【第五部】縁 四章 残照 5
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創介の元から飛び立ったトラフズクは、全身にまとわりつく蟲を弾きながら北上していた。
本来、蚊を始めとする昆虫類は、猛禽類の餌である。
しかし、それは自然があるべき姿の話。
人の生き血を啜り、悪意を受けて放たれた蟲は、自然の理を捻じ曲げて、大型鳥類をも襲う。
羽を傷めたトラフズクは、江戸川を越えるあたりで、力が尽きかけたいた。
ようやく太い幹の木を見つけ、羽を休めようと高度を落とすと、血糊で固まった鎖状のものに羽を削られ、地面に落ちた。
いや、落ちた先は地面ではなかった。
人の手の上だった。
「どうした、お前。ケガしてるのか?」
木の側で恭介の帰りを待っている、悠斗がトラフズクを抱いた。
悠斗はトラフズクの首にかかる、鞘を見る。
藤の文様が描かれていた。
「お前、これを付けてどこにいく? 羽はもう、ボロボロだぞ」
人間の言葉が分かるかのように、トラフズクは首を動かし彼方を見た。
猛禽の眼に浮かぶ、焦りと不安。
悠斗はなぜか、この鳥を運んで行こうと思った。
この時の決断がどうして生じたか、後になっても悠斗に分からなかったが。
「連れてってやるよ」
悠斗は乗ってきたオートバイに、キーを差し込んだ。
雲取山山中で、呪をあげていた畑野健次郎は、四極点の一角が崩れたのを感じた。
柏内か。
健次郎の脳裏に、若かりし頃の柏内が浮かぶ。
万感の想いが浮かんだその時、どこからか柏内の声が聞こえた。
――感傷に、浸っている場合じゃないでしょ、健ちゃん
それもそうだ。
苦笑して健次郎はまた、祓いの中に意識を戻すし、呪をあげる。
健次郎の口から、泡立つような血が零れる。
それは血を吐きながらも歌い続ける、鳥のようであった。
仙波と闘い続ける恭介は、自分の胸に鶏卵ほどの塊が出来ていることに気付いた。
先ほど、仙波が「卵を産みつけた」と言ったのは、嘘でも誇張でもなかった。
恭介の鼓動に合わせ、ドクドクと動く塊。
塊の出来た周囲の皮膚には、血管がミミズのように浮かび上がっている。
この塊が弾けたら
おそらく命とりであろう。
日没までと仙波は言った。
あと、三十分くらいだろうか。
その仙波は、大型のナイフを取り出し、自分の手首を傷つけた。
流れ出す血を地面に垂らす。
県境、埼玉の場所に。
「ふふふ、埼玉の術者に術を返した。
よって、二人目の術者もおしまいだな」
そう言いながら、仙波は恭介に切りかかる。
かろうじて、恭介は小刀で受け止める。
仙波の力は強い。
受け止めるだけで精一杯だ。
「宇部家に伝わる刀だな。
それ一本だけでは、私を倒すどころか、傷をつけることもできまい」
本来は、二本で一組の武器だと瑠香は言っていたそうだ。
いよいよここまでか。
まさに今、遠くの山脈に陽が落ちようとしていた。




