【第五部】縁 一章 流れる翳り 5
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その晩、瑠香は帰って来なかった。
その翌日も。
次の日も。
隣室で生活していれば、例え不在であったても、なにがしかの生活の匂いが感じられるのだが、ドアの向こうはただ、ヒンヤリとしている。
今までも、瑠香が何日か留守にすることはあったが、この寒々とした状況に、恭介は不安を覚える。
瑠香の存在を確認出来ないまま、数日が過ぎ、恭介が、朝、教室に入ると、パタパタと駆け寄って来る足音があった。
綿貫だった。
綿貫は最近、登下校は白井と一緒にいることが多いのだが、今朝は一人だ。
「ねえ、瑠香さんに、何かあったの?」
「えっ」
頬が紅潮して、焦った声の綿貫に、恭介の不安が膨らむ。
「あのね、しばらく帰れないって、メッセージが来たの」
しばらく、帰れない?
瑠香が何故?
島へ戻ったのだろうか。
それとも…
「あとね、よくわかんないメッセージが、朝、追加で来た」
綿貫が恭介に見せたスマホの画面には
『刑集66巻11号1281、よろしく』
とあった。
刑集?
刑法の判例集のことだろうか。
よろしくって、判例集でも買えということか?
廊下を誰かがバタバタ走ってくる。
「キョウ! 大変だ!」
白井であった。
こちらの声も焦っている。
「どうした、ヒロ」
「ばあちゃんが、いなくなった!」
先日、生徒会室で侑太から聞かされた、蚊による厄災について、白井は柏内に聞いてみた。
すると、柏内は少し間をおいて
「動き始めた」
わかったら連絡するから、それまで大人しく待て。
柏内はそう言ったという。
「そしたらさっき、オカンから連絡あって、ばあちゃん、『霊山に行く』って。それっきり、スマホが繋がらない」
瑠香が帰れない。
柏内は霊山へ。
今までお世話になった人が、次々と目の前からいなくなっている。
恭介は、ハッとしてスマホを取り出し、通話を試みる。
やはり
「おかけになった番号は、現在使われておりません」
自動音声が流れるばかりだ。
かけた相手は、畑野健次郎である。
健次郎さんも、か。
侑太が言っていたように、大きな災いが起こるのか。
蟲と病気が、やって来るのか。
去り際に、岩崎江一が残した一言。
『奴の狙いは、この国だ』
恭介の鼓動が早くなる。
額にじわり、汗が浮かぶ。
その時
窓の方から声が聞こえた。
「まあ、綺麗なお花!」
母の歓声だ。
窓際から外を見ると、亜由美が嬉しそうに花壇で作業をしていた。
傍らには悠斗もいた。
そうだ。
俺が帰って来たのはこのためだ。
母に会いたい。
悠斗に会いたい。
絶対、生きて帰ると誓った。
生きて
自分の存在意義を確かめたかった。
だから
例え何が起こっても
俺が絶対
何とかするんだ!
拳を堅く握った恭介の姿に気付いて、亜由美が手を振っている。
恭介も拳を開いて、手を振り返した。




