【第五部】縁 二章 突き抜けたその先 10
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表向きは問題なく、講演会は終了した。
藤影創介は、私設の救急車両で、藤影グループ内の総合病院へと搬送された。
亜由美と聖子は車両に同乗した。
「お前、行かなくていいのか、恭介」
悠斗は眉間に皺を寄せ、いつもよりキツイ口調で訊く。
「母と祖母がついているからな。俺は他にやることがある」
何かを言いたそうな悠斗だったが、思考モードに入った恭介を見て、口をつぐんだ。
今回、講演会は金属探知機を設置していたので、プラスチック製の武器が使用される可能性はあった。
よって、あらかじめ、白井に防御を頼んでおいた。
聖子に向かって投げられた刃は、尽く地に落ちた。
ただ
創介が来場する可能性は低いと、恭介は踏んでいた。
だが
それが母子の絆というものか、彼はやって来た。
創介の来場まで、読んでいたというのか。
仙波は。
しかし――
恭介の脳は先に進む。
――奴の狙いは、この国だ
亡き江一が、残した言葉が気にかかる。
一つの学園内で開催する講演会に、血の雨を降らせたところで、影響は知れている。
日本全体を震撼させるほどのインパクトは、少ないだろう。
ということは
今回の講演会での攻撃は、序章に過ぎないのか。
それとも
陽動か。
控室からふらふらと、白井がやって来た。
恭介を見つけると、彼は膝をついて頭を下げた。
「ごめん! 俺がもっと広い範囲で、防御できればよかったのに」
恭介もしゃがみ込んで、白井の手を取る。
「ありがとう、白井。聖子さん、守ってくれて」
「うん、ばあちゃんからも、そう言われて、なんとか壇上だけは守れたけど」
白井は鼻をぐすぐす鳴らす。
創介が搬送されたことは、白井も知っていた。
そういえば、聖子は柏内と友人だと言った。
柏内は、来ていないのか。
「ああ、ばあちゃん、今、群馬の山奥にいるって。なんとかダムの辺り」
ダム?
なぜ今、そんな処に。
「水源を守るとか、言ってたよ、ばあちゃん」
仙波もまた、山の中にいた。
柏内がいる山系ではない。
細い月明りが照らす山道を、彼は歩いている。
講演会は無事に終了したようだ。
生き別れた母と子の再会とは
さぞかし感動的なシーンであったろう。
そして予定外だったが、藤影創介に致命的な傷を与えられたことに、仙波は満足していた。
ただし、これは余興。
軽いジャブみたいなものだ。
欲しいのは、無辜の民の絶望と阿鼻叫喚。
仙波は山中にひっそりと佇む、泉の前に立つ。
月の光は細い糸のように、真っすぐに水底を穿つ。
仙波は月の糸を手繰り寄せる。
水底の蓋が開く。
その先に見えるのは、大きく豊かな樹木。
葉の一枚ごとに、あるいは幹の皮一面に、書きこまれている古の記録。
仙波は手を伸ばし、葉を引きちぎっていく。
これではない
ああ、これも違う
仙波の腕や手は、水の中で、真黒に染まっている。
欲しい記録が手に入るまで、彼の手は黒いまま突き進む。
その樹木こそ、地底に生えている神の木。
北欧神話での呼び名は、ユグドラシル。




