【第五部】縁 三章 時間の交錯 6
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恭介の位置からは、仙波の姿は見えない。
仙波からは見えているのだろう。
「よく戻ってきましたよ、あなたは。あの、深海の底から」
仙波の声自体、海の底の色のようだ。
「お前も、行ったんだろ、仙波」
「行きましたよ、半ば強引に」
やはり
聖獣たちの言っていたのは、この男のことだったのだ。
無理やり地底をこじ開けた人物。
そして、地底から知識を盗んでいった。
「あれは、もう何年前になるでしょうね」
調圧水槽の中は、音が響く。
恭介は一本の柱の陰で、仙波の声を追う。
「自分の魂を、別の人間の体に移す秘術を、私は伝授されていなかった」
じりじりと、恭介は音源へ足を進める。
「でも、どうしてもその術を使う必要があった。たとえ、禁じられた術だとしても」
声の方向は少し右だ。
「口伝でね、聞いてはいたのですよ。すべての呪術を記した場所が、どこかにあると。
探しました。探して探して、私はようやく突き止めた」
次の柱に移動しようとした恭介の目の前に、蟲のクラスターが現れた。
恭介は掌に炎を浮かべ、払いのけようとする。
「だめですよ。ここはコンクリートの貯水槽。地上ほど酸素はない。あなたの炎で私の蟲の大群を、焼き尽くすことはできない」
恭介は構わずクラスターに炎をぶつけ、出来た隙間を走り抜ける。
握りこぶしほどの塊が床に落ちる。
蟲の骸。
「刺されないでくださいね。ここにいる蚊はすべてハマダラカ。マラリア原虫をたくわえています」
炎で塊が壊れた蚊の群れは、地上に繫がる階段へ飛んで行く。
まずい!
あいつらは地上へ向かう。
蚊を追うべきか。
それとも
「あなたは私と闘うしかない。私を倒せば、蟲も死ぬ」
そう言って仙波の足音は遠のいて行く。
迷っている暇はない。
恭介も仙波の後を追う。
いくつもの柱を通り過ぎ、息を切らせた恭介は、貯水槽の端で立つ仙波を認めた。
仙波の足元には薄緑の環が広がっている。
恭介に向かって微笑む仙波は、足元からその環に消えていく。
あわてて恭介も、その環に飛び込んだ。
とぷん
その環は水たまりの様だった。
かつて恭介が体験した出来事を思い出す。
船から海に、放り出されたあの時の。
恭介の体勢はくずれ、頭を下にしたまま、水底に落ちていく。
あの時と違うのは、意識が鮮明であること。
恭介に、戦う意思が残っていること。
口から吐き出す空気が、泡となって消えていく。
仙波の姿は見えない。
目を凝らして眺めても、恭介の周りは、どんどん昏い色になる。
水の中を沈んでいく恭介の目の前を、女の子が二人、通り過ぎる。
姉妹だろうか。よく似ている。
「凪ねえ、待って待って」
「早くおいで、ちー」
幻影か。
凪に呼びかけた少女は、きっと仙波の妹だ。
この幻影、仙波が見せているものか。
恭介の頭に、直接響く声。
――幻影ではなく、実像。ここは時間と空間の狭間




