【第六部】暁光 一章 残務 2
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「今から、一緒に病院へ行って」
珍しく亜由美の口調がきつい。
亜由美の緊張を感じた恭介は、「わかった」とだけ言った。
病院にいるのは、きっと恭介の父、創介であろう。
恭介が悠斗を見ると、悠斗は何も言わずに、二度頷いた。
学園の裏門から母と恭介はタクシーに乗る。
見送った悠斗は恭介に囁いた。
「後悔するなよ、キョウ。俺みたいに」
病院に向かう途中で、恭介は母から父の病状を聞いた。
創介は、今朝強引に退院し、そのまま出社したという。
「出社って、…重傷だったはずじゃ」
恭介は絶句した。
なぜか創介は、国内でマラリアが発生する可能性を考慮し、準備もしていたそうだ。
その手配と指示を精力的に行った結果、創介の傷口からは出血が続き、先ほど緊急搬送された。
「血が、止まらないらしいの、創介さん」
「輸血とかは?」
「それがね…」
蚊が媒介するジカウイルス感染症は、血液を通じても感染する。
よって、厚生労働省は本日午後、各病院に、輸血製剤の使用を不可とする通達を出していた。
病室に入ると、看護師を始め、コメディカルのスタッフが慌ただしく動き回っていた。
担当医が亜由美を呼び、病状の説明をしている。
恭介は床上の創介を見つめる。
こけた頬と白い肌。
多分、重度の貧血状態。
繫がれたチューブから落ちているのは、透明な水滴。
目を閉じていた創介が、ふと瞼を開く。
父と子の、静かな邂逅。
恭介は口を開いた。
「こんなところで死なないで欲しい。
俺はあなたに言いたいことを、まだ一つも伝えてない」
創介はまた目を閉じた。
「俺は、何の手立ても考えず、ここに来たわけじゃない!」
恭介のその言葉で、酸素吸入している創介の口元が、笑ったように見えた。
そのまま恭介は担当医に向かう。
恭介の申し出を聞いた担当医は、「いや、そうは言っても」と歯切れが悪い。
「俺の血液から、赤血球と血漿を取り出してくれ!
責任は、俺が取る!」
恭介の迫力に負け、息子から父へと輸血が行われることになったのは、これより一時間程たってからである。
波の音が聞こえる。
瞼が重くて開けることができないが、ここは海の近くだろうか。
――とうしゃん、とうしゃん、見て見て
息子が自分を呼ぶ声が聞こえる。
「おとうさん」と何度教えても、息子はまだ、うまく発音できない。
だが、それも可愛い。
よちよち歩きをしながら、貝殻でも拾っているのだろう。
側には妻が、日傘をさして見守っている。
こういう幸せもあるのだな。
自分には、縁がない生活だと思っていたが。
妻にそっくりの息子。
汚れない笑顔に癒される。
「パパには、ぜんぜん似てないのね」
それは悪魔の囁きだった。
創介の胸に、浴びせられた冷水。
それ以後、妻が息子をいたわる姿に、チクリチクリと胸が痛んだ。
ああ
嫉妬だ。
俺は息子に嫉妬していた。
産まれた時は、本当に嬉しかったのに。
それどころか、俺は自分の手で、息子を…
流した涙で目が開いた。
創介が横を向くと、疲れ果てて眠っている恭介の頭だけ見えた。
よちよち歩いていた頃の、ふっくらとした頬は、いつの間にか青年の輪郭になっていた。
なんだ
よく似てるじゃないか
俺の若い頃に。




