【第五部】縁 三章 時間の交錯 9
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午前11時。
狩野学園は、区民の緊急避難場所として、校内のすべての施設設備を開放した。
校庭には、医療用のテントが設置され、抗マラリア薬の投与と、虫刺症対応も始まった。
陣頭指揮は亜由美が執っている。
侑太は、生徒会役員にいくつか指示を与えたあとで、白井を呼んだ。
白井も、恭介が事前に準備していた、虫が嫌がる音波や香り発生デバイスの、新たな設置を行っていた。
「お、お呼びですか、会長」
「タメ語でしゃべれよ、白井」
白井が入学当初、遠くから見ていた侑太は、ふてぶてしくもあり、禍々しい表情をしていた。
今は片目を黒い布で巻いて、緊張感は感じられるが、表情の翳りはない。
よく見れば、恭介の血縁を示す顔貌を持つ。
「俺はこれから、瑠香さんからの頼まれ事するんで、しばらくいなくなる。
その間、理事長と一緒に学園を守ってくれ」
「えっえっ? お、俺が?」
「お前しかいないだろ。恭介も悠斗もいないし。
お前は恭介から、こんな事態になった時の話、聞いてるし。
それにな」
侑太はニカッと笑う。
「お前、あの香弥子の攻撃を、無効にしてるじゃん」
確かに、侑太の母を倒す一助をしたのは白井である。
「わ、分かった」
二人は互いに、拳を合わせた。
瑠香からの頼み事が何かは分からなかったが、白井も、自分に出来ることをするべきと悟っていた。
そのまま侑太は、ある男の自宅を目指した。
かつての仲間の一人であり、生き物の扱いに習熟している男。
戸賀崎翼の家である。
香弥子の名前を出した時、白井は複雑な表情を見せた。
悪かったかな、と侑太は思う。
侑太自身はさほど気にしていないし、白井に恨みなどない。
寧ろ
どこか、ほっとしているのだ。
香弥子の操り人形として、生きて来た自分が、本来のあるべき姿に戻った自覚がある。
香弥子があのまま生き続けたら、父と笑いあうことなど、生涯不可能だったろう。
もちろん
恭介と一緒に何かをすることも。
戸賀崎邸に辿り着くまで、至る処、虫だらけであった。
そもそも空が暗いのだ。
その暗さが全て、虫のせいとは思いたくないが。
防御はしていたが、侑太の耳元にも蚊の羽音が響く。
目の前を黒い点が飛び交う。
戸賀崎の屋敷も、元々、緑豊かな敷地に建てられている。
さぞかし虫が棲みついていることだろう。
侑太は門を開け、中に入る。
あちこちから小鳥の囀りが聞こえる。
虫は?
いない!?
「よう、久しぶりだな」
玄関で侑太を出迎えたのは、戸賀崎翼本人だった。
大きなケージに、小鳥たちが集められていた。
白い腹に、黒い帯が縦についているような小鳥たち。
もう一つのケージには、遮光の布がかけてある。
「すげえな、翼。こんな短時間で、鳥を用意できるとか」
「まあな。一番蚊を喰いそうな奴、集められるだけ集めたぞ」
「こっちの布の中もか?」
「そっちは蝙蝠だ。俺の研究用として、元々飼ってた」
屋敷から、戸賀崎の父親が出てきた。
「ご無沙汰しております、侑太様。私、運転しますので、場所はどこですか?」
「江戸川べり。俺も行く!」




