【第四部】 追跡 四章 意識の狭間 8
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「それで、俺は何をすれば良い?」
悠斗が尋ねる。
「一つは、俺の生存確認」
「はぁ?」
「死者と意思の疎通をはかるつもりだけど、そのまま霊界に連れていかれると困るし」
悠斗は頭を抱える。
「あのさあ、それって薬物実験より、危険なことじゃないのか」
「多分、大丈夫だと思うけど、念のため」
悠斗はため息をつく。
「あとは?」
恭介は香水の瓶を取り、悠斗の枕元に軽く吹き付けた。
「悠斗が会いたいと思う、亡くなった人に、会えたらいいなって」
悠斗の胸がチクリと痛む。
恭介は覚えていたのか。
父の葬儀のあと、泣き続けた自分を。
最期の挨拶が出来なかった後悔を。
そんな傷みを、蘭の香りは和らげていく。
悠斗はいつしか、乳白色の靄に包まれた。
悠斗の父、小沼悠作は、警視庁刑事部勤務の、所謂刑事であった。
遅くに出来た一人息子を、悠作は心底可愛がり、多忙な勤務のなかでも、時間の許す限り、悠斗の育児や躾に関わっていた。
悠作は剣道と柔道の有段者であり、悠斗にも手ほどきをしていたが、特撮モノにはまっていた悠斗は、空手の道場に通うようになる。
空手を習い始めた悠斗に
「拳は正義のために使え」
と、悠作は教え、それは悠斗の指針になる。
悠斗が狩野学園の小学部に入るまで、小沼一家は官舎で生活していたが、悠斗が「弟が欲しい! じゃなきゃ猫!」と言いだしたため、戸建てに移る。
そして、悠斗が三年生の終わりを迎える頃。
悠作は殉職する。
自分の妻と子どもを人質に、籠城していた犯人に撃たれたのである。
しかも、犯人は、刑法第三十九条適応により、無罪。
その日、父が朝出かける時に、珍しく悠斗は布団の中でぐずぐずしていた。
いつもなら、玄関まで見送るのに。
父は布団の中の悠斗に向かって
「じゃあな」
と笑って出て行った。
それが父との別れの言葉。
永遠の。
葬儀の際、父の同僚たちが、ひそやかに語っていた。
――人質の子どもが、息子と同じ年だったって
――子どもの目の前だからって、威嚇射撃も出来なかったらしいよ
――小沼さんらしいな
靄のなかで、過去の風景が再生されていく。
思い出すと、やはり今も胸が苦しい。
泣きそうだ。
「何、泣きべそかいてんだよ、ハル」
懐かしい声がした。
嘘!
親父!?
「恭ちゃんに、よくお礼言っとけよ。本来、現世に顔出すの、禁止だからな」
靄の中に浮かんだ笑顔は、まぎれもなく亡き父のものであった。
「でかくなったな、ハル。お前にも苦労かけた。すまなかった」
いいよ
そんなこと
そんなことより、俺…
「次の回忌供養が終わったら、もっと遠くへ行っちまう。呼ばれても、もう会えないぞ」
俺は
俺は、あんたに言いたかったことが…
「ああ、そうだ。俺の回忌供養終わったら、かあちゃんに再婚勧めてくれ。俺の部下といい感じだろう?」
知ってるのか
「いつも見てたよ。お前のことも。ちょろっとグレてたことも、な」
うるせえ
「弟、作ってやれなくて、悪かったな」
弟みたいな、手間のかかるワガママな奴、側にいるから、いいよ
「そろそろ時間だ。じゃあな、ハル」
靄の果てから光が差す。
小沼悠作の姿は光に溶けていく。
悠斗は父に敬礼した。
言いたかった言葉を、ようやく口にする。
「行ってらっしゃい
父さん!」
悠斗が父との再会を果たす頃。
恭介は「先代旧事本紀」にある、死者を呼び戻す言霊、「布留の言」を、唱えて続けていた。




