【第四部】 追跡 四章 意識の狭間 5
秋雨の降る日曜日。
恭介は悠斗に連れられて、墓参りに出かけた。
行先は都内の霊園。
その一角に、大きな御影石に彫られた「藤影」の文字。
最後に恭介の名も、刻まれていた。
「俺も来るのは久しぶりだ」
悠斗は笑った。
来る必要がなくなった、安堵の笑いである。
自分の名を、墓石に見つけるのは不思議な気分だった。
「戸籍、戻さないのか? 本名に」
笑ったあとで、真面目な表情に戻った悠斗が、心配そうに聞く。
悠斗を始め、白井も母も祖母も、恭介が生還したことを知っている。
藤影創介との直接対決を先送りにした今、偽名での生活を続ける必要性は薄くなっている。
それでも、決心がつかない理由は、恭介にもよく分からなかった。
「もう少し、待ってくれ」
「相変わらず優柔不断だな、お前は」
背後の声に二人とも驚く。
振り返ると、包帯を巻いた腕で、杖をついて立っている侑太がそこにいた。
「なんだよ、二人して、お化けでも見るようなツラしてんじゃねえよ」
口の悪さは変わらずだ。
「お前、病院は…」
「退院した。退院祝いでもしてもらおうかと思ったが、誰も迎えてくれなかったぞ。みんな、冷てえよな」
「お前の人望、そのまんまだろ」
「言うなよ、悠斗。だいたい祥月命日に、お前、恭介の墓参りしてたろ? 当たりつけて此処まで来て、俺ビンゴだぜ」
恭介は小さく息を吐く。
昔の風景が蘇る。
悪童、新堂侑太とその仲間たち。
悪童たちを阻止する武闘派、小沼悠斗。
そしてお坊ちゃん育ちで弱虫の、藤影恭介。
「退院できて、良かったよ、侑太」
恭介の言葉に、侑太は何か言いかけて、しかし口を閉じる。
侑太は深々と恭介に頭を下げた。
悠斗は、魔除けとして口に咥えたタバコを落とした。
恭介は、雨に濡れている敷石で、足を滑らせそうになった。
さらに二人は、侑太の次の言葉で、天地がひっくり返りそうな気分を味わう。
「すまなかった」
雨足が早くなる。
「今更許してくれなんて、都合の良いこたあ、考えてない。謝って済む話でも、そもそもねえ。だがな」
侑太は顔を上げた。
雨の雫が侑太の顔から地面に落ちた。
「お前が、恭介が帰ってきて、良かった!」
絞り出すような侑太の声が、雨音を消した。
恭介は静かに前に進み、侑太の肩を一つ叩いた。
そのまま何も言わず、自分の墓石を後にする。
離れて行く二人に向かって、侑太が今度は大声で叫ぶ。
「俺、藤影と養子縁組解消したわ。お前が家に戻りたいなら、口添えくらいしてやるぞ!」
しばらく無言のまま、小雨になってきた霊園内で、もう一つの墓を二人で探す。
「結局、何しに来たんだ、アイツ」
悠斗が首を傾げた。
「さあな、懺悔? 自己満の」
侑太の自己満足。
それでも良い。
あんな奴でも、恭介にとっては数少ない血縁だ。
恭介は思う。
悪童は悪童のままで良いさ、と。
雲の隙間から、細い陽光が覗いた。
「それで、結局、オーキッドって何だったの?」
絵本を父に見せながら、白井は聞いてみた。
「詳しい成分、ヒロくんに言っても分からないでしょ」
はい、おっしゃる通りです。
「ただ、あれね、違法薬物以外に、ヘンなものが見つかったの」
何なに?
「オーキッドはチュアブルタイプの錠剤でね」
ちゅあ、?
「口の中で溶かすタイプ。普通に飲んでも良いらしいけど」
どう違う?
「ものすごく小さな寄生虫の卵が、含まれていたの」
虫?
やっぱり…
「やっぱりって何? まあ、その寄生虫、呑み込んで胃までいけば、ほとんど問題ないけどね」
胃酸、で溶けるから、とか?
「そうそう。ちゃんとお勉強しているね」
口の中で溶かした場合は?
「運が悪いと、寄生虫が口腔粘膜で孵化して、そのまま粘膜に入り込むの」
航空? ああ、口腔ね
入り込むって、虫が?
「うん、厄介なことに、その寄生虫って脳に棲みつくタイプでね」
脳!
やばくね、それ
「よくこんな薬作ったものだと、パパ感心しちゃった」
恭介や悠斗が、元生徒会の連中の改心した様子を「憑き物が落ちた」と評していたが、憑き物はひょっとして、寄生虫だったのか。




