【第五部】縁 三章 時間の交錯 5
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武内宿禰は、神話の世界の人物である。
曰く、五代の天皇に仕え、三百歳くらいまで生存したという。
神功皇后の新羅遠征と、その後、応神天皇の即位に至るまで、武内宿禰は主役格の働きを見せている。
更には戦で功績を上げ、治水事業も行い、神のお告げを聴くことの出来る霊能者でもあった。
彼は一体
何者だったのか。
鄙びた温泉の宿に、朝日が差し始めた。
宿といっても簡易な宿泊所である。
畳と座布団が置いてあるだけで、管理人もいない。
スズメの鳴き声で、柏内は目覚めた。
目覚めたものの、起き上がれない。
体中が軋んでいた。
首だけ動かして見ると、隣には懐かしい顔。
平野聖子が眠っていた。
ここは何処だろう。
今日は何日だ。
思わず手を動かすが、引きつった痛みが走る。
誰が手当をしてくれたのかは知らないが、手の甲にも包帯が巻かれていた。
そうだ。
炎に包まれた。
助かった、のか。
柏内は聖子に声をかけようとしたが、上手く発声できなかった。
咽喉も痛かった。
ガタガタと襖が開く。
お盆を持った人影が入って来る。
「お目覚めですかな」
遠い昔に会った人。
柏内の恩人とも言える人だった。
名を呼ぼうとして口を開けるが、やはり声は出なかった。
――先生! 武内先生
「皮膚も粘膜も、熱傷でやられていますよ。ああ、平野さんも同じです」
柏内は半身を起こし、武内が持ってきた湯呑に口をつけた。
むっとするほどの青臭さと苦さ。
「薬湯ですよ」
武内は笑った。
我慢しながら柏内は飲み干す。
火傷を負っている口腔内だったが、不思議と痛むことなく飲むことが出来た。
飲み終えた柏内の頭が動き出す。
苛烈な一夜。
丑三つ時を過ぎた頃、いきなり攻撃は始まった。
ドローンが何機も現れ、水面すれすれまで降下する。
降下したドローンからは、魚雷のような爆弾が次々に発射された。
ドローンの攻撃目標であるダムの堤防の上に立ち、柏内は真言を唱え続けた。
堤防の破壊は、ダムの決壊であり、人工的な水害の発生となる。
爆弾は、堤防の壁に激突する前に、次々と水上で爆発した。
溢れんばかりの波と水しぶきが、堤防を濡らした。
その時である。
最後の一機が柏内の頭上に現れ、何かを落とした。
柏内の足元で、ガラスの割れる音がする。
同時に燃え上がる炎。
最後にドローンが運んできたのは、火炎瓶だった。
一瞬にして炎を纏った柏内は、覚悟した。
最後に、不動明王の真言を唱えたことは覚えていた。
「あなたと平野さんのおかげで、ダムと水源は守られました。
でも、敵さんの攻撃目標が、よく分かりましたね。
いや、さすがと言うべきか」
柏内は微笑んだ。
それはかつて、過激な学生運動を展開していた一部のセクトが、やろうとしたこと。
ダイナマイトをダムの壁に仕掛け、時の内閣を脅迫しようとした。
彼らの行動は徒労に終わり、その後、学生運動なるものは衰退した。
だが
無駄な経験というものは、ないのかもしれない。
どうやら聖子も目覚めたようだ。




