【第五部】縁 四章 残照 8
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東京湾に稲妻が走った後、光る流体が東京全域から北関東にかけて疾走した。
黒い霧のように空中を被っていた蚊の大群は、流体が通り過ぎると消失した。
武内はマストの上から、海に向かって片手を上げる。
うねる波の下から、地上を睥睨するような、大型爬虫類の双眸が現れた。
日本政府からの協力要請を視野に入れ、横須賀付近の海面下で控えていた、同盟軍の記録にはこう書かれている。
Is it a Japanese monster?
常世神は、薄暮の空をひらひらと舞う。
残照を受けたその姿は、曼珠沙華のようだ。
常世神が舞う空間は、紅の粉を撒いたように染まっていく。
赤い空に浮かぶ、黒い蚊の影は次々と消えていく。
仙波は恭介の顔を見つめ、目を細めて言う。
「そっくりだな、お前。
父親にも
……母親にも」
その瞬間、確かに仙波は微笑んだ。
それは「壬生凪」としての、最期の表情だった。
恭介も力尽き、地べたに座り込んだまま、動くことが出来なかった。
ただひたすら、真紅の蝶の軌跡を見ていた。
いつしか常世神に寄り添うように、透明な球体が浮かんでいた。
二体は上空をくるくると回り、高く高く上がって、やがて見えなくなった。
「あれが仙波の魂じゃ。常世神とは、魂を霊界に送るもの」
リンの声が、いつもより柔らかかった。
「あやつは自身に呪いをかけた。
別の人間として生きるために。
じゃが、自分でかけた呪いは、自分では解けない。
他人の肉体は、どんどん崩壊していくというのに、な。
ゆえに、禁忌。禁呪なのだ。
人間が手を出して良い領域では、ない」
大きな翼の影と共に、羽ばたきの音が降りて来た。
「スズメ?」
「間に合いましたね、恭介さん」
スズメは翼の下から取り出した、人を一人地面に寝かせた。
その隣に、リンも背負っていた誰かを下ろした。
「柏内さん! 聖子さんも」
悠斗が恭介の胸の止血をしながら、二人に気付き声を出す。
スズメは自分の羽を引き抜き、恭介の目の前に座る。
その羽で、恭介の傷ついた体を何回か摩った。
「これで大丈夫でしょう」
「ありがとう、スズメ。
終わった、のか?」
「ああ、安心していいぞ、かげっち」
メイロンの声がした。
メイロンも、誰かを抱えていた。
恭介はほっとして息を吐く。
そのまま悠斗に身体を預けた。
終わったと聞いても、爽快感などはない。
ただ疲労していた。
眠ってしまいたかった。
官邸で、同盟軍への協力依頼と、強力な除虫剤使用を許可する決議が上がろうとした、その時。
農林水産省並びに厚生労働省から、大量の蚊が、一気に激減したとの報告が届く。
定点観測での蚊の数は、八分間で五匹程度。
夏の公園で見られるくらいの数値に落ち着いた。
よって臨時閣議は解散。緊急事態は解除された。
ただし、しばらくの間、公共放送を使って、蚊に対する注意喚起が行われた。




