間奏 9 沖都凪の遺書 続き
綺麗な絵ですね
彼女はそう言った。
そう言った彼女こそ、月並みな表現であるが、目を見張るほどに綺麗だった。
私はいくばくかの金を学費に充て、皆よりも少し遅れて大学に入った。
父は私を当主にふさわしい人間にするため、武術や戦術は教えたが、芸術に関しての教えは皆無だった。
絵を描いてみたい。
そう思った。
どろどろとした、己の感情を吐き出す術を、私は絵に求めた。
とはいえ、誰かの手ほどきは必要だ。
私は「絵本サークル」というものに属し、周りの上手な人たちの模倣から始めた。
真似は得意だった。
サークルには、彼女がいた。
彼女は絵本を創ることよりも、地域の子どもに、絵本を読み聞かせする活動がメインだった。
「綺麗な絵」
誉められて純粋に嬉しかった。
彼女の笑顔は、昔見た、聖母マリアそのものだった。
彼女は最初、私を男性だと思っていたようだ。
たしかに、私は女性としては背が高く、声は低い。
だが、私が彼女と同性と分かっても、彼女の態度は変わらなかった。
「本当に好きになった人なら、年齢も性別も気にしない」
彼女はそうも言ってくれた。
本当に好きになった人がいるのかと、私は尋ねた。
「凪さん。それと昔、一人だけ」
自分を、本当に好きになってくれたという彼女の答えに、私は心が温かくなった。
有頂天だった。
この女性となら、血塗られた一族から解放されて、幸せになれるかもしれない。
そんな夢想を抱いた。
だから、「昔、一人だけ」彼女が好きになった人がいたという事実に、目を瞑ったのだ。
そしてその事実に直面した時に、私は、運命の神の底意地悪さを実感する。
私と彼女は腕を組み、あちこち出かけた。
私の住む部屋に、彼女はしばしば泊まっていった。
抱き合うだけで、互いに幸せだった。
少なくとも私は、人生の中で一番幸せな時間だった。
ある日、彼女の自宅に招待された。
「私の恋人」
彼女は、自分の家族に堂々と宣言した。
彼女のご両親は、私の性別や出身に何も言わなかった。
ただ一人
憎悪に近い目付きをしながら、私と彼女の関係を、完全に否定する人物がいた。
彼女の兄だった。
彼女には、いずれ結婚させようと思っている相手がいる。
邪魔をするな。
邪魔をするなら痛い目をみるぞ。
その程度の脅しに屈するほど、甘い人生を送ってきてはいなかったが、彼の次のセリフは、私の心の瘡蓋を思いきり剥がした。
「お前と妹の間に、子どもが出来るわけないだろう」
古傷から滴る血を止める間もなく、彼女は兄の奸計により、結婚相手となる男に会わされた。
その男こそ、彼女がその昔、唯一恋焦がれた相手だったのだ。
そしてその男とならば、彼女は自分の子を持つことができる。
私は諦めた。
彼女と共に歩いていくことを。
私のような者が、人並みの幸せなど求めてはいけないのだ。
とどめの一撃が私に加えられた。
彼女の結婚相手とは、私の妹、千波が恋した製薬会社の社長、その人であった。
私は神を呪う。
運命なんて、くそくらえ。
それでも
私は彼女を手放すしかない。
彼女の本当の幸せを願うなら、私は姿を消すに限る。
せめて
行く当てのない私の思いを、絵本に託す。
絵本の題名は
…以降、書面の破損により解読不可。




