【第六部】暁光 一章 残務 9
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北風が、強く吹くようになった新嘗祭の頃。
恭介と侑太は、健次郎に連れられて、西日本の聖地と言われる神社や海岸、湖などを七つほど廻った。
「潔斎と禊が必要だからな」
そう健次郎は言った。
道中、恭介と侑太は、殆ど話をしなかった。
恭介は、侑太と深い話をする気にならず、侑太はどこかうわの空であった。
関西の空港から羽田に戻ると、東京湾の上空には、くっきりとした満月が浮かんでいた。
「いい頃合いだ」
健次郎に促され、そのまま海岸に近い公園に入る。
七色に輝く橋の向こうに、赤く光る電波塔が見えた。
健次郎は海に向かって、神社で参拝する作法のように、頭を二回下げ、拍手も二回行った。
健次郎が頭を上げると、どこからともなく、猫の鳴き声がした。
鳴き声と同時に現れた黒猫は、左右の目の色が異なっている。
「あっ」
恭介は小さく叫んだ。
かつて地上に戻る試練を受けた時、最後に恭介の前に登場した猫と、同じ瞳をしていた。
――この者たちか?
――この者たちが、我、武内宿禰を呼び出す、次のお役か?
恭介の頭の中に、声が聞こえた。
侑太にも聞こえているようだ。
健次郎は黒猫に向かって平伏する。
慌てて恭介と侑太もそれに倣う。
黒猫は尻尾をピンと立て、恭介と侑太の膝にすりすりと頭を付けた。
――お前は、人を真に愛せる人間となれ。
黒猫は侑太の膝に前足を乗せて言った。
侑太はビクっとして、一層深く、頭を垂れた。
その後、黒猫はくるっと向きを変え、恭介の顔を覗き込む。
――伝えたか、お前は。死ぬほどの目にあいながらも、生きて戻ってきた気持ちを。
「いいえ、まだです」
――そうか。それを伝えることが出来たら、お前の復讐は終わるであろう。そこからが、新しい人生だな。
黒猫は、健次郎の前で顔を洗い始めた。
――ふん。まだまだ修行は必要だが、まあいいだろう、こいつらで。
「ありがとうございます」
黒猫は何かを二回、吐き出した。
それらは、月光を受け、きらりと光る。
――我が本体を必要とする時、ここに来るがよい。一つずつでは、我には届かん。
そのまま、煙のように黒猫は消えた。
ほっとしたように健次郎が立ち上がる。
「無事に済んでよかったな」
「無事に済まないこともあるのですか?」
恭介が訊く。
「何代も前の話だから、信憑性は乏しいが」
そう前置きして、健次郎は言った。
「武内宿禰を召喚するには、一度、獅子と戦う必要がある、と伝わっているよ」
獅子!
それは、ひょっとしたら、スフィンクスのことだろうか。
黒猫が去った場所に、残されたのは二つの勾玉。
健次郎は丁寧にそれを拾い、恭介と侑太に一つずつ手渡す。
翡翠だろうか。深い碧と乳白色の勾玉だった。
「今回は、勾玉か」
感慨深げに健次郎が言う。
「前回とは違いますか?」
顔を上げた侑太が尋ねた。
「ああ。前回は剣だった。確か、その前は、鏡」
所謂、三種の神器ではないか。
では、恭介が仙波と決着をつけた時の、あの剣は。
瑠香が恭介に託したものだった。
畑野の家に、代々受け継がれている剣と聞いた。
健次郎は、武内宿禰を、この世に蘇らせる役割を担っていたのか。
その疑問をぶつけると、健次郎は否定も肯定もしなかった。
「俺には、蟲使いを倒せるような、そんな能力はないよ。ただの仲介役だからな」
そう言って、一人ベンチに座り、健次郎はタバコに火を点けた。




