【第四部】 追跡 四章 意識の狭間 2
西行という歌人がいる。
彼が書いたと言われる『選集抄』によれば、西行は、寂しさに耐えかね人骨を集め、死んだ魂を呼び戻す、反魂の術を行った。
ただし、そうして出来上がった人造人間は、人の心を宿しておらず、結局、西行は山に捨てた、と記述されている。
さらに話は続く。
この反魂に成功した宮中の人物がいた。
名を源師仲という。
彼は西行に正確な反魂の術式をレクチャーしたあとで、自分は藤原公任の流れを汲む者であると伝えた。
ということは
藤原氏の一人、大納言であった藤原公任は
反魂の術を扱えたのか。
「そうです。その藤原公任こそ、藤影さんのご先祖の、お一人と考えられます」
柏内はそう語った。
歌人として名声を博した、大納言藤原公任の、百人一首に残る歌は、次のようなものである。
『滝の音は たえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ』
滝の音はその滝が流れなくなってから年月が経ってしまったが、元の滝の名声というものは、今も世の中で聞こえてくるほど有名である、そんな意味である。
深読みすれば、藤原氏の力が、現代にそのまま残っているかは不明であるが、かつての名声は今も伝えられている。
例えば、藤原が受け継いでいた、呪術にも。
「それはともかくですが、『反魂の法』は、おそらくは藤原氏の秘術であったのでしょう。西行も、元は藤原の一族ですが、出家しています。ただ、彼には子孫が残っているとも言われ、藤原の系統とは他に、反魂が伝わった可能性もあります。あるいは全く別の一族にも、呪術が伝授されていた可能性もあるのです」
柏内の話を聞いて、恭介は人骨を貸金庫に戻した。
そもそも依り代になりやすいものなど、手元に置いておきたくはない。
仙波の急所となるようなものであると、侑太は言っていたという。
この骨が、一体誰のもので、何のため保管されていたのかは分からない。
ただ、『反魂』という言葉の響きに、何かが引っかかる。
仙波は反魂の術により、誰か生き返らせたい人でも、いるのだろうか。
そして仙波は、藤原とか西行の子孫で、反魂の法を受け継いででも、いるのだろうか。
ほんの少し開けていた窓から、時折流れてくる風が、恭介の髪を乱す。
気が付けば時計は、深夜に針を進めていた。
そろそろ寝ないと明日も学校だ。
恭介が窓を閉めようと立ち上がった時、窓ガラスに顔が映っていた。
ぼんやりとした灰色の影。
たった今まで、まったく気が付かなった。
灰色の人影は、恭介に近づく。
その気配を感じて、恭介の脇に汗が流れた。
参考文献:中村一基 「反魂の秘術」から「生活続命の法」へ――中世の人造人間説話の変容をめぐって――、岩手大学教育学部研究年報、第61巻6号(2001年10月)




