過半数の株取得をした創介に、最早逆らうものはいなかった。
総会において、創介は取締役社長を実弟の陽介に譲る。
創介本人はCEOとして、ステークホルダー、すなわち利害関係者からの要求に対し、適切な意思決定を行う、最終責任者としての役割を背負う。
日曜日の午後。
マスコミの取材陣らに捕まらないよう注意しながら、恭介は元々の自宅、藤影邸を訪れる。
敷地内は、冬のさなかでありながら、バラがそこここに咲いていた。
「お帰りなさい」
玄関で母が出迎える。
「あなたがようやく来る気になって、母さん、嬉しいわ」
テラスのテーブルには、紅茶とたくさんの焼き菓子。
懐かしい香り。
「今日は創介さん、おじさんたちとゴルフですって」
その情報は侑太から聞いていた。
だから恭介はこの日にした。
母と二人きりで、話したかったのだ。
白いティーカップに紅茶を注ぐ亜由美の顔は、恭介が子どもの頃と変わっていない。
日差しが当たった髪は、栗色に輝く。
細く白い指。
「ねえ、母さん」
「何?」
静かに恭介は母に尋ねる。
「母さん、本当に、人間なの?」




