【第五部】縁 一章 流れる翳り 9
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恭介はカレーを食べながら、叔父との話をぽつぽつと語った。
「なんつうか、意外。侑太っておふくろさんが強烈すぎて、親父さんの方は、あんま覚えてなかったわ」
「俺も、こんなに長く話したの、多分初めてだ」
「白井のおばあさんに、いろいろ相談してた人だっけ」
恭介は食べながら頷いた。
帰る間際、陽介は言った。
「柏内先生は、私利私欲で何かをする方ではない。連絡が取れなくても、心配する必要はない」
ただ
畑野健次郎は違う。
そうも言った。
私利私欲で動く人間でないのは健次郎も同じだが、その軌跡は黒色である、と。
お世話になった健次郎が、本当に藤影本社を狙っているというのなら
いっそ、経営権を、渡してしまうか。
「侑太もヘンに頭良いけど、それって親父さんの血か?」
悠斗の言葉に、恭介はハッとする。
新堂陽介は頭脳明晰である。
元々博識とは思っていたが、今回、直に話してよくわかった。
陽介叔父さんなら、あるいは…
それはそれとして、別の厄介なテーマがある。
「なあ、悠斗。俺、父と和解できると思う?」
悠斗は少し間をおいて答えた。
「出来る出来ないじゃなくて、お前がそうしたいか、したくないか
それだけじゃねえの?」
恭介の胸を穿つ、悠斗の一言だった。
「そう、だな」
一方、藤影家。
出来上がったお菓子のラッピングを終えた亜由美に、創介が声をかけた。
「せっかくだから、メシでも食べにいかないか」
亜由美は瞳をくるっと開き、頬に紅色がさす。
「ホント?
うれしい!」
「何が食いたい? お前の好きなトコでいいぞ」
亜由美は悪戯っ子のような表情で恭介に言う。
「わたしね、牛丼屋さんに行きたい!」
「はあっ?」
なんで牛丼。
銀座の寿司屋とか、四谷のホテルのフランス料理店を想定していた創介は、思わず声を出した。
「わたしの好きなトコで良いんでしょ?」
そう言った手前、嫌とも言えず、社長と社長夫人は連れ立って、近くの牛丼屋に行った。
創介も、牛丼屋に入るのは、何十年ぶりかである。
学生時代はよく食った。
たまに持ち帰りもしていた。
「お店で食べるの、初めて。緊張しちゃう」
そう言いながら、嬉しそうに頬張る亜由美は、少女のようである。
少女…
牛丼…
不意に浮かぶ映像。
あれは、創介が東京湾で、海水中の細菌を調べていた頃。
近くの倉庫から悲鳴が聞こえ、仲間と駆けつけた。
倉庫では、見るからにガラの悪い男共が、一人の少女を囲んでいた。
状況は分からなかったが、考えるより先に身体が動いた。
少女は、青ざめた顔で震えていた。
「食えるか?」
創介は夜食に持参していた牛丼屋の弁当を、少女に与えた。
「あ、ありがとう」
恐い思いをしただろうに、少女は笑顔を見せた。
その少女の笑顔が、亜由美に重なる。
まさか、な。
たおやかな表情で食事を終えた亜由美が、創介に言う。
「近々、SDGsの実践教育の一環で、ゲストをお呼びするのよ。カナダで自然保護活動している日本人の女性の方」
「えっ」
冷徹な経営者である創介の顔色が変わる。
「お名前は、平野聖子さん」
平野聖子とは、藤影創介の実母である。




