【第五部】縁 二章 突き抜けたその先 6
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そこまで一気に喋ると、瑠香は体を左右に大きく揺らし、そのまま倒れそうになった。
すんでのところで瑠香を抱きとめたのは、侑太だった。
瑠香の髪が扇のように広がり、侑太の腕に巻き付いた時、侑太の脳内に天啓のように響いた言葉。
主
忠誠
侑太は悟る。
あの香弥子が勝てなかったのも、無理はない。
もともと、敵対出来るような相手ではないのだ。
間違いなく、この女性が宗主。
侑太は、抱えた瑠香を近くのソファーに座らせると、恭しく膝をついて頭を下げた。
侑太の中に半分流れる、新堂の血のなせる業だった。
古い血脈は民主主義を越える。
本家や分家という重さが、現代まで轍を残す。
「新堂、この香り、覚えがあるだろう」
侑太は頭を下げたまま、首を縦に振る。
線虫という種類は鋭い嗅覚を持ち、好きな匂いに集まり、嫌な匂いを忌避する。
匂いの識別能力は、犬の約1.5倍とも言われている。
仙波が駆使する寄生虫も、その種である。
嫌な匂いからは逃げていく。
「新堂、お前の母親の蟲支配と同じだ。お前の母は、自分の身から蟲が逃げないように、この香りを使っていた」
「おっしゃる通りです」
「すまない。私の内耳には、まだ少々蟲が残っている。ここまでが精一杯だ。新堂、そして恭介。
香りと音を防御に加えてくれ」
「瑠香さん、音って何のこと? 超音波?」
我が主にため口をきく恭介を、侑太は軽く睨む。
「蟲が嫌がるメロディ。一番効果があったのは、今、私が聞いている曲」
その曲とは
『魔弾の射手・序曲』
「わかった。これを会場に流せば良いんだね」
けだるさを振り切るように、瑠香は言う。
「序曲は十分程度。講演会は一時間はかかるだろう。できれば、生の演奏が欲しいところだ」
講演会が行われるホールには、確かピアノが置いてある。
恭介と侑太の目が合った。
「弾けるか、恭介」
「楽譜があれば、なんとか」
白井が、恐る恐る恭介に尋ねる。
「魔弾の射手って何? 歌?」
「ああ、オペラ。ドイツの伝説に出てくる、望み通りに命中させる、弾丸を撃つ人って意味らしい」
ただし、魔弾の射手の伝説では、7発中6発は、撃つ人の望むところに命中するのだが、残りの1発だけは、悪魔の望むところへ命中するという。
悪魔が望む弾丸は、明日、何処へ飛んで行くのだろう。
ロビーにいる面々を休ませて、恭介はダウンロードした楽譜を、長いこと見続けた。
講演会当日は、天気に恵まれた。
開場と同時に、ホールは在校生とその保護者で埋まった。
理事長である亜由美の挨拶が終わる。
平野聖子の紹介は、侑太が務めた。
壇上に聖子が登場すると、大きな拍手がわく。
講演のタイトルは『持続可能な世界を造っていくために、今、必要なこと』
聖子はマイクの前に立つ。
「ご紹介にあずかりました、平野聖子でございます。
私は現在、自然保護の活動を行っています。
そのきっかけとなったのは、ちょっとした、本当に小さな出来事です」
会場の一番後方の席に、遅れて入場した一人の男性が座る。
薄い色のサングラスをかけた、地味なスーツ姿の男は、藤影創介であった。
参考文献 Bargmann, C. I. et al.: Cell, 74, 515 (1993)




